映画「きみの色」; Not for Meでした
先日、映画「きみの色」というのを拝見した。一言で端的に申し上げれば、「セーラームーン」であり、私には Not for Me であった(セーラームーンがNot for Meという意味ではない)。
したがって、以下は私が何を見たかを分析して列挙するばかりである。For Me な方には参考に成らない可能性が高く、またネタバレを含む。
セーラームーン
まず「セーラームーン」との共通点は、
(1)全体的な演出が少女漫画のそれだということである。特にそれが決定的だったのはエンディングのスタッフロールであろう。1980年代のアニメを彷彿(ほうふつ)とさせる左側に窓や主な登場人物を配置して、右側にスタッフロールを流す演出である。
(2)次に非常に単純なことだが、主人公が金髪で色白だということである。さらに、行動的(いわゆる〝おてんば〟)であり、おっちょこちょいでもあるということである。これは監督の山田尚子氏かもしくは脚本の吉田玲子氏が意図的にセーラームーンまたは少女漫画の象徴として主人公にそのようなルックスを付与していること、また、どうやら長崎の施設から提供を受けているので非日系の血が入った人物を主人公に据えたかったこともあるであろう。
(3)ここで、セーラームーンは「少女漫画」の象徴として持ち出しているという私の意図があるが、実際に学校の中で少女漫画のレーベルを読むシーンがある。また、主人公はことあるごとに身体を回転させる(その必然性は主人公がなぜか幼少期にバレエを習っていたことに由来させられる)ことも、古典的なリミテッドアニメーションの特に変身シーンやロボット合体シーンなどの「バンク」でみられるフルアニメーションで絵を描くコストがかけられないことから来る「回転」の多用に由来がある。
古典的少女漫画の要素を盛って来る
その他に少女漫画の要素を挙げると、
(1)小動物、特に白猫を登場させること、
(2)修道院が経営する女子学校、可愛い制服(腕にイクトゥスのマークがある)を登場させること、またその校則を主人公が友情のために破ること
(3)性欲が全く無く、なおかつハイスペックな男子が登場すること(しかも「耳をすませば」などと同じく最終的には「遠く」に行ってしまう!)
それでいて、「いじめ」のシーンなどはまったくない。水着や温泉シーンもない。流血も鼻血しかない。純粋な青春である。非常に現代的である。本当に男子が出てくる必要があったのだろうか?
古典映画・古典アニメで見せたいシーン
監督が見せたい演出、見せたいシーンをひたすら詰め込んでいるのは伝わってくる。例えば、以下のようなシーンは映像として「おいしい」だろう。
(1)キャンドルを灯(とも)す。主人公たちが島から本土に戻れなくなり、木造の教会で過ごすシーンがある。そこでなぜか主人公たちはキャンドルをわざわざ持ってきて灯すのである。どう考えても、本物の蝋燭よりも何等かの電灯の方が調達しやすく安全であるにもかかわらず、である。したがって、それはキャンドルの中でラジカセや古びた音響機器を見つめる主人公たちや、昔習ったバレエをキャンドルの光で踊る主人公をみせたいが故に設(しつら)えた状況だとしか思えない。
主人公の色の共感覚も、冒頭で詳しく説明される割にはアニメの特徴である光の演出を正当化もしくは強調するために持ち出されたようにしか思われなかった。
ところで、欧州の古典映画では正式なディナーをおこなう場合、かならず長いキャンドルをテーブルクロスの上に置く。そのような風習がどれぐらい普及しているかどうかはともかく、実際キャンドルは画面映えするからである。そのようなシーンを明らかに意識しているのではないか……と私には思えた。例えば映画で言えば「八月の鯨」(1987)という作品が思い浮かぶ。
(2)島のシーン。海と陸、島へ船で渡るシーン、かっこいいメガネ男子が勉強したり機械をいじったりしているシーン、主人公たちと重なるような飛び方をする海鳥たちのシーン、これらもぜひとも挿入したいシーンである。反対に修学旅行のバスのシーンがもしあったとしたら、人物が多いわりには迫力もなく、作画コストも高いため回避されたのであろう。
(3)バンドシーンで踊るシスターたち。ハッキリ言って現実味の無い男子が出てきた時点でリアリティはかなり下がっていたが、学長や教師が生徒の音楽で二人で腕を組んで踊り出すというのは、日本人が実写でやるのは到底ムリだし、アニメでもかなり厳しいというかギャグである。とはいえ、映画「天使にラブ・ソングを…」(1992)のようなノリでそういうシーンを入れたかったのかもしれない。
(4)主人公の旋回と惑星の軌道を重ねるのは、フランク・キャプラの映画「或る夜の出来事」(1934)を持ち出すのは古すぎるであろうが、「ジェリコの壁」のような見立てを感じた。そのような真円の構図やモチーフは噴水を真ん中においた学園の中庭や、きみちゃんのおばあちゃんがメニューを置くシーン、主人公が開けた水平線をみつめるシーンなどでいわゆる「日の丸構図」としてときどき顔を覗かせる。それら以外はむしろ、必ず人物は左右どちらかに偏って何かしらの内省を伴っていることがほのめかされている。
ただし、キスシーンや露骨なラブシーンは主人公含めて一切ない。
脚本
少女漫画的、あるいはいわゆる「やおい」的といえばそうなのだが、ドラマ性は削ぎ落とされている。私としては途中までみて、「これは誰か死なないと話が締まらない。必ず死ぬはずだ」と思ったのだが、結局誰も死ななかった。主人公たちがそれぞれ抱える家庭の問題の扱いも非常に軽く、誰かが怒鳴ることもなくサラッと流されるだけだ。そのシーンを掘り下げるには尺が足りなかったということかもしれないが、そういうところを見てほしいわけではないのだとも取れる。言い換えれば、そういうドラマチックだとか情緒の上下よりも上記に書いたような古典的で見ているだけで楽しい演出を並べて詰め込むことに注力した作品であったかと思った。
(2,480字、2024.09.27)
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