ついったー短歌⑧19.04〜
街中で涼しげ はねる前髪でひとん家のぬくみ知ってる僕ら
水を張る湯ぶねのひろい稜線が上下する舟を寄せない感情
雀色のコートひしめくバスの中空港を出た顔みな静か
はれの日に目が蛇の目ばかり映すふしぎけもの道外れ喉鳴らし行く
ねずみ算 増えることだけ示されて憚らずに死ね恋 あなたがたの
僕も狂ひたくなる座礁するだけで一日魚と呼ばるる魚
いまそらが君の目に入り目に見えない誰かの血を僕が思う青空
ピリオドはひとのてがうつ煙をはく煙草押し付けるほそきもの見ゆ
流れあるものばかりにて抗うとするならさかなの目を持つ一日
立ちすくむ君の裸体を 曇り日の布感じつつ高きビルディング
いっしんにヒレカツの衣まとうよう いびつなる僕も人と会いたし
母とする思い出話食い違う 夕暮れ行き交うだけの自転車
トイレ行くたびにぱんつと出会いたり物忘れされる雲のかお見る
問い捏ねているうち空に粘っこきからすとふ鳥のいくつ生まるる
天井で雨音きけり休日は膨らんでいくばかりだ一人は
きみのことへんななまえで呼びたそう愛ってほんと、わがままなんだ
等圧線旅していずれ誰よりもおおきな鯨口あけて見る
ここから、連作として作ったものです。
「ハーブヴィレッジ」(二首)
ましかくのぷらすちっくのおんげんが埋まる砂浜にかもめ集えり
今ここに居ることが広い雲になりハーブヴィレッジ居るぼくを見ゆ
「答案の裏側」(四首)
答案の向こうに月が うらがえしうらがえしされてまぶしい昼間
いっぴきでいるのはしまりすではなくて森からはぐれたばかりのねずみ
口答えされない暮らしにりんご買い水分求めてしまりすが来る
しまりすがうろたえて食う りんごでも たねでもわたしの手でも噛みつく
「エアープランツ」(三首)
エアープランツ 大股で家へ持ち帰る 土の要らない風のしょくぶつ
まるっきり漕がない舟が傾いて夕暮れさびしいだけの立ち姿
「さばくって…」言いかけたままでかたまった哲学者かける霧吹き冷たい
「ふきのとう」(二首)
足あとは暑さであろう外構のそとまで茶色いふきのとうの来る
みな頭の後のからだで湖に湯気立たせたる事件 四月は
「たべもの」(二首)
すいみつとももを呼んでいたふるさとのきゃべつに蝶が止まるかんかく
血抜きするレバー埋もれる牛乳とゆうぐれ待つなつかしさ口にする
【後記】
最近本の得意な人と知り合った。わたしは活字中毒ではないけど、活字中毒の人は幼少期から本を読むことでそうなってしまっているのだから、その人なりの哲学を持っているようでなかなか話がおもしろい。
活字中毒というのはもしかすると短歌を読み、その字から感情を読みとろうとする時の感覚と似ているのかもしれないと思った。短歌を、一週間くらい見ていなかった。けどふとめくった本の中に短歌があるともうだめだった。スイッチ入ってしまう。わたし短歌、めっちゃ読みたい…!ひさしぶりに(って言っても一週間程度)短歌にふれてそう感じながら、
あ、これ多分、活字中毒と同じだ…!
って思った。
ポエム、詩、短歌などを作ります。 最近歴史に興味があります。