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死海写本のお話

 友人知人よりメディアが報じた「聖書の原型」について説明しろとの連絡がいくつか来たので、ここにパンピー代表としてパンピーのために説明を置く。※TOP画像は以下より引用:https://www.haaretz.com/archaeology/.premium-israel-finds-new-dead-sea-scroll-first-such-discovery-in-60-years-1.9621317

 さて「死海写本」である。オカルトからSFまで人々に愛されて大人気の文字媒体であるが、多くの人々は読んでいないようだ。ちなみに、ぼくはカナダの王立博物館で直接読むことができた。聖書をほんのり学んだことのある身としては言うにも恥ずかしい程度であるが、楽しい思い出だ。

 では、そもそも「死海写本」とは何か。こんなことは検索すれば出て来るが、それも面倒な昨今のネットユーザーの皆さんのために「死海写本」の学術的な価値について箇条書きで記しておく。

①写本の年代を約千年遡れた。
②ユダヤ教に関する新たな知見を得ることができた。
③ユダヤ教徒の写本制作の伝統が実証された。

 基本この3つを覚えていれば「死海写本」と聞いても、ビビる必要はないし、陰謀やら何やらを妄想しなくてもよい。以上、パンピーへの説明は終わり。以下は、少し興味のある人に向けた内容となる。まず大前提から。

「聖書」とは何か

 この問いに答えられる人は、おそらく博士号を3つくらいは取れるので、ぜひ頑張っていただきたい。つまり「聖書」を定義することが、そもそも難しい。ややこしい話を全部省くと、一般的には、とくにキリスト教会が「聖書には、旧約と新約があって…」と言う。

 しかし、ユダヤ教からみれば「聖典タナッハ」は「旧約聖書」とは言語も文字も内容も書物としての形式さえも、全く違う別物である。だから難しい。ちなみにキリスト教・旧約聖書(ギリシア語)は、ユダヤ教・タナッハ(ヘブライ語/一部アラム語)の翻訳(≒意訳+追加)である。

 つまり大雑把にいって、今回の発見は「ギリシア語に翻訳されたユダヤ教・聖典タナッハの一部」について、である。

①写本の年代を約千年遡れた。

 では「聖書」はどうやって保存されてきたのか。実は手書きで巻物に筆写され、保存されてきた。そして、現存する最古の旧約≒タナッハ写本は約千年前のものしかなかった、そう1947年までは。

 しかし、1946年末から翌年にかけて、ベドウィン族の子が、子ヤギを追って、洞窟に石を投げ入れたらガシャンと音がして入ってみると…!という嘘か本当か分からない逸話に始まって「死海写本」が発見された。結果、最古のタナッハの「年代」が約千年さらに遡り、学者たちは2千年前の写本を手に入れることができた。この二千年前の写本群を一括して「死海写本/死海文書」と呼んでいる。ちなみに学者は普通は各断片についている番号で呼ぶ。

②ユダヤ教に関する新たな知見を得ることができた。

 では、その死海写本に何が書いてあったのか。見つかった写本群と現存する「聖書」を比較すると、素人の印象ではだいたい一緒になる。と同時に、学者からみると、かなり解釈に幅のある内容が得られた。つまり、二千年前に洞窟あたりをうろついたユダヤ教徒の多様性や思想を知ることができた。

③ユダヤ教徒の写本制作の伝統が実証された。

 ユダヤ教徒にとって重要な「写本制作」の伝統は、千年前までは確認できていたが、二千年前でも確認できた。無論、多少のバラエティはあれ、その仕組みの正確さと伝統の保持が実証されることになった。

以上、この3点が、ごく一般的な「死海写本」の価値についてのあらましである。

では今回の発見はどのようなものか。

 前提として、旧約聖書とタナッハは少々違う。そしてタナッハには、律法・預言者・諸書という区分がある。今回の発見は「預言者」に関するものだ。そして「預言者」に含まれる12人の預言者たちのうち、ゼカリヤ書やナホム書の断片が含まれている。つまり度々発見されてきた死海写本のうち、1952年の預言書に関する断片と関係があるものになるかもしれないのだ。

 あと、これと一緒に「1万500年前のかごの遺物(ムラバアトにて発見)」「6千年前の子供ミイラ」「2世紀のコイン」が出て来た。「死海写本」を含める何ともチグハグな4つの遺物を含む「恐怖の洞窟」含む今回の調査結果である。SF好きとしてはタイム・トラベラーの保管庫だったりして…と思うが、このあたり詳細な研究は、そのうち公開されるだろう。楽しみである。

専門家に聞いてみた

 では、これらが何を意味するのか。さっそく専門家・ユダヤ文献学者の手島勲矢氏に聞いてみた。ぼくのヘブライ語の先生である。

――本文はギリシア語で書かれていましたが、神名だけはヘブライ語でしたね。
手島:アラム語の写本でも「主の名前」だけ古代文字で書いたものがありますから、その延長線上で考えられると思います。今回のもので『アリステアスの手紙』や、テルトリアヌスが『護教論』で言及していた「70人訳聖書」の巻物について信憑性が出てきましたね。もちろん今回の発見は「律法」ではなくて「預言者」ですから、別の話ですが。
――写本の学術的価値はどうでしょうか。
手島:今回の発見はギリシア語の巻物です。「預言者」のギリシア語版は、大文字写本が冊子でしか残っていないので、とても示唆的で、古さと、ユダヤ人の感覚を伝えるものです。キリスト教以前の「聖書」的伝統を感じさせますね。
――また一つ古い写本の情報が集まりましたね。
手島:クムランからは完全な巻物が出ていない、つまりタナッハの完成本が見つかっていませんから、完全な写本としては「マソラ本文」に依存します。君が要約したように単純に「千年遡れる」という話だけには回収しないでほしい。もちろん断片から部分的に古いデータを得るメリットはある。
――なるほど、文献学としては。
手島:そう。本文批評は「古ければいい」わけではない。その点で、マソラ本文も巻物も、全体の形式を一番重んじていることが重要です。形式が揃っていてこそ「写本」になる。だから「写本」は好き勝手に作るものでなくて、膨大な戒律法規を守って残さなくてはならないものです。それがユダヤの「聖書」ですから、クムラン洞窟から発見されたからオリジナルだ、という発想は文献学者はもたないと思いますよ。
――ヘブライ語の原本をたどり得る可能性については。
手島:「サマリア五書」をヘブライ語テキストの可能性として重んじる人たちもいますね。今回の発見は、あくまでもギリシア語の聖書に関するものです。だから原本というよりは、翻訳の位置付けに関して発見の価値があると思います。
――聖書を読むのって難しいですね。
手島:ユダヤ教が、なぜ巻物でトーラー(律法)を読んでいるのか。マソラ本文は冊子本ですから、彼らは使わない。つまり巻物での朗読に古代の正統性があるんです。今回の発見は、ギリシア語の翻訳も、そのユダヤの伝統の中にあった、とも言えますよね。厳密に年代を問うて、キリスト教以前の状況かを考えると、バルコクバの反乱に関する洞穴とですから何とも言えません。しかし、ギリシア語でも巻物で読んでいた点が、ユダヤ教徒の世界のあり方を示していると思います。
――最近の論考で問われた点ですね。
手島:ユダヤ教の会堂におけるトーラー朗読の仕方の古さ、それを失ってしまったのか、または価値を見出せないキリスト教の違いを考えるには、今回の発見は興味深いものですよ。妙な言い方ですが、キリスト教は聖書を大事にしているように見えて、実はそれほど聖書が中心的ではない。しかし、ユダヤ教は違います。「トーラー(聖書の律法)なくしてユダヤなし」ですから。文献としてトーラーの神聖さは中心的で排他的なんです。そこにキリスト教との差異が明確に表れています。そして、その違いが、今回の「ギリシア語の巻物」の発見に現れているように思えて、興味深いですね。

(質問:波勢邦生 回答:手島勲矢)

 また続けて、イスラエル在住の山森レビみか氏(テルアビブ大学講師)にも聞いてみた。

――本文はギリシア語で書かれていましたが、神名だけはヘブライ語だそうです。
山森:現物を見ないと何とも言えませんが、今でも英語で書くときさえ「YHWH」と転写してますからね。結局、発音もわからないままですし。本当に「アドナイ」と読んでいたのか。まさしく「神聖四文字」問題ですね。
――セム語系の音って、ドイツ語や英語の人間には難しいと思うんですよね。
山森:まさしく、音と文字の問題です。何より、唯一すぎて「神聖四文字」は訳せないでしょう。固有性の極みというか。イスラム教「アッラー」でも同じ問題を抱えていると思います。
――今回の発見について、いかがですか。
山森:60年前に見つけたのはベドウィンの子で、今回はIDF入隊前コースの若者であるところに、現代と歴史の移り変わりを感じますね。
――まだ断片はあるかもしれませんね。
山森:あのあたり、非常にアクセスが悪いので、未だ発見されていない巻物や断片があるかもしれませんね。

(質問:波政邦生 回答:山森レビみか)

 以上、もはや専門的な話になってきたが、一般紙に目を向けてみたい。 

 現地メディア「ハアレツ」紙は、ポストモダンの価値観からすれば皮肉なことに、新たに発見された断片には、ゼカリヤ8章16節が含まれている、としている。『あなたがたのなすべき事はこれである。あなたがたは互に真実を語り、またあなたがたの門で、真実と平和のさばきとを、行わなければならない。』つまり事実が曖昧に選択されディープ・フェイクが跋扈する昨今の世界情勢への警句として、今回の発見を引用している。

 加えて、ハアレツ紙は、新断片にはナホム1章5-6節が含まれている、ともいう。『もろもろの山は彼の前に震い、もろもろの丘は溶け、地は彼の前にむなしくなり、世界とその中に住む者も皆、むなしくなる。だれが彼の憤りの前に立つことができよう。だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう。その憤りは火のように注がれ、岩も彼によって裂かれる。』

 いわく今回の発見が示すところは、死海写本が書かれた時代には、ユダヤ教もキリスト教も「聖書」でさえも、形成の途上だった。ナホム書で語られる怒りの矛先は誰なのか。ハアレツ紙の小憎い引用は、なかなか冴えていると思う。笑ってしまった。

 以上、今回のシン・死海写本のお話。今回の発見が早く以下サイトにて公開されることを期待している。オンライン公開「死海写本」 ということで長生きすれば、また新たな死海写本発見のニュースを聞けるのかもしれない。しかし常時「戦時」を経験している国家は違うと思った。ドローンで探索しているらしいが、兵器もこのように学術的に利用されることばかりになると良いと思う。目上の友人である手島先生と山森先生には今回もお世話になりました。長寿と繁栄を。

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