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道草の家のWSマガジン - 2023年3月号

だれかの話 - UNI

車、西へ進む。
四日後、オホーツクに着く。
一旦、西へ進む。

富士の宝永火口、右眼に流れる。
春の空、霞む。
静岡、とにかく長い。

愛知、あっというまに流れる。
工場、「ランクルのふるさと」だという。

車、西へ進む。
空、黄色に霞む。
LINE、「それは黄砂」。
LINE、母からの。

四日後、オホーツクに着く。
一旦、西へ、着いた。


犬飼愛生の「そんなことありますか?」④

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「ピザ」
 自宅の近くにピザ屋ができた。デリバリーのチェーン店のピザ屋だ。このピザ屋、デリバリーをしてくれるが自分で取りに行けばピザ代を半額にしてくれる。たとえば2000円のピザならそのまま半額の1000円だ。自宅からピザ屋までは徒歩2分である。近い。これは取りに行かない手はない。なんせ半額なんだから。そもそも、半額でも利益がでるピザって原価はいくらなんだ。デリバリーピザの半分が人が自宅まで運んでくれるという人件費だったとは。まあそうかもしれない。人がわざわざ自転車やバイクに乗って自宅まで来てくれるのだ。それくらい人件費というのはお金がかかるものなのだ。この「自分で取りに行けば半額」というシステムを最大限利用して、我が家は時々ピザを食べる生活を楽しんでいる。
 この日は特別に「自分で店まで取りに来ればⅯサイズのすべてのピザが1000円」というキャンペーンをやっていた。これはお得だ。今夜はピザにしよう、と私はさっそく家族と相談して注文することにした。最近はすべてアプリから注文する。ひとつは一番元値が高いピザをチョイス。最大限のお得感を得たいのはこれ人間の性というもの。そして、私は見つけてしまったのだ。「シェフピザ」という新しいシステムを。これはいわばカスタマイズピザのこと。自分で好きなトッピングを選んでオリジナルのカスタマイズピザにする。おお、いつの間にこんなシステムができたのだ? と思いつつ、私はときめいた。これだ、これにしよう。実は私は無類のパイナップルピザ好きなのだ。パインジュースやパイナップル味のお菓子には特に惹かれないのだが、以前ここのピザ屋で注文したパイナップルピザがとてもおいしかったので時々注文している。しかし、いつも「もうちょっとパイナップルが入っていればなぁ」と思っていた。この「シェフピザ」ではⅯサイズの場合、3つまでトッピングを選ぶことができる。ならば、この3つのトッピングをすべてパイナップルにすればよいのではないか。トッピングはパイナップル、パイナップル、パイナップルで心行くまでパイナップルピザを堪能できるのでは、と考えた。だからアプリのトッピングの選択画面からそう選んだ。ベースがトマトソースなのはデフォルトだった。トッピング欄のチーズに最初からチェックが入っていたが、これを外さなければパイナップルが2つしか選択できないため、チーズを外してパイナップルを3つ選択した。よし、これで念願のパイナップル3倍盛りのピザが食べられるであろう。今宵私はパイナップルピザの大海原に漕ぎ出そう。一面のパイナップルピザ。パイナップルピザのボートに乗った私は太陽や人魚の祝福を受けるだろう!! Under the Sea!(脳内でリトル・マーメイドのテーマソングを再生)。しばらくして、そろそろピザをお店まで取りに行こうと思っていたところ、私の携帯が不穏な着信音を知らせた。なんだ? 注文が混みあっていて予定時間に出来上がらないとかかな? と思いつつ、電話に出ると店員Aさんは「ご注文のことで、ちょっと確認があるのですが······」と告げた。「お客様のご注文されたシェフピザですが、トッピングはすべてパイナップルでよろしいでしょうか?」と聞いてくる。はいそうです。こちら無類のパイナップルピザが好きな者です。それがなにか? 店員Aさんは言いづらそうにこう続けた。「······お客様、チーズはなくてよろしいのでしょうか?」はい。こちらパイナップルをいっぱい食べたいだけの者ですからね。「そうしますと、これはピザではなくなってしまいますが······」。そこでようやく理解した。私が注文したのは「ピザ生地にパイナップルが山盛り乗ったただのパイナップル焼き」ではないか、と。チーズのないピザはただのこんがりやけた薄い円形のトッピングパンなのである。パイナップルピザを心行くまで食べたいという私の欲が店員Aさんを困惑させた一夜でした。店員Aさん、わざわざ電話ありがとう。本当にドジとハプニングの神は私を愛している。


いっぱいウソをついたんだ - カミジョーマルコ

いっぱいウソをついたら
いっぱいカラスが死ぬんだって
お母さんがいったから
いっぱいウソを考えて
みんなでいっぱいウソついて
町にはカラスがいなくなって
道もゴミで汚れなくなって
屋根もトントンカラスがうるさくなくって

だからウソをついたんだ

いっぱいウソをついたんだ


その夢の先に - なつめ

 昨秋の移住という夢の一つが叶ったその先に、自分にとって大きな気づきとなるできごとが起きるなんて、私は全く意図していなかった。道草家の方が「意図しないことを意図してた。」と書かれていた文章をふと思い出した。私は意図しないことが起きるかもしれないという心構えも持たない状態で、ただ夢が叶ったことにワクワクしていた。だけど、その夢の先に見落としがたい息子の特徴を知ることになるとは思ってもみなかった。
 小さい頃から人見知りでこだわりがあり、聴覚に過敏さがある息子のことは、今までの生活の中でだんだん特徴として認めていた。母としてわかっているつもりだったが、そのこと以外に何かがあることはあまり気にしていなかった。以前から特定の音や大きな声の苦手で、手先が不器用で、身内以外の人と会話をすることができなかった。それが発達障害といわれるうちの特徴の一つであることも、薄々気になることもあったが、身近な周りの人たちからは、見た目は普通に見え、あまり気にしなくても大丈夫と、言われることが多かったため、あまり気にしないようにもしていた。あまりに気にし出すとそればかりが気になり、気持ちがつらくなったこともあった。成長とともに人見知りもだんだん慣れていくものだろうと思っていた。その特徴が、今回の夢が叶ったその先に、今後見逃せない向き合う必要のある特徴だったということに気が付けたのは、今回の東京から長野県の小さな村への移住生活だった。
 移住後、息子の異変に気が付くきっかけが意図せず訪れた。慣れない学校から帰ってきて疲れているのに、息子が夜眠れない、夜中に頻尿、奇声、自分の頭を叩くなど、今までそこまでなかった症状が出始めた。寒さや地域の環境が違い過ぎて、精神的にも身体的にもストレスなのだろうと思っていた。そのような中でも新しい学校で、真面目にがんばっている息子だった。この村の小学校は各学年1クラスしかなく、しかも保育園からずっと野山で一緒に成長してきた子どもたちだった。東京から引っ越してきた息子はそのような異文化の学校に馴染めず、友だちもできず、毎日一人で過ごし、一日だれとも会話をせずに帰って来ている様子だった。学校で我慢していたストレスを私にぶつけ、私も生活や新しい仕事(小学校の支援員)と、息子の突然の異変行動の中、大変だった。息子は学校では暴れることはなく、おとなしく真面目で、一見困っていてもわかりづらい子だった。私の新しい職場では人手が足りず、いろいろな支援を突然任されたりもした。村の支援員の仕事は東京の小学校では種類別に区別されている支援の仕事を、全部するという感じた。人手が少ない分、一人当たりの仕事量も多いと感じた。だから私は家に帰ったら、まず一時間は必ず休むことにした。それは、学校でだれとも話さず、遊ばないで帰ってくる息子のストレスやイライラのをすべて一人で受けとめるための気力と体力が必要だったからである。慣れるまでは、朝から昼過ぎまでの短時間勤務にしてもらったが、学校での休み時間は会社のような休憩時間はなく、授業の空きコマもなく、給食指導や掃除指導もあり、5分休憩すら、落ち着いて休めなかった。息子の異変を先生方に相談した結果、短時間勤務で5時間目の前にいつも帰らせてもらえたのは幸いで、フルタイムにしたら私は倒れそうと思いながら仕事をした。新しい生活、新しい環境、新しい職場、息子の異変で気力体力ともに休むことが必要だった。短時間勤務にしてもらったのにもかかわらず、毎日仕事の帰宅後、椅子に座って休憩し、頭をテーブルに置いたとたん、気を失うように3秒で寝てしまっていた。息子が学校から帰って来た物音で、いつのまにか寝ていたことに気が付き、また一瞬で寝てしまったと、いつも息子に起こされる日々が続いた。
 息子の通う小学校で支援員として働き始めた私は、息子のクラスに入ることはなかったが、仕事中に廊下などで会うことがときどきあった。そんなある日、息子のクラスが体育館で体育の授業の前の休み時間に一人で立っている姿を見かけた。何をしているのだろうと思い、遠くから見てみると、体育館の真ん中あたりで、ただ一人で固まって、立っているだけの息子を見かけた。少し離れたところで、同じクラスの子どもたちがわいわい話したり、遊んだりしていた。息子はその中に入る感じでもなく、一人でただ立って何をしているのだろうと思った。その姿は硬くこわばった姿勢で違和感を感じた。息子の帰宅後、気になったので聞いてみた。
「なんで体育館の真ん中でずっと一人で立っていたの?」
 すると、
「何もすることがなかったから。何をしていいかもわからなかったから。」
 と、息子は答えた。学校で息子がだれかと一緒に歩いたり遊んだりしている姿を見たことがない私は、息子はだれにも声をかけられず、そのとき静かに困っていたのだった。困っていてもわからりづらいため、外からはいつもほっとかれているように私には見える。それにしても体育館のど真ん中に立っているのは異様に目立つ。息子からだれかに声をかけることもないだろうし、そんな姿の息子にだれかが声をかけてくれる様子もなかった。だから、せめてそういう時は、
「体育館の真ん中で一人で固まって立っているのはやめよう。体育館の壁寄りの方にいたら?」
 と、伝えた。そう言っても、また他の日にも息子の同じ姿を見た。私はその姿を見るたびに、息子の見逃せない特徴を気にするようになったのである。そして、その特徴と今までの異変行動が気になり、本やネットで調べ、スクールカウンセラーさんにも相談した結果、私はショックを受けた。今回の夢の先にあったのは、息子の小さい頃から持っていたであろう発達障害といわれる中の特徴の可能性が大きい。東京に比べて、支援先が少ない村に移住した後のこのタイミングで、ここへ来て、意図しなかった息子の特徴を突き付けられたのである。一番近くにいる私の方が、今までほっといてしまったのではないか。これからどう向き合っていこうか。これから私のやりたいことと、この息子の特徴を知るできごとは、一緒に歩いていくことになりそうだ。ここへ来てそれがわかってよかった。とりあえず、意図しないことを意図するということを意図して、今後なにが起きるかを楽しみにしてみよう。なんとなくこの村でできることをする中で、意図しなかった私の進む道がなんとなく見つかるような気がしている。



体験を書いてしまうと、別のものになってしまう。 - 下窪俊哉

 再び車に乗り込んで、墓地を出ようとしていたら、供養塔の背後に鮮やかな色が浮かび上がったのに気づいた。
 ──あっ、虹ですよ!
 スピードを落として、少し停まり、眺めていた。また走り出してから、
 ──あんな大きな虹はあまり見ないんですよ。
 と彼の母が言った。
 彼の墓を訪ねた後は、彼の姉・Kさんの家を訪ねることになっていた。高台の墓地から走り下りてゆく先は、琵琶湖だ。フロントガラスの中央に見えていた巨大な虹は、やがて右の車窓に移動して、ついてきた。湖畔の道へ出ると、虹は湖に突き刺さるようにあった。虹には円を描く習性があるが、殆どの虹は下半身を隠して半円となり見られる。でもその虹は巨大な、太い柱のようになって湖上に立っていた。虹はしばらく追いかけてきた。

 翌朝、犬と一緒に車に乗せてもらい、マキノへ向かう。農地の広がる高台から坂を降り、山道と住宅地を抜けると松林が見え、やがて人気のない浜に着いた。
 車を降りて、Kさんは犬を散歩させながら、一緒に波打ち際まで行ってみる。灰色の雲が落ちてきていて、殆ど風はない。湖上はしんとして、対岸の山と雲の間にオレンジがかった光が帯状に伸びている。小島の上を何かの鳥が二羽、戯れるように飛んでいるのが見える。波打ち際はゆるやかなカーブを描いて、湖を包み込んでいた。
 湖の恵みのひとつである小川が、すぐそこに見えた。
 ──アサヒが釣りをする川って、もしかしてこの川ですか。
 ──いや、それはもうちょっと大きい川で、あとで通りますよ。
 三叉路に置かれた看板には、縦に置かれた珈琲とカレーの文字の間に左向きの矢印が描かれている。覗いてみると店は開いているのか、いないのかわからない様子だった。
 柿が実をつけている木を、あちこちで見かける。松の枝が伸びて、おじぎしている木にも出合う。旅先ではそんなことも妙に嬉しいもので記憶に残るのだけれど、こうやって書いてしまったら少し違ったような気もする。
 ユウヒとアサヒの住んでいた家の跡地に、案内してもらう。彼らはフィクションの中に生まれた子供たちだが、そこはつまり、モデルとなったKさん一家がかつて住んでいた場所だ。
 ──わたしも久しぶりに行くんです。
 『モグとユウヒの冒険』の表紙に、その家がKさんの絵で描かれているが、写真では見たことがない。これからも見ないでおきたいような気がする。
 空き地になったそこで車を停め、土の上に立ったらすぐに、アッ、と気づいた。あの表紙の家の後ろにある木々が、そこに残っていたからだ。持ってきていた本を、その景色に重ねて眺めてみる。
 ──すぐに、よくわかりましたね。
 ──あの絵で、ずーっと見てましたから。
 その絵の中にある家は、いろんな緑や黄や、赤を浮かび上がらせる植物たちに守られるように建っている。家のなくなった空間のその先には、何かの工場がぽかんと見えていた。表紙の中に戻ると、裏にある工場をすっぽり隠すくらいの草木が、生い茂っているのだということがわかる。


今日の空の色は - RT

2月20日 晴れ時々小雨 橙炭酸色
7時に目覚ましが鳴って起きた。その時は忙しい日になるなんて予想もしていなかった。
鍼灸院に行くのに電車が遅れることも考えられるから少し余裕を持って家を出ようと思ったら仕事に行く日よりも早起きすることになる。と言ってもお化粧をするわけでもなく靴下を脱げるように手首とお腹を出せるように準備をして出かけた。

鍼灸院にはたくさんの細長い小部屋があってそれぞれの部屋に絵や写真が飾ってある。今日は空の写真の部屋だった。来たことがあるかもしれないけどもしかして初めてかもしれない。紫の絵が飾ってある部屋が気に入っているのだけどこの写真もいいな。靴下を脱いで横になって待っている。そのうち先生がいらしたので息苦しいことを伝えて鍼をうってもらった。「これで治るわ。」と言ってもらったのでそういう気になる。とにかく歩いたらいいということだった。この頃ほぼ毎日健康アプリの歩く目標を達成している。息苦しさが出るまではすごく好調に思えていて、先日行った病院でも病気の可能性は低いということだったのでこの症状は2月に入って抗うつ剤を完全に止めたことに関係あるのではないかと思い始めた。それならしばらく我慢すればましになるのではと思えて、歩いて体調を整える方式でいくことにする。
鍼灸院を出ていつも行く喫茶店でモーニングを食べた。メニューを見てしばし考える。ずっと同じにして覚えてもらえたら座っただけでも食べ物を出してくれたりするのかなと、そういうのにも憧れるけどその時の気分によって変えたいので選んで注文する。パンがふわふわで美味しいし感じのいい店員さんばかりで好きなお店。

お腹いっぱいになった。さあ歩こう。数日前にTwitterで大阪市阿倍野の長池公園、桃ケ池公園のことが流れてきた。白やピンクの花がきれいな写真で、いつも電車から見て気になっている場所なのでそこに行ってみようと思った。
JR阪和線の南田辺という駅に降り立つ。歩き始めてからGoogleマップで調べたら正反対だった。危ない危ない。
この町の感じは好きだ。のんびり時が流れている気がする。珈琲専門店があった。シャッターが閉まっていて月曜日、火曜日休みと書いてあるのが残念に思った。公園に着いた。花はどこかな。これは桜だからまだだ、少し咲いているのは梅かな。桃······あっちかな。
ポッポッポーハトポッポーという歌声が聴こえた。見ると親子連れが歌っていて、鳩がいっぱいいた。いいなあ癒される。
男の人がひとり、しばらく歩いたらまたひとり腰かけていた。なんか見られているのを感じる。よそ者が何しに来たんやみたいな感覚。花を見に来たんだよ。胸を張って歩く。歩けども歩けども桃は咲いていない。よく見たら蕾がピンク色に膨らんでいて、でもまだまだ固い様子だった。早く来すぎてしまったのだ。あの写真は前の年のだったのか。まあいいか。散歩したかったんだ。
いいなあと呟きながら写真を撮った。うんと見上げて空の部分を多くして撮った。納得のいく写真が撮れた。きれいだ。
大阪の空はほんとうの空だよ。と誰にともなく言いたくなる。和歌山から出てきて空が狭い、山が見えないと泣いていたあの頃のわたしに言いたかったのかもしれない。

池の真ん中に島があるらしいのだけどそこに行く橋が工事するとかで島に入れなくなっていて、なんかトイレに行きたくなってきた。もう帰ろう。時間を確かめると昼過ぎになっていた。喫茶店を出たときはまだ10時台だったのに。急いで帰宅した。いろいろやることがあるのだ。
すぐには動けない。しばらく放心している。起き上がって洗濯機を回して干して洗濯物を畳んで片付ける。八朔を剥いて白いお砂糖をかけてタッパーに入れる。ミルクティーを飲む。全部飲まないうちに他のことをやり始めて冷たくなってしまう、洗い物をしていたら資源ごみをまとめておかなければと思ってまとめだす、夕ご飯はレトルトカレーがあるわ、ご飯炊いておこう。
わたしの大切なことってなんだろうと考え込む。家事や仕事はわたしを現実に繋ぎ止めている錨のようなものだと思う。無かったらふわふわとどこかへ漂っていくだろう。だから無くては困る、生活はわたしにとって欠かせない部分だ。間違うのもわたしの一部だ、今朝花の咲いていない公園を歩いたのは無駄ではなかった、でもなんて馬鹿なことばかりやっているんだろう。

あっという間にメンタルクリニックに行く時間が来て家を出る。こたつの電気を切ろうと思ったらついていなかった。こたつもエアコンもつけずに過ごしていたらしい。なんてことだ。お昼ご飯を食べる暇がなかった。雲が大きなスルメイカのように見えてしまう。写真を撮りたいけど電車に遅れたくない。今日はこんなに忙しくなるとは思ってもみなかった。
メンタルクリニックでも息苦しさのことを言ってみたら主治医が「セロトニンが足りてないのかも」と言った。そうなのかもしれない。抗不安薬を少し多めに出してもらって、でもできれば飲まずに頑張ってみたいと思った。セロトニンってどうやったら増やせるんだろう。
帰りの電車を待ちながらぼんやりと路線図を眺めていたら、神戸に「和田岬」という駅があるのに気が付いた。行ってみたい。こんど行こうかな。地図で見たら岬では無さそうなのだ。でも行ってみなければわからないと考える自分がいる。何度もお出かけで失敗しては懲りない自分が。

最寄り駅に着くころにはちょうど暮れるところだった。ああ今日の空もきれいだ。地面に近いところがオレンジ色で、上に行くほど透き通って、蜜柑のソーダのようだと思った。別の方向は赤く見えて、こちらはブラッドオレンジかな。美味しそうだ。
心がじわじわと満たされていく。こんなにいい気分なのにセロトニンが足りていないってほんとうなのかな。
明日も歩けたら歩こう。


A Day in the Life - 神田由布子

考えちゃいけないのだ
感じるのか
どこで 胸で? 肚で? 手で?
感じかたがわからない
これはいきかたの問題

だれかが口ずさみ
だれかが弾きはじめ
だれかの声が寄ってくる
転がりだす
リンゴ・スターのドラムみたいに
音でいうならthump?

待つ
合わせる
揺れる
転がる
石に苔はつかない
ただじゃ転ばない
世界がひらきだす
弦が集まり発散する

目をつぶり
文字を払い
耳を澄ませ
胸をひろげ
酸素を入れ
目をあけたら
鼓膜のこちらがわはいろ


今月の表紙・宮村茉希


巻末の独り言 - 晴海三太郎

●先月の「独り言」を読み返したら、その日は雪がちらついていたんですね。1ヶ月後の今日はもうすっかり春で、暖かいというより少し暑いくらい、半袖シャツ姿でこれを書いています。●今月も「WS(ワークショップ)マガジン」、お届けします。「書きっぱなしの荒削りなものを、ここに置いてみて、眺めたり、それについて語ったりしよう」というコンセプトで始めたウェブマガジンですが、本当に粗削りなものが増えてきたかも? とワクワクしています。●毎月書いている人たちには、1ヶ月というのはあっという間かも。じっくり書く余裕のない月もある。何を書こうかサッパリ思いつかない月もあったりして。そんな時、とりあえず何か書いてみる、ことばを置いてみる、ということが書き手を育てるのではないか。●このワークショップはそんな修業のような、お遊びのような場所です。面白がっていただけますように。●初登場のカミジョーマルコさん、編集人とはTwitterにおけるお友達(?)で、今回、送っていただいたのは以前に書いてあったものだそうですが、もちろん、いつ書いたものでもOK。今日書いたと言われても、信じてしまいますけどね。●そんな感じで、 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。ちなみに、お金のやりとりはなし。近所の空き地に遊びにゆくようなつもりで? 現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。●RTさんの文章に不調が書かれていますが、春には毎年、調子を崩す人が多いようで心配です。そう言う自分も、どう? 焦って前のめりになろうとする自分をなだめつつ、来月もぼちぼち元気でお会いできますように!


道草の家のWSマガジン vol.4(2023年3月号)
2023年3月10日発行

銅版画(表紙)- 宮村茉希

ことば - RT/犬飼愛生/UNI/カミジョーマルコ/神田由布子/下窪俊哉/なつめ/晴海三太郎

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 波をよむ会
放送 - UNIの地獄ラジオ
案内 - 道草指南処
手網 - 珈琲焙煎舎
名言 - 霧の中を歩けば、必ず濡れる。
天気 - 鳩羽色
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
心配 - 鳥越苦労グループ
音楽 - 鼻唄コーラス
出前 - 突風ピザ
配達 - 南風運送
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房

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