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信仰の話

 いまでは少なくなったが、それでもたまに「なぜキリスト教徒になったんですか」と聞かれる。答えは未だによく分からない。きっと「当時、たまたま教会に行っていたのでそうなった」のかもしれない。個人的にはそれでもかまわない。最近そう思うようになった。

 一方で、何かしらの歴史的使命というものも否定できずに暮らしている。交換可能でありつつも一個の生を歩き倒れる者だからこそ、何かを帯びざるを得ないのかもしれない。事実、世界はそのように出来ているフシがある。

 教会には行きたいと思っている。一方で、とくに教会に必要性を感じてはいない。歴史性を担保するのは、他の人の仕事だからだ。自分の仕事ではないように思うので、どうにも怠けてしまう。

 クリスチャンという語を使わなくなって久しい。とくに自身を指す場合はなおさらで、つとめてキリスト教徒と言い換えるようになって久しい。これも続けていると板につくもので、意識しなくてはクリスチャンと発語できない。

 信仰について考えている。何かしらの信仰は明確にあると思うのだが、それがキリスト教か否か分からない。ぼくとしては、この上なくキリスト教を信じているつもりなのだが、そうでない可能性もある。

 研究の演習で、賀川豊彦を扱った。厳密にいえば、栗林輝夫の賀川豊彦論である。栗林は、賀川を、新神学の海老名弾正、正統神学の植村正久の間において、自由神学者シュライアマハーの継承者と見なした。とはいえ、このカテゴライズは、なかなかに難しい。分類者の起点はどこにあるのか、結局、誰にも言えないからだ。

 賀川一人をとってみても、彼は明確に西方の子である。なぜなら罪の問題を自覚的に取り扱い、贖罪を中心に神学を展開するからだ。しかしながら、晩年の賀川は、悪の問題を考えて、神との合一の方向へと思索を深めた。罪の問題を悪として理解し、原罪を名指すことなく措定し、万物と神の和解、復興、合一という方向性は、東の道といえる。ウクライナをめぐる教会の問題は、ここでは置く。

 つまり、ある一人の思想家をとってみても、彼のキリスト教信仰は、モザイクでありマーブルであり、ある意味では玉虫模様だ。観測者の視点と立場によって、色合は変わってしまう。しかし、それが対象の輪郭を3Dモデリングのように彫刻する。

 誰かの信仰を考えるというのは、このように高度なレンダリングを必要とする作業になる。自身の信仰でもそうだろう。

 信仰とは何か。考えている間に、ぼくの時間は途切れて、やがて終わるのだろう。とくに残すこともないのではないかと思う。書くことで次が開けて、続くことがしんどいのだ。しかし、ぼくのような駄文書きの読者となってくださる奇特な方があることの喜びを知りつつある。アーギュメンツやら論文やらを書くことで、全く見ず知らずの方が読み、おもしろいと感じてくれることがある。

 個人的に、アーギュメンツ#3にキリスト教徒として寄稿できたことは、大きなことだと考えている。自画自賛ではない。歴史の妙、または見えざる神の御手だ。

 明治から大戦まで、日本の文学と批評の一角にはいつもキリスト教があった。なぜなら「西洋をどのように咀嚼するか」という点において、両者の営みにある種の同質性があったからだ。だから、内村鑑三、新島譲、新渡戸稲造、海老名弾正、植村正久など、数多の先達には批評性があった。しかし、おそらく、その批評性は、内村の弟子である南原、南原の弟子としての丸山眞男において、教会から失われたのではないか。

 ぼんやりとそんなことを思うとき、いわゆる「批評」の世界に、キリスト教徒として寄稿できたことは、改めてキリスト教と批評を接続できる地点に、ぼくは偶然立ち得たことを意味する。

 これが、ぼくの信仰ともいえる。信仰とは何か。無意味に考えさせられる秋の夜である。

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