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大東亜戦争と教育

 朝起きると少し蒸し暑い。ドライをかけようと思い、エアコンのスイッチを入れた。途端、セカイが暗闇に包まれた。停電である。たしかにPCは点けっぱなしだが、そんなことで...?家電のスイッチを押しただけなのに、家屋全体の電源喪失だなんて。

 訝りと諦念の中でブレーカーを確認すると落ちていない。えっ...??? 寝起きなのでヒューズとブレーカーの区別がついておらず、検索に手間取る。折しもスマホを充電し忘れており、現時点で残電量42%。これが天文単位パーセクならば誤用であれ心強いが、半日も持たないだろう。困った。

 検索したところ、可能性としては、漏電ブレーカーの作動である。関西電力HPの無用なAIくまチャットに苛立ちながら、結局、営業所に電話する。

 受付女性が出る。一通りの確認は済ませてあるので、質問がまどろっこしい。彼女の敬語も熟れていない。「お立ち会いのもと、確認させて頂きたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」選択肢のない質問である…。「〜が承りました」、珍しい名字から察するに沖縄の人だろうか。

 しばらくして営業所より連絡があり、30分ほどで向かいますとのこと。その間にこれを書いている。

 外に出て、大家さんのガーデニング趣味スペースで待ちながら、ふと思った。そういえば司馬遼太郎『この国のかたち』に「文明の配電盤」というエセーがあった。近代日本、明治における東京大学の機能について語ったものだ。いま京都大学にいる身で読むと、また一味違うかも知れない。どこに置いたろうか。

 話が逸れた。

 海後宗臣『大東亜戦争と教育』(教学局、1942年)である。海後宗臣(かいご・ときおみ:1901-1987)は、教育学会会長まで務めた学者である。ディルタイの紹介者でもあった。一色文庫で拾った本書冒頭において海後は、このように記す。

 大東亜の諸地域に於いては大御陵威の下に皇軍将士の華々しい進撃が展開され、世界戦史にその比類を見出し得ない大戦果を挙げて来ている。かくのごとき広大な諸地域にわたった進撃は、大東亜の全地域に新しい秩序を置き、米英永年の支配より解放せられた東亜人に溌剌たる建設生活を展開せしめんとするためのものである。事実、今次皇軍の進撃しつつある諸地域の東亜人は永年にわたる米英の桎梏下にあって、民族自らの生活を喪失せんとする危殆に瀕していたのである。今日我々の力によってこれらの民族に自らの生活をもたしめないならば、彼等は今後更に長い苦悩を背負わねばならなかったことであろう。かかる危機において米英の支配を一掃し、東亜人自らの新しい生活建設に入らしめんとするために、大進撃の御戦が展開されているのである。全大東亜人をして先ず大御陵威を仰がしめ、その下に諸民族の新しい建設生活を力強く展開せしめることこそ、実に大東亜戦争の帰結であるといわねばならない。

  教会外には、ほとんど知られていないだろう。1960年代、時勢に併せてキリスト教界でも「戦争責任の告白」が流行した。戦時体制への協力のために設立された「教団」を、神の摂理として理解し、組織として存続しながら、その責任と賠償を考えていくとという宣言を、日本プロテスタントの最大会派・日本基督教団が行った。立派なことである。

 個人的には、教団組織を解散し、二度と合同しないと宣言したほうが内外に対してスッキリするのではないかと思った。引責辞任と同じ原理である。とはいえ、当時解散したところで、名前を変えて組織化するのだろうから、その事務手続きを無意味だと考えたのかもしれない。詳しくは知らないし、興味もない。

 同様の観点からみれば、教育学会において、会長まで務めた海後に対して、戦争責任が追及されていてもおかしくはない。実際、どういう扱いになったのかは知らない。ただ、事実として、内閣印刷局が発行した「教学叢書」には、戦時下・海後の翼賛的な姿勢が見てとれる。第二次大戦後、日本の教育学の頂点に立った男の戦争責任。文明の配電盤の基板的人物の瑕瑾、過失、または犯罪。どう考えれば良いのだろう。

 個人的には、戦時下に生まれなかった者が「戦争責任」云々を問うのはどうにも、もどかしい。キリスト教信仰による「平和」理解に基づいて、何がなんでも政府と時局と戦うべきだった、というのは正論である。いささか正論過ぎるかもしれない。

 時代に呑みこまれた者に対して当為を後から語るのは、いいかえれば、殉教せよ、戦って死ぬべきだった、なぜ生きながらえたのか、という問いかけである。放っておいても、そのうち死にゆく老人たちに、そのように厳しく当たるのは、少し優しくないように思う。

 渡辺信夫という牧師がいる。カルヴァン研究者として有名な人である。数回、話を聞いたことがあるが、彼のスタンスは「若者の皆さんには責任はない、私たちの世代が過ちを犯したのです」というものだった。なるほど、分かりやすい。たしかに責任とは行為者に帰属するものである。戦争に向かった個人として、その責任を引き受ける姿は、大変スッキリしている。

 こんなことを考えていたら、関西電力がやってきた。色々と調べ、大家さんにも連絡し、だいたい一時間弱ほどで電気が点いた。二畳ほどのミニキッチンの電球が、昼の明るさの中でも光っている。気分が良い。回復の兆し、復興の証である。ありがとう。関西電力。結局、エアコン・スイッチとの関係は不明で、原因は配電盤のビス緩みによる接触不良だった。

 あらためて受付女性のことを思い出す。顧客である僕からすれば、彼女も営業所から来てくれた男性も、一企業を代表している。とはいえ、彼ら個々人は、いかなる意味において、今回の接触不良による停電の原因ではない。バタフライ効果を追跡できれば、何か出てくるかもしれないが、無関係である。しかし、その企業に勤めているので、部分的な責任があると見なされる。

 国家と企業はまったく違う組織である。だから一概に比較はできないが「責任の構造」は少し似ているかもしれない。たしかに、戦時下の多くの日本には「従った責任」がある。従って敗北した結果、米英による支配を受けて、長い間の苦悩を背負い続けることになった。それは誰もが知るところである。

 翻っていえば「責任主体」の実在を考えている。もし「主体」が、概念的・人格的な連続体であるならば、やはりそれは重過ぎるのではないか。あり得る主体とは、ただ、そこに存在する、食って寝て生殖を求める、ありふれた身体の欲望なのではないか。

 そういえば、旧約聖書のヨブ記では、サタンは「訴える者」として神と人の前に現れる。「個の自覚」による罪の発見、責任の発生と転化、断罪と賠償、結審、猶予、執行。サタンの訴えをあまりに強く受け止め過ぎたのが、西洋近代的自我とは言えないか。東のキリスト教のように、罪は罪として認めつつも、それをあくまでに個々人の問題として取り扱ったほうが良いのではないか。直截にいえば、本当に「現在」という理論的近似値は存在するのか。より精確さを期すならば、理論化そのものに罠があったのではないか。

 『大東亜戦争と教育』のページをめくりながら、雨が降らぬ梅雨晴れの光の中で、そんなことを考えている。エアコンのスイッチを付けたら、部屋全体が電源ロスト。誰に責任があるのか、よく分からない。全員が当事者であり関係者である。文明の配電盤の何がどのように問題だったのか。もうしばらく「弱い主体」について考えることになるだろう。そろそろ腹が減って、暑くなってきた。

海後宗臣元会長の略年譜と主要研究業績、1987年

森川輝紀『海後教育史学論ノート』

【追記】2019.6.22.土.13:11頃、再び停電となり関電が来ている…という内容をアプリより追加し、有料範囲の再設定をしていたら、なぜかテクスト半分が消滅した。もう泣きそうだった。幸い、読者のもとにあったデータより手打ちで回復。他にも財布を無くして同僚に金を借りるなど、なかなか悲惨な一日であったが、それついてはまた後日。現在、同日21:20頃、隣研究室である。もう何事もなく、寝て、明日は仕事へ無事に行きたい。神よ…。

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