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キリスト教について

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「キリスト教理解」の理解について
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#近代史

神の五指としてのキリスト教

 キリスト教とは何か。多くの日本人にとって、難しい問いだと思う。質問も答えも、立場によって少しずつ異なる問いかけだ。おそらく一般的には、キリスト教の印象は、まず「結婚式」、次に「エクソシスト」などのオカルト関係になるだろう。または荘厳な礼拝堂や絵画だ。つまりサブカルチャーの背景文化として思いつくものがキリスト教だ。それ以外は「欧州の宗教」だとか「イスラム教と仲悪いの?」とかにとなるだろう。  キリスト教とは何か。多面的な問いだから、答えも複眼的になる。  歴史的には「五大

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大東亜戦争と教育

 朝起きると少し蒸し暑い。ドライをかけようと思い、エアコンのスイッチを入れた。途端、セカイが暗闇に包まれた。停電である。たしかにPCは点けっぱなしだが、そんなことで...?家電のスイッチを押しただけなのに、家屋全体の電源喪失だなんて。  訝りと諦念の中でブレーカーを確認すると落ちていない。えっ...??? 寝起きなのでヒューズとブレーカーの区別がついておらず、検索に手間取る。折しもスマホを充電し忘れており、現時点で残電量42%。これが天文単位パーセクならば誤用であれ心強いが

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近代日本とキリスト教 序の解題.2

 なぜキリスト教が日本では流行らないのか。この問いは二つの主題を含んでいる。「近代精神とキリスト教」の関係を見定めること、これらと「日本」の関わりの来歴の中で、あり得た未来を考えること。これら二つの連環、「関係性」を明らかにし、人々に了解可能な形で提示できたならば、冒頭の問いは答えられたことになる。  いいかえれば、欧米とその植民地の外、非アブラハムの宗教圏で「近代」という技術文明を輸入したリトマス試験紙ーー実験国家「近代日本」の精神史を浮き彫りにすること。そのために、キリ

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近代日本とキリスト教 序の解題

 研究に直接かかわる内容として『近代日本とキリスト教』がある。久山康(1915-1994)は、関西学院大学の優れた宗教学者・教育者だった。1956年、久山の発案・司会のもと、座談会『近代日本とキリスト教』が開催された。  参加者に名を連ねるのは錚々たる面々である。高坂正顕、山谷省吾、亀井勝一郎、小塩力、椎名麟三、隅谷三喜男、猪木正道、北森嘉蔵、武田清子、西谷啓治、武藤一雄、遠藤周作。彼らが明治・大正・昭和・戦後のキリスト教・戦後日本精神史を縦横無尽に語り尽くし、丁寧な補足を

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