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「問い」を立てる(オープン社内報 #150)

大学院にて「問い」をテーマとした授業を受講した。
そもそもと問いを立てるとはなにか?
授業を聞いていて思ったことや、
最近の出来事から感じたことを
含めてまとめてみたいと思う。

そもそも問いを立てるとは何か?

自分の人生における問いとはどんなものがあるか?
一番自分自身が理解している自分について、
人生をフラッシュバックさせて考えてみた。
幼稚園の頃の記憶として足が速い自分、
それをほめてくれる親や先生に対してとても良い印象を覚えている。
高校のころ付き合っていた彼女にフラれたことがショックで
しばらく傷心状態だったことを覚えている。
大学時代は一念発起して留学を決意し乗り切った充実感や
得た経験から自分自身に自信をもった。
それらの事を思い出して、
人間として生を受けたうえで
「何でそういった感情を抱いたのか?」
という問いを自分自身に立てた。
さらに深堀すると、
「そもそもどうせ死にゆく人間なのに、何故喜怒哀楽といった感情を持つのか?」とも問いを立てた。
自分なりの結論として人間は、
「魂」を持っておりその魂に依存しているのではないか?
という問いに進化していった。
更に突き詰めると、
「人間は輪廻転生しており、現世の修業期間を過ごしている一過程なのでは?」
と、問いを立てることを深堀していくと面白くなってきた。

創造性・価値性・社会性

大学院の授業の中では、
創造性・価値性・社会性というテーマで
問いを立てながら授業を聞いていった。
先生方から色々な角度からのインプットをもらう。
それらからの気づき・問いも興味深いものだった。
創造性に関しては、
愛を前提とした「真善美」なのではないか?
真とは自分自身のワクワクする想い。
善とは他者と分かち合える共通善。
これらのバランスが取れた時に美しさ(創造)が生まれる。
人生とは真善美から創造されているのでは?
という問いに至った。

次に価値性とはなにか?
そもそも人生生きてきたプロセスがことなるので、
人それぞれに価値観は存在している。
合う・合わないは当たり前である。
そのことを前提として、
価値観の違いさえ認め合えれば、
世の中混沌としないのではいか?
そんな問いが生まれた。
しかし、混沌とする世の中だからこそ人は成長を重ね、
成熟へと進んでいくもの。
そんなことも感じた。

社会性に至っては、
弱いネットワークで緩く繋がることも大事。
という授業だった。
そこで私が立てた問いは、
強いネットワークも弱いネットワークもどっちでもよいのでは?
ローカルな課題vsグローバルな課題
スタートアップvsゼブラ
地方vs都市
どっちも答えではないし、
どっちが正しいなんてわからない。
ワクワクする道を選んで、
偶発性からそれが合流する瞬間ですら
楽しめればそれでよいのか?
そんな問いを立てた。

強い紐帯・弱い紐帯

参照URL:https://www.zukai.site/entry/2019/05/25/185813

授業の中の価値観で感じたこともシェアしておこう。
EOの月例会にて、
素晴らしい経営者のお話を聞いた。
数十億の資金調達をしており
まさに「強い紐帯」の中で思いっきり縦に尖って突き進む方だった。
自分には持っていないものだったので、
リスペクト以外感じない。
一方でEOは「弱い紐帯」緩く異業種とつながり
自己探究をして成長するための組織。
その強い紐帯に生きる経営者は、
弱い紐帯のEOでは今時点では興味は示さないという。
一方で私の価値観としてはこの弱い紐帯が大事と感じるので
価値観は異なるものだと感じた。
ただ、どっちでも良いのだろうと思う。
もともと強い紐帯にいた側の人間も、
弱い紐帯に興味を示すときもくるし、
弱い紐帯から、強い紐帯を欲したりもする。
人生とは偶発性の連続であるが故、
どっちでも良いのであろうかと私はおもった。

おわりに

最終的にたどり着いた問いについてのアンサーは、
「人生は一度きりしかない」ということ。
私は信じる派ではある輪廻転生だが、
そうはいっても今の人生は一度きり。
仮に魂が来世に引き継がれるとしても、
今の自分自身は一度きりという事実に変わりはない。
人間として真善美を追求し、
一生懸命生きていこう。
そうそれが一番だよね?
という問いを立てつつ生きていこう。
とそう感じる。

今日も明日も一生懸命頑張ろう!
わっしょい!


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