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利益は意見 Profit is Opinion

数学はときとして実用的な要求から生じる。例えば、確率論はギャンブラーにとって有益であり、複式簿記 double-entry book-keeping は商人たちにとって有益な方法だった。確率論があれば、ギャンブラーはどのように賭けるのが少なくとも不利でないのかを判断することができる。また複式簿記を学べば、自分の事業において結局この会計期間で利益 Profit がプラスなのかマイナスなのかがわかる。なお近年はまた投資ブームだが、これを支えるものは特にリーマンショック以降悪名高い金融工学であり、これは工学とは名乗りつつも儲けるためというよりもむしろ損しないやり方を教えてくれる学問である。

利益について言えば、これは会計学においても難しい概念だ。しかし、それはキリスト教神学における救済のように中心的な概念だからでもある。つまり、利害関係者の誰もがそれに注目する。理由は簡単だ。それが利害関係者 stake-holders への分け前の原資だからである。一方で、利益概念はなぜ難しいのか? それは利益は必ずしも手元現金、つまりいわゆる現ナマだとかキャッシュの形態で存在するとは限らないからである。言い換えれば、利益は事実的に、物的に、誰にとっても同じ形態・値打ちで存在するわけではないからである。例えば、利益が認識=計上されていても、それは将来売れるかどうかわからない商品在庫や評価益(未実現利益)かもしれないし、反対に仮にキャッシュが潤沢にあってもそれは借金によって手に入れたものであって、利益として認識できないかもしれない(とはいえ、たとえ借金であろうと常にキャッシュが借りられるだけの源泉である無形の「信用」は事業家にとって重要かつ見えない資産である)。

利益を計算するには大きく分けて二通りのやり方がある。いわゆる財産法と損益法というものだ。財産法とは期首(一会計期間の初日、例えば4月1日)の財産目録の有高(ありだか)と期末(一会計期間の末日、例えば3月31日)の財産目録の有高とを比較して差額を出すというものである。例えば期首に合計300万円の資産を持っていたものが、期末に数えてみると資産額が360万円になっていれば、利益は+60万円であるという具合である。これは在庫の棚卸しなどは大変かもしれないが、最終的な計算も含めて、一会計期間に一回(例えば年に一回)おこなえばいいので楽である。一方で、損益法というのは毎回の取引の蓄積によって利益を数えられるとするものである。というのも、取引ごとにいつ誰と何を単価いくらで数量いくらで取引して、プラスになったかマイナスになったかを記録していけば、その残高の最後には通期の損益が現れるはずだからである。例えば、第1四半期に+10、第2四半期に+40、第3四半期に-10、第4四半期に+20、であれば通期では10+40-10+20=60の利益が出たとわかるというわけだ。これはもちろんそれぞれの取引記録が正確であることが前提である。損益法は地道で大変だが客観的なやり方である。そして、財産法で計算しようとも損益法で計算しようとも、利益の額面は一致するはずであり、そのように二面計算をして利益の答え合わせをする(そして合わない場合には適切にどちらかを修正する)のが複式簿記の「複式」の意味である。

ところで、実際財産法によって計算された利益と損益法によって出た利益とが食い違っていることはあり得る。それは計算ミスのためかもしれないし、何らかの不正があったためかもしれない。しかし、とにかく合っていないとする。財産法によって出た利益というのは有高にもとづくものであるから、それが正しい利益額かどうかはともかく、一応関係者に分配可能である。一方で損益法にもとづく利益額は財産法に基づく計算結果よりも客観性または信頼性が高い。なぜならば、損益法では誰といつ何を取引したかの記録(つまり、仕訳)が詳細に残っているからである。例えばあなたが株主で利益の1割をもらえるとしたとき、財産法で計算したら60億の利益が出ていてそこから6億もらえるところを、損益法で計算したら50億の利益しかなかったから5億しかもらえないとなったら不満であろう。その場合は株主としては議決権を行使したり株式を売却するなどしてその都度の対策するわけであるが、やはり会社としてそういう差異が出続けるようでは困るわけである。少なくとも誤差の範囲(cf. 重要性の原則)に留まる範囲で、当期の「利益」額について、利害関係者との落とし所をみつけていかなければならない。なぜならば、そうしなければ恨みを買って評判を落としたり不適切な会計であるとして当局から指導や制裁を受ける可能性が出てくるからである。

このように財産法という計算手法と損益法という計算手法との間ですら軋轢(あつれき)があるので、そこに簿価(実際に過去に取引された客観的な価格)と時価(現在の市場で取引し得るとされる主観的な価格)とのズレまで入れると、「利益」がいくら上がったのかだけでなく、利益概念そのものをどうにかして固定して何か硬くて説得力のある岩盤にネジ止めしなければならないであろう。会計学の意義と苦悩もそこにあると思われるが、私はまだ学んでいる途上である。

(2,165字、2024.03.12)

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