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電車の遅れへのお詫び、などに思うこと

日本には、相手への対人関係のわきまえ(敬意・へりくだりなどの気持ち)を表すことのできる言葉づかいがある。

いわゆる敬語のことだ。

平成19年2月にまとめられた文化庁の文化審議会答申「 敬語の指針
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/keigo_tosin.pdf がとても面白いので、リンクからぜひ行ってみてください。

敬語。それは古くから、相手への敬意を示すものとして根づいてきた言葉。

そこへ欧米流なのだろうけれど … 文字コミュニケーション界隈では「相手の時間や手間を奪うことは失礼であるから配慮しろ」と求められるようになった。
いわく長文は失礼だと。

で…これからお届けするのは、悪名高き〝長文〟でございます。
毎度お目汚し申し訳ございません ^^; 。



〝相手への対人関係のわきまえ〟を取り去って
メールを送ることのしんどさ


さてメールを送らなければならない。思いつくままに文章を作ってみたら、なんだか敬語の中に要旨が埋もれてしまったふうになる — ありがちなことだ。

「ご多忙の中、恐れ入ります」を削り、「お疲れ様です」を削り、「恐れ入ります」を削り、「よろしくお願いいたします」を削り、「失礼いたします」を削り…こんなふうに緩衝材だったはずの言い回しをどんどん削っていくと、いつしか用件を相手に叩きつけるかのような怖〜い文面になってしまったりする。

いやこれ、ほんとに送っていいの?

これこそ相手を怒らせかねないって感じるのだけど…どうなんだろ?

Lineの句点(まる)が怖いなんていわれるご時世


メールでこんな気苦労をしているうちに、X(旧Twitter)とかLineなど短文向けのツールが文字コミュニケーションの主流となって久しい。

だってnoteにさえ「つぶやき」ってモードがあるぞい。
読んで頂きやすいし、スキも戴きやすいから何かと重宝している ^^ 。

字数制限におさまらないときの手段は、禁じ手のら抜き言葉か不自然な省略語、そして丁寧語を平文に改めることってふうになる。いや、やはり丁寧語が使えないってのは相手を怒らせてしまいそうで怖いんだよう。

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いまやSNSが不可欠な時代。高校生もネットリテラシーを学ぶし、「情報 I 」の履修内容の一部として、来年度からは大学入試共通テストでも課される。
それでもSNSというのは「トラブルの起きやすい場所」だし、そこでのコミュニケーションのせいで起こる犯罪やいじめや自殺も後をたたない。

敬意・へりくだりなどの気持ちをこめるのが、この上なく難しいこのツール。

ツールが変わっても、ココロは何ひとつ変わってなんかいないのに。
日本人の心性は日本人そのまま。私も含めて忖度されることの大好きな日本人(いや私には、誰ひとり忖度なんかしてくれません)だけど、誰彼にも謙譲しなければならないその状況ってのが…ひどく中途半端なのだ。

物申すはいいけれど、なかにはホ⚫︎エモンさんのように返事に「ボケ」「カス」という接尾語がついてくる方もいらっしゃる。いや…もう生きた心地もしない。

そのうち義務教育で〝政治学序論〟として、「喧嘩」も必須教科に課さなければならない事態になりそうなご時世でさえある。私の学生時代に「ディベート」が流行したのって、その前兆だったのかもしれないなあ。

電車が「遅れましたことを深くお詫びいたします」


いまはどうなのか知らないけど、かつて車掌さんの略称は「レチ」だった。

列車長の略である。一番働いているのは運転手さんだろうけれど、何両編成かの密閉空間で責任を負うのは車掌ってことになっている。チェーン店でいえば、雇われ店長ってところだろうか。いずれにしても、一番偉いのは鉄道会社であることにまちがいないのだけど。

たかだか数分遅れただけ。しかも内容は急病人対応だったり人身事故だったり。
それでも車掌さんや駅員さんは「深くお詫びします」を繰り返す。

いや、車掌さんに非はこれっぽちもない。
こんな領域までマニュアル化してしまった側ってのは背広組だろ?
詫びるも同情するも遺憾の意を表明するも…本来は車掌さんの裁量範囲だろうに。

ネット上では「へりくだりすぎる人」の評判がよろしくない


相手の顔色を気にするあまり、自分を下にする言い方をすれば相手の気分がよくなるのでは—といったふうに。
私自身がきっと、この種類の人だ。もしそうだったら育ちのせいだと思う。

世の中が怖い人ばかりに見えてしまうものだから処世術として、丸腰を貫くためにこうしているとでも言ってしまおうか。

子供のころはこの方法で、まわりの大人に対しての安全は図れたと思っている。
だけど大人同士で生きていくようになると、こんどは私が〝何を考えている人間なのかをわかりやすくする〟ことのほうがずっと大事になってくる。

へりくだりすぎたものだから、きっと気持ち悪い人ってふうに思われたのだ。
あるいはへりくだりすぎることで、なにか下心でもあるんではないかってふうに見えたのだろうか? 
下心なんてこれっぽちもない。単に人が怖いだけなんですう。

業を煮やしたJR東日本が出したリリース


謙虚すぎる態度をつけ入る輩がいる。かつてはそういう人を「ヤクザもの」と呼び、彼らの態度とか人となりとかは〝人相〟との間に正の相関関係を持っていた。いまは、わりと普通の人相のひとがイチャモンをつけてくるような時代。SNSがそれを助長した一面は否めまい。

リアルの生活にもそれは及んでいる。

酒で酔っている人のトラブルも相変わらずだけど、シラフの人でも酔っ払いばりの粘着性でカスハラを働いてきたりするみたいだ。そして…あれほど謙虚だった鉄道会社に、とうとう「対応しません!」と言わせてしまった。

2024年4月付でJR東日本はこのようなリリースを出している。

カスタマーハラスメントへの対応姿勢
当社グループは、グループで働く社員一人ひとりを守るため、カスタマーハラスメントが行われた場合には、お客さまへの対応をいたしません。さらに、悪質と判断される行為を認めた場合は、警察・弁護士等のしかるべき機関に相談のうえ、厳正に対処します。

https://www.jreast.co.jp/company/customer-harassment/ より引用

過剰なクレームをはじめとするハラスメント行動というのは、やはり「へりくだりすぎる」態度へ付け入る行動かと感じている。

本来、詫びる人なんていなくたっていい事案だ。でも文句を言いたくて仕方ないって人はいる。そこへ進んで詫びる人が現れたなら「イライラを解消するために利用しちまえ」って輩だって現れるだろうに。

これも個人的に感じていることでしかないが…車両故障などの明らかな過失以外の電車遅延に関しては、もうお詫びなんかではなく「遅延にともなって被るご迷惑に、ご同情申し上げます」ぐらいでいいのではないかと。お詫びと言ってしまうから「じゃあどうやって誠意を示すんだ!」みたいな、カタギの人相をしたヤクザ者を増長させてしまうわけだし。

大半は誠意ある駅員だろうけれど…


いや、駅員の中にだってひどい人がいないわけなんかではない。

首都圏のある私鉄駅で、鉄道博物館の場所を改札の人に訊いたのだが、若い駅員は無言のままアゴで返事しやがったのだ(いまでも思い出すだけですごい怒りが込み上げてくるので、相当いやな気分にさせられたのだと思う)。博物館に行く前にホームで電車撮ってたものだから、ひょっとすると役務室のモニターでチェックされてたのか…とかずいぶん疑心暗鬼になってしまった。例によって、改札氏の失礼な態度に遭遇したときは呆気にとられ、後から怒りが込み上げてきた(私のほうもちょっと被害妄想が入ってしまっていたかもしれない)。

お客様センターに苦情を入れようかと思ったのだけど、このご時世だからどちらにも得になりそうな気がしなかったので忘れ去ることを選んだ。忘れてないけど。

要は人間関係のトラブルってものは、根っこでいえば、それこそ大半は「生理的に嫌いな言葉づかいをしている」「見た目が嫌い」「態度がモヤモヤする」といった低次元に端を発するものである気がする。言いかえれば、そういう思いを抱いたとしても、きちんと隠しながら接客したり接客されたりすることができる人こそが成熟した人なんだ…ってふうに思いたい。

私自身も成熟した人なんて言えない。
なぜなら前述した若い駅員がいまだに生理的に嫌いだし、その博物館にはきっと一生行かないと思うから。

人間関係は本来、マニュアルで解決するものなんかではないにしても


それでもマニュアルで取り仕切らざるをえないことの理由はなにか。

ここが「1対多」で人を取り仕切らざるを得ない〝社会〟であるからにほかならない(と思いたい)。

この時代のあらゆるコミュニケーションに「1対1の関係(もしくはサービス)」を求めようとすると途轍もないことになる。

モンスターカスタマーのクレーム問題って、おそらく根っこはここだと思うのだ。
多数が迷惑しているということを看板に掲げながら、やっていることは「構ってちゃん」ばりの粘着的行動。己を多に埋没させてたまるかとばかりに、時間とエネルギーを必要以上に吸い取ってくる。

申し訳ないんだが、やはり多いのは団塊さんと論破愛好家…ってふうになりそう。

一部の団塊世代はある意味、情にほだされながら戦ってきた世代。裏返せば、奉公に対して御恩のないこの令和社会に恨みを抱いているのかもしれない。この手の恨みは残念ながら、いちばん相手をすることが難しいのだけれど。

いわゆる老害問題は、サシの関係を彼らが過剰に求めてしまうことにも起因している。悪くいえば「感情の幼児化」だが、人生の先輩に〝幼児化〟という残酷なことばを突きつけることにもなんだか気が引けてしまう。

一部の論破愛好家さんも…やはり彼個人が抱えている得体の知れない寂しさに起因する恨みゆえってふうになるんだろうか。彼自身こそが正解ってことありきでコミュニケーションを図ろうとしてくる以上、妥協点が見当たらないってふうになる。私は「俺が間違ってるかもしれん」と前提しながら喧嘩するが、そういう奴って「絶対自分に非があるわけがない」ありきなので、遠ざかる以外に手がない。

感情の面倒までAIにお願いすることは無理だろうか?


経済成長も結構だけど…とりわけ日本では、そういった人々の「感情の面倒をみるための」AI活用法ってものも一考するに値するのかもしれないね。

というか、この高齢化社会にあって、社会のなかに少しでも「気休めを覚えることのできる」物事を積極的に増やすことはすごく大事かもしれない。かつてどれほど権威のあった人も(役割というものの絶対数が限られている以上)後進に道を譲らなくてはならないし、後進に道を譲ること自体は恥でも何でもない。

ついでにいえば…なんなら痴呆することも恥なんかではないと思っている。

この長文駄文を締めるには乱暴かもしれないけれど … せっかくの人工知能。
みなが心の中にかかえ、かつ苦しんでいるこのエゴを和らげるためにも使えないものだろうかと。

できれば私も…お世話になりたい。いまはまだ大丈夫だと思う(大丈夫か?)が、もっと歳をとってもうリタイア以外に選択肢がないってときには…ぜひお願いしたい。

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相変わらずの長文。暑苦しくて申し訳ない!
アイスキャンディーでも配って回りたいぐらいだ。
熱中症にはお気をつけて。おつきあいありがとうございました。
それでは、また。

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