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【エッセイ】"普通"のことが"普通"に出来るのも個性

"普通"

この言葉をどう感じますか?
ポジティブ?ネガティブ?

"多様性"が一人歩きしている今、"普通"は古い価値観/固定概念/バイアスを押し付ける時によく使われる。

「結婚して子どもを作るのが"普通"の幸せ」
「女性が家のことをやるのは"普通"」...etc

または、つまらないやつといった意味でも使われる。
特出したところがなく、おしなべてどんなことも下手でも上手くもない。

だから、何か劣っている部分がある方が、その代わりに何か秀でている部分があって、人間的に魅力だと思われる。

「普通」
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

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だが、普通のことが普通に出来る人も十分素晴らしくないだろうか。

規則正しい日常生活を送り、仕事では遅刻をせず、タスクをこなし、ミスを最小限に留める。その努力もする。

だけどそれは普通であるが故に目立たない。
なぜなら普通だからだ。グラフにすると0なのだ。
できて当たり前だから。

でも何かが劣っていて、その分何かに秀でている人は、マイナスとプラスにグラフが振れるのだ。本来であれば0で同じはずなのに、グラフの波の形だけ個性的に見える。

このグラフに見立てた"個性"の話は、よく教育とセットで語られることが多い。

こんな話を目にしたことはないだろうか。

ある学校でクラスに馴染めない子(Aさんとする。)がいた。Aさんは集団行動が苦手だったり、みんなと同じことができずに、クラスメイトからも疎まれている。だがAさんは学校で学ぶような内容ではない分野の知識が豊富だったり、天才的な才能を持っていて、そこを伸ばすと一気に名を成すほど能力が開花した、と。

そこでは生徒全員に同じ教育をある種工場のように施す学校が非難される。もっと各生徒に合わせたものをと。

ここで教育について論じるのは、知識不足のため避けるが、私が言いたいのは、そういった特殊な個性や才能を持った子では馴染めないような日々の学校生活をきちんと"普通"に送りきった子もまたいるということだ。

Aさんが学校に馴染めず、四苦八苦している過程で確実に迷惑をかけた"普通"の子が存在しているはずだ。その子は本当は守りたくなかったルールをいやいや守っていたかもしれない。Aさんのような子のために自分の利益に関係なく動いてあげた子がいるかもしれない。

Aさんのような子だけ特別扱いされてずるいと言いたいわけではない。Aさんも"普通"のことが"普通"に出来る子もみんな素晴らしくて、そこに優劣はないと思うのだ。

何かが苦手な分、何かに秀でている人。
ほとんどのことが"普通"に出来る人。
そのどちらも素晴らしい。

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