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おかねは人を変えるー担当していた会社が潰れた時の話 その2

その1はこちらから

こんばんわ、こんにちわ。おはようございます。読んで頂き有難うございます。

前回に続いて、銀行員時代に担当していた会社が潰れた時の話をしたいと思います。

A工業には専務がいて、あまりない例ですが、その専務もA工業の連帯保証人になっていました。A工業が手形不渡りを出したその日、専務にも当然電話し、今後の予定について話を聞いていて、社長と同じように「自己破産する」と聞いていました。

けれど、A工業、A工業の社長が破産した通知が来たあとしばらく経っても、専務の破産通知は一向に来ません。(当然、専務の個人口座も凍結してます。)電話で確認しても中々つながらず、おかしいなと思っていたある日、電話がなりました。

「なんでワシの個人口座が使えんようになってるんじゃ!!金を引き出させろ!」

以前から知っていた専務と同一人物とは思えない程の剣幕で電話口でまくしたてます。

「不渡りを出された日にご説明させて頂いた通り、専務も連帯保証人になっておられるので、ご個人の口座にもストップを掛けさせて頂いているんです。最終的にはお貸出の残高と預金を相殺させて頂くことになります。」

「そんなん知らんし、人権無視やろ!」「銀行の横暴じゃ!金融庁にゆうてやるから待っとれ!」。。。ガチャンと電話が切れました。

恐いなどというより、その変貌ぶりにただただ唖然としてしまいました。その後、実際に金融庁にも行かれたようですが、思っていたような回答は当然得られなかったようで、何度も上と同じような電話がかかってくる日が続きました。

銀行としては専務の同意が無くとも手続き(=預金との相殺)はできるのですが、人としてもそうですし、きちんと理解してもらうべく何度も説明します。何度も何度もかかってくる電話。電話口の罵声。

突然来店されたこともあり、応接室が無かったため100人収容の大きな会議室で長テーブル越しにぽつんと3人(上司・私と専務)でお話したことを今でも鮮明に覚えています。

「もう堪忍してや。。。。」

最後にお会いした時、そう言われてました。


専務の預金と貸出を相殺する日、内容証明郵便という特殊な郵便を郵便局に持っていくのですが、その道を何とも言えない、悲しさと、ようやくひと段落するという安堵とが入り混じった気持ちで歩いたことを良く覚えています。

社長も専務もある有名な国立大学を出られ、大企業に就職した後、連れ立って独立され、長年会社を経営されてきました。その人生の晩年がこのような局面を迎えること、そして孫ほど年の離れた若造の銀行員にお願いしなければならないこと。。。その気持ちははっきりいって想像できません。今でもできません。

その後の社長とも、専務ともお会いすることはありませんでした。

A工業のHPは今でも更新されないまま残っており、まさにネットの海の残骸のようにネットを漂っています。たまにそのHPを見ては、当時のことを思い出します。

現時点での私の考えとしては、「おかねは無いと困るが、それだけでは幸せになれない。」当たり前の答えに辿り着いただけかもしれませんが、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。それでも、「衣食足りて礼節を知る」というコトバも真実だと思ってます。

おかねって何ですかね。。

読んで頂き有難うございました。



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