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近代日本とキリスト教 序の解題.2

 なぜキリスト教が日本では流行らないのか。この問いは二つの主題を含んでいる。「近代精神とキリスト教」の関係を見定めること、これらと「日本」の関わりの来歴の中で、あり得た未来を考えること。これら二つの連環、「関係性」を明らかにし、人々に了解可能な形で提示できたならば、冒頭の問いは答えられたことになる。

 いいかえれば、欧米とその植民地の外、非アブラハムの宗教圏で「近代」という技術文明を輸入したリトマス試験紙ーー実験国家「近代日本」の精神史を浮き彫りにすること。そのために、キリスト教という異物・異化作用を補助線として考える試み、それがこの座談会の意図である。なぜキリスト教が日本では流行らないのか。何を問えば、あるべき現在、あり得た可能性が見えてくるのか。

討議の課題 高坂の発言

 文芸批評家の亀井勝一郎は「日本の固有性」の意味するところは、宗教の不在、アブラハムの宗教からの距離であるという。「強い信仰の不在」ゆえに、明治キリスト教、大正ヒューマニズム、昭和マルキシズム、それらへの反動としての民族主義、国粋主義が氾濫し、「戦後」という日本語特有の思想的混乱状況――倫理的宗教的空白をもたらした、これが亀井の見立てである。

 司会者・久山康に促され、亀井に続き、高坂正顕が口を開く。高坂は、ロシア革命からソヴィエト連邦の現在までの約40年と、明治維新から日露戦争までの約40年を並べて、急速な「近代化」とその結果を指摘する。

 高坂によれば、とくに日本においては、明治20年代以降、欧州における思想・哲学・文学がほぼ同時に翻訳され流行した。しかし、『新しい思想が対決を要求する昔からのいろいろな伝統的な、あるいは地盤になっているような思想、むしろ信仰、信念というもの』が日本にはない。だから『実に簡単に捨てられて、次の思想に乗り換えられて行く』。

 高坂は、この状況を鑑みて気になる点があるという。一つは、新思想とその基礎たるキリスト教の受容・影響の仕方。一つが、明治20年代の文学者・学者たちのキリスト教への接近、30年代における退潮の理由。それは何に基づくのか。もう一つは「日本の近代化の問題」である。

 はたして日本は徳川以来の封建制の内面的矛盾のゆえに、近代化に向かって変革の道をたどったのかどうか……たとえば透谷の自殺が示しているように……西洋の思想や信仰というものに触れて行くことが、非常に深い精神的な苦悶を彼らに与えたように思われる。つまり、東洋と西洋とが接触した場合に、精神的に苦しんだのは西洋の人々ではなくて、むしろ日本の人たちであったでのはないか。そしてその苦悶の結果生み出されたものは、あるいはそれほど価値の高いものではなかったかもしれないけれども、今後もなお続いて行く問題として十分注意されるべきではないか。

 すなわち高坂によれば、第一の問題は、日本人のキリスト教受容の仕方であり、第二の問題は、欧州の地盤をなすキリスト教と東洋の思想・信仰が衝突した明治以降の日本精神界にどのような結果と影響をもたらしたのか、である。

 第三の問題は、当時一般的に語られた「近代化≒キリスト教」「東洋の宗教・思想≒封建的」というテーマが、必ずしも同一視し得ない要素を含んでいるにも関わらず、前提とされてきたことである。

【感想】

 なぜ日本ではキリスト教が「欧米のように」流行らないのか。宗教の不在を指摘した亀井に続いて、高坂は、日本の近代化における「宗教の不在」が、日本人を苦しめた可能性を取り上げている。

 西洋と東洋が衝突する渦中で、誰もが一度は情熱をもって受容して後に捨てる思想――結局、長期にわたる麻疹のようなキリスト教信仰が、なぜ近代日本に現れたのか。その受容と棄却のメカニズムは何か、というのが高坂の問いである。言うなれば、「近代化≒キリスト教、封建的≒東洋の宗教・思想」という雑で安直な二項図式の弊害は、一体何だったのか。

 これはキリスト教思想においては共通かつ大きな問題で、いわゆる内村鑑三の「二つのJ:Jesus and Japan」にも通底している。加えていえば、大正期にキリスト教社会主義者として頭角を現した賀川豊彦は、数多の社会主義活動家が信仰を捨てていったのとは正反対に、生涯、キリスト教を信じ、イエスにこだわり続けた。賀川の信仰と、他の社会主義運動家のそれとの違いは何だったのか。

 非西洋とされることで、遅れたキリスト教受容と近代化を被る社会に生じる軋みは、そのまま「西洋」「東洋」という枠組みの不完全さ、語られている「近代化」のもつ多面性と流動性を示している。

 余談ながら、この軋みこそ、太平洋弧に響く孤独の音である。約一年前に出た批評誌アーギュメンツ#3「トナリビトの怪」は、「キリスト教の受容と遅れた近代化」を十字架として人為的に課せられた人々のための反撃の烽火であった。

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