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生真面目な人とふざけてばかりの人

昨日は「十二人の怒れる男」という昔の映画をみた。今日(13日)は「カッコーの巣の上で」という昔の映画をみた。「十二人」は民間から集められた陪審員の男たち(時代柄、全員白人男性という偏り振りだが)がマジメに殺人罪に問われた容疑者の有罪無罪を話し合うという内容であり、一方、「カッコー」は精神病院に入院した前科のある主人公が病院の権威的な秩序をふざけて撹乱するという話である。

「十二人」は一週間裁判を聞き続けて容疑者の有罪無罪を判定するという任務を与えられた人々であり、いわばその資格があると公的に認められた人たちである。言い換えれば、是非善悪の識別がつく、自分たちが何を話し合っているのか自覚できると認められた人々である。しかし、映画ではもはや裁判を聞くのに疲れ切っていて、推定無罪の原則を忘れてさっさと話を終わらせたい人ばかりになっているというスタートになっている。そして冗談ばかり言い合い、そこに生真面目な主人公が「我々は一人の人間の命を握っているんだぞ」とたしなめるというところから話が始まる。実際、話し合いの始まりの時点では生真面目に推定無罪の原則を守ろうとする主人公に対してむしろ「いかれてる」という非難がある。

一方、「カッコー」では、いわゆる閉鎖病棟そのものよりは患者が動けるエリアを描いているが、病棟をコントロールする婦長がいて、グループで話し合う様子が描かれている。そこでは秩序正しく発言がおこなわれ、逸脱行動を起こした者は落ち着くまで拘束されたり投薬されたりする。婦長はたずねられたり問い合わせを受けると、保留にするにせよ理由を提供するにせよ知的に応答はしてくれるが、ユーモアやふざける様子はまるで感じられない。そこに前科者の主人公が反逆してからかいやユーモア、バカ騒ぎを導入することで他の入院者たちもしばし和(なご)んだり友情を感じることができるという描写がある。ここでは入院者たちは主人公も含めて身体的または精神的に課題を抱えた人たちであり、是非善悪の区別がつかずに保護が必要であり、自分が何をわめいているのかわからずにわめき散らすことさえあるような人々だと、病院の従業員からはみなされている。

正常な人々が正常な手続きに則(のっと)って集団を治めることは確かに必要である。例えば裁判も必要であるし、精神病院も必要である。なぜならば、例えば犯罪は裁かれなければならないし、病気や障害は治療または寛解に至るのが本人にとっても望ましいからである。とはいえ、ジョークやユーモアが許されないとなると、集団は非常に息苦しくなる。「十二人」では真面目な人々が議論を進めるが、裁判での議論(論証)とはジョークやユーモアからはかけ離れたものだ。ここでは真面目さが正義につながるが、一方でそれは訓練のない民間人には情緒的に耐え難いほど退屈であったり屁理屈に聞こえたりするものだ。つまり、彼らはまともな人であるはずだが、まともな人は裁判の厳粛さに耐えかねて感情的に爆発する(怒れる)のである。

一方、「カッコー」の病棟は、むしろ人間をマイナスからゼロ以上のまともさに戻そうとして、厳格な生活秩序を入院者たちに強制する。身体やメンタルに課題があったとしても、ふざけたくないわけでもないし、誰かをからかいたくなる衝動は持っている。ただそれが有害だったり誰のためにもならないから病院にいるというだけだ。ここでは婦長の生真面目さが「十二人」のようにバカにされずに権威と強制力を持ってはいるが、それはむしろ人間性の抑圧、入院者たちへの抑圧一辺倒として描かれている。

「十二人」では不真面目な参加者が厳しく戒められる。「カッコー」でも主人公は危険人物として処分されてしまう。もちろんむやみな侮辱やからかいは良くないのだが、どちらの作品にもユーモアへの許容度が欠けている。少し襟(えり)を緩めてユーモアを入れなければ、あるいは休憩を入れなければ、陪審員の話し合いも精神病院での生活も殺人的なものになってしまうだろう。なぜならば、ユーモアは我々の人生の重要な一部だからである。

例えば、私自身、そんなに極端な体験ではないが障害者向けの就労移行支援に通って入所者の一員として三ヶ月ばかりプログラムを受けたこともある。入所者はみんなかったるそうに与えられた作業をしていたが、ときどきは冗談を言い合って楽しんでいた。また職員の人もときには毅然とした態度を示したが、入所者と掛け合い漫才のようなトークを繰り広げていたりもした。その辺は職員の人も一方的に保護したり権威によって支配する対象としてしか入所者をみていないというわけでもなかったなと個人的には感じていた。

もちろん未だに権威的に「患者たち」を支配しなければこの現場は回らないのだと信じて組織や施設を運営している人々もいるには違いないが、そういう組織が生き延びてしまわないように、あるいはそこにいる人たちがいずれは脱出できるように切に願いたい。

(2,033字、2024.03.13)

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