20200622

「ニューヨークイエロー」

こんなに的確に色を表す表現があっていいのか、と思った。

新しい電気ケトルをamazonで探していた恋人が見ていたページをたまたま覗くと、そこには「ニューヨークイエロー」という聞いたこともない色の名前があった。

他にも「トーキョーレッド」「ロンドンブルー」など様々な都市の名前と色が組み合わされていたが、どれも「ニューヨークイエロー」ほどの的確さ、衝撃はなかった。

なぜ自分でもここまでしっくりきたのかはよく分からないが、なんとなくニューヨークという単語から連想されるイメージとこの少しくすんだ黄色がうまくはまったのかもしれない。

例えば、あの黄色いタクシーとか、ホットドッグのマスタードとか、アメコミの黄色い太字で誇張されたオノマトペとか、よくよく考えればニューヨークにあるくすんだ黄色は簡単に思いつく。

だが、「ニューヨークイエロー」の的確さは、具体的にニューヨークにあるものというよりは、もっと抽象的であいまいなイメージからくる的確さであるように感じた。

あえてひらがなでかくこと

「あえてひらがなでかくこと」と「あえてフィルムカメラでとること」は似ているなと、最近短歌を作るようになって感じる。

2つの行為に共通するのは、その異化作用にある。

フィルムカメラで写真を撮影すると、フィルム独特の色になったり、変な線が入ったりする。明らかに普段目で見ている風景とは違う物に見えてくる。

「あえてフィルムカメラでとること」の意義は、この見慣れた光景を異化する作用にあると感じている。

短歌において「あえてひらがなでかくこと」も同様に、使い慣れてしまった言葉を異化し、その意味について改めて考え直したり、漢字で書くと固定してしまう意味や解釈を開放したりすることができる。

私たちは「あえてフィルムカメラでとること」「あえてひらがなでかくこと」で、歯を磨く行為を熟練の職人の手さばきにできるし、電車がホームに入ってくる光景を英雄の凱旋にもできる。

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