「私」を諦める

年々花粉症が軽くなっていてうれしい。やっていることといえばR-1を定期的に飲んでいるぐらいで、何の参考にもならないと思う…。

仕事を減らして少し休むように、と医者に言われたにもかかわらず、「3月までこの仕事手伝ってください」と言われ、二つ返事でOKしてしまった。自分はどうやら「断れない人間」らしいということを初めて知った。


さて、今回のタイトル、なんのこっちゃという話だが、そのためにはまず私の性自認について話す必要がある。

私は自分をノンバイナリーと女性の中間だと思っている。
身体的違和感はなく、生物学的に「女性」に割り振られることに辛さはない。
ただ、社会的「女性」というものにひどく抵抗がある。女性「らしさ」を自分が持っていることについて恐怖感があるし、他者が自分を認識する際のカテゴリー化の第一位が「女性」じゃありませんように、と常に思っている。「女性」とみなされることに苦手意識がある、という感じだ。

(ちなみにこれは後天的な社会的な要素が大きく、特に高校時代の経験が大きい。私はスクールカースト下位の生徒で、化粧もせず可愛らしくもなく積極的でもない私は、挨拶したら笑われ、無視され、どうしても話す必要があるときには目を逸らされ、という経験をしているうちに、「女性」であるアイデンティティをべこべこにへこまされたのだと思う)

自分の性自認を話してきたが、私のそれは思うに、婚活市場と相性が悪い。日本の婚活市場は「男女」が行うものである(なぜ「日本の」とつけたかというと、ただ他国を知らないからであって、大意はない)。
「男性」のラベルをつけた人と「女性」のラベルをつけた人同士が話したり、一緒に出掛けたりして相性を探っていくというイメージだ。

つまり、自分から「女性」のカテゴリーを前面に押し出していかなければならない。これは私の性自認からするととても辛いもので、今まで婚活・マッチングアプリなどからは一切逃げてきた。

だが、このnoteを読んでくださっている方はご存知かもしれないが、私は自分の家系の跡取りである。結婚し、出産することが私の役目だ。もう自分の名字を名乗る未婚者が私しかいない以上、私がもし出産しなければ、それで私のお家は断絶なのである。

そして私は恋愛がへたくそ。今までうまくいったためしがない。

タイトルの意味を理解した方もいるかもしれない。
恋愛が下手+跡取り=婚活の必要性⇔自分のアイデンティティ
という構図が長年の課題だった私は、今、一つのことを諦めようとしている。

それが、「私が私であること」だ。私が自分のアイデンティティを押し殺しさえすれば、婚活ができる。「女性」として扱われる嫌悪感・恐怖感に耐えて、前に進める。というか、現状前に進むにはそれしかないと思う。

ユースたちと関わる中で、「あなたはありのままでいい」と言い続けているくせに、私は少し先を生きるユースの先輩として前例を作ったり、少しでも社会を変えたいと思っているのに、ありのままで生きることを諦めようとしている。

絶望感は大きい。なんてったって、自分を押し殺して生きていこうと思っているのだから。これから我慢することなんて百も二百もあるのに、今からこんな自分の根幹にかかわるものを自ら否定して生きていくことになるとは。

このnoteが、これからを悩むユースの目に届いてほしくないなと思っている。でも吐き出さないとやってられない気持ちもなくはない。

(しあん)

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