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概念の隠れた規範性

例えば「芸術」などの概念に典型的なこととして、記述的な用法と規範的な用法とが混在して使われる現象がある。「これは芸術だ」という発言は、単に「これは哺乳類だ」と同じように、あらかじめ決められた芸術の定義あるいは条件に当てはまるから使われる場合(記述的)もあれば、「(いわゆる芸術ではないかもしれないが)これこそが芸術と呼ばれなければならない」と書き換えられる場合(規範的)もあるのだが、表面的に区別できない上に同じ論争に載せられたりする。

さらに、「芸術的」と「的」がつくと意味がぼやけてくる。これは「記述的に芸術の度合が高い表現である」とも読めるし、「記述的にも規範的にも芸術とは呼べないが芸術っぽくみえる」とも読めるし、もちろん「ここまで強度が高い表現ならば、むしろ日用品ではなく芸術そのものだ!」と規範的にも読めてしまう。

同様に、「あなたは人間である」という文も様々な意味に取れる。これの規範的な意味は二つに分析することができるだろう。

第一の意味は「あなたは人間と呼ばれるにふさわしい振る舞いをしなさい」「人間として典型的または理想的な振る舞いをしなさい」ということである。この意味には、あなたは生物学的なヒトではあるものの、まだ人間未満である、人間としてふさわしい境地や立ち居振る舞い、是非善悪の判断能力に達していないというネガティブな含みが前提もしくは背景としてある。あなたはまだ登るべき場所に上れてない、ということだ。

一方、第二の意味は「人間を辞めるな」「既に獲得し保持している典型的な人間のあり方から外れてはいけない」である。これは人間的/非人間的といった線引きに注意が向くときに自覚されやすいものだろう。人間が人間として成立する(生きていく、もしくは人間の共同体に留まる)ために一定の規範が必要であり、そこから大きく、ましてや不可逆的に逸脱するな!ということである。この意味には、あなたはまだかろうじて人間の姿形、アウトラインを保っているという含みがある。言い換えれば、あなたは今いる場所から落っこちるな!ということである。

つまり、「あなたは人間だ」とか「人間になれ」とか、そういう規範的な物言いは、上にも下にも逸脱し過ぎないように「人間」の一定の範囲に身体を納めなさい、パンツを履きなさい、ネクタイをつけなさいという申し渡しである。

なかなかこれは発言者に都合がよいものである。というのも、「人間」とは何か詳しく説明しなくて済むかもしれないし、なんなら規範的な意味でなく単に記述的な意味で使ったのだと言い抜けできるかもしれないからだ。「君も人間だ」と言われているとき、あなたは人間概念というピンで、壁にピン留めされている。少しずるいこのような言い方に気をつければ他人の言葉にもっと柔軟な態度を取れるかもしれない。

(1,162字、2023.11.14)


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