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キリスト教について

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「キリスト教理解」の理解について
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2018年10月の記事一覧

生きていることのどうしようもない空しさについて

空の空、すべては空。  アメリカにいた頃からネットに常時接続するようになった。以来、たまに深夜一人でニコニコ動画のBGMを聞きながら、無音チャット放送に泳ぐコメントを眺めている。水槽の魚を見ているような、この時間が好きだ。だいたい深夜から未明にかけて、一般人の多くが寝てしまう時間の、ささやかな楽しみである。東北地方や北海道のような緯度の場所だったので、どちらかといえば寒い日が多かったかもしれない。築200年近い、現役の歴史的建造物の屋根裏で、ぼくは孤独だった。  いまでも

信仰の話

 いまでは少なくなったが、それでもたまに「なぜキリスト教徒になったんですか」と聞かれる。答えは未だによく分からない。きっと「当時、たまたま教会に行っていたのでそうなった」のかもしれない。個人的にはそれでもかまわない。最近そう思うようになった。  一方で、何かしらの歴史的使命というものも否定できずに暮らしている。交換可能でありつつも一個の生を歩き倒れる者だからこそ、何かを帯びざるを得ないのかもしれない。事実、世界はそのように出来ているフシがある。  教会には行きたいと思って

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真理の文化性、文化の真理性

 一日休むつもりでいたが、結局、仕事をしてしまった。字を書くのに疲れた頭でまた字を書いている。何かの呪いかもしれない。では、一日何をしていたか。実は、戦後直後より続く老舗・キリスト新聞社の雑誌に、参加した批評誌「アーギュメンツ#3」刊行記念会トークが掲載されるので、その記事構成をしていた。もちろん紙幅のため、全文掲載ではない。文字起こしされたものを見て、記事の構成を考えていたら、昼飯を食べるのも忘れて作業し、夜9時を回っている。開けたままの窓から秋が流れこみ、つま先を冷やして

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