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道草の家のWSマガジン - 2023年9月号


果実の話 - UNI

 フルーツ。fruit. 実を結ぶ。果実が成る。
 果実はすべて、人間のためにあるのではない。果実は動物に食べられ、糞として落とされることで種子を運ばせた。果実は動物に選ばせるために自らの色を変えた。果実は時に毒を持ち、自らを守った。
 ひとが一人生きる。それは果実である。
 ひととひとが生きる。果実が成る。
 日々が過ぎる。この日々は果実を実らせるために過ぎるのか。実らないのであれば日々はなぜ過ぎるのか。
 少し前にはメロンの小玉を、そして数日前には梨を頂いた。メロンは北海道の近くの地域のものであり、梨は山陰の方から頂いたものである。
 カーテンを開けて眠る私に、彼女が尋ねた。
「まぶしくて起きてしまうでしょう」
 その通りだった。夏などは朝四時の太陽が私を起こす。日が射し始めたことを確認して私はカーテンをしっかり閉めて、もう一度眠る。
「うまく眠れる?」
「私はね、眠るのが上手なの」
「コツがあるんだね」
「そう。ボソボソと喋る人のラジオを普段からチェックしておくことが大切。それを流したら、寝転がります。深く息を吸って、静かに掃きます。それを十回ほど繰り返していると、眠ってる」
「みんなそんなにうまく眠れない」
「体質だね。真似しても、みんながこうやって簡単に眠れるとは思えない。あなたは眠りがうまくない?」
「あなたほどには」
「眠れない人は、眠れない人からのメッセージが欲しいんじゃない? 私だったら、私と似た人と笑いあいたい、かもしれない。でもそうだね。重みのあるものを目の上に置いたり、お腹の上に置いたりしてもいいかもしれない。そうだ、玉ねぎか長ねぎを切ってオーブンで焼くと、眠くなるよ」
「その準備をしているうちに、目がすっかり冴えちゃうよ」
「そうだよね」
 私と彼女はそうやって笑いあった。
 実のある話なんて。眠れない彼女とよく眠る私が時々笑いあえたら。
 果実は成る。青いままで落ちて腐る。赤く色づいて動物に食べてもらう。日々は過ぎ、果実はまた成る。
「今日はきれいな顔
 明日は知らない顔」
(「ストロー」犬飼愛生、詩集『手癖で愛すなよ』)


いちにち - カミジョーマルコ

雨の降る午後

ろうそくの灯をふたりでじっとみている。

光が絶えないように ろうをつぎたしたり
トレーシングペーパーで芯を作ってみたり。

紙に火をつけると勢いよく燃えるのに
ろうの中に入れた途端、紙は芯の役割を始める。
彼は感嘆してじっとみている。

外からねこがひげをぬらしてやってくる。

足をかかえこんでぐっすり眠る。

ゆれるひげ。

目がさめたらつめをとぐ。

もくもくとつめをとぐ。

必ず人に背を向けてとぐ。

もくもくとつめをとぐ。

ろうそくはゆらゆらとゆれている。


アドレナリン- RT

まず何から書いたらいいのか。日頃からいろんな言葉が耳に入ってでもなんとかやり過ごしていたある日聞こえてきた「年寄りは殺したらいい。」「姥捨て山」という言葉に抑えていた何かがプチっと切れた気持ちになった。
ペンを机に投げつけて、頭の中は意外と冷静だった。こんなところにいられるか。帰ろう。でも有給あとどれだけ残ってるかな。4時間使ってお昼から帰ることにして、休暇表に書き込んで「昼から帰ります」と言ったら「はいどうぞ」と言われて怒りを増幅させてしまった。上司のところに行って「お昼から帰らせていただきます」と言ったあと「姥捨て山の話とかしていいんですか!」と怒鳴った。ここはとある公共の場所だ。していい話といけない話があるだろう。すぐ別室に連れていかれてその職員のことを報告。彼も若いからと言われて「若い? フッ」と鼻で笑って、「何考えて仕事してんですかね」「調子乗ってんちゃいますかね」と言ったのは覚えている。
そのあとわたしを採用してくれた課長さんのところにいったり保健室みたいなところに連れて行ってもらって横になったり、大騒ぎしてしまったのだった。
いつもなら寝込むところなのだけど結構予定が詰まっている。まずその日はカウンセリングだった。先生に話を聞いてもらったら先生は「RTさんは正しいことを言ったんじゃないですか」と言ってくださった。肯定するのがお仕事なのだから本当のところはどう思っていらしたかはわからない。鍼灸の先生も「僕やったら本人にブチ切れますわ」と言ってくださった。
家族はそんなに驚かなくて、主人は「頭に血が上りすぎやろ」と言って娘は「思ってること言えてよかったやん」と言った。
そうやんな。この際夢だったコーヒーショップのことを実現に移していく時が来たのかもしれない。兄にラインを送った。「仕事場でこういうことがあってキレてしまいました。お店をやりたいと思っていてその資金がいるので実家の売却の相談に乗って欲しい。勝手なことですみません」と書いた。そしたら「承知しました。」という返事が来た。
弟にはまだ言わんとこう、お姉ちゃんまたおかしなこと言いだしたと言われる。頭に血が上りながら言う相手は選んでいたのかもしれない。でもそのあと兄が「やりたいのはカフェかわからないけどこういうチラシを見つけました」と「カフェ開業講座」のチラシの写真を送ってくれたとき、わたしは兄の事をずっとわかっていなかったのかもと思った。まあまあ落ち着いてとも、ばかなことを言ってとも言わずにいてくれるのは意外だった。でもその時点でだんだん頭が冷えてきていた。仕事を辞めて今の生活費をどうやって工面するのか。保険証や年金はどうする?。毎月何件か引き落としで寄付をしているのもできへんようになるかも。だいたいわたし何であんなに腹が立ったんやろ。だって自分のこと言われたんじゃなくない?
謝ろう。大騒ぎして皆さんに迷惑をかけてしまった。なんか配らなあかん。とりあえず謝ってそれから身の振り方を考えよう。
その次の日は義母の誕生日祝いを計画していた。朝八時に出発。寝込む暇がない。お気に入りのワンピースを着て義母を迎えに行った。奈良ホテルのアフタヌーンティーを予約していた。義母がイギリスで本場のアフタヌーンティーを食べてからずっと行きたがっていて、先日ピーターパンのアフタヌーンティに行ったけどほんとはクラシックホテルに行きたがってるのはわかっていたのだ。
行くからにはそれなりの恰好をしてきてくれるだろうと思っていたら、「ワンピース着ようと思って用意しててんけどな、いろいろ行くっていうてくれてるからな、動きやすい方がいいかと思ってな、」とパンツルックにスニーカーという服装をしていた。「奈良ホテルは観光地にあるからドレスコードはないらしいので大丈夫ですよ。」とにっこり笑ったがこういうのは初めてではない、いつも「ルミちゃんちゃんとしてるな。わたしは難波とかつっかけ履いて行くとこやと思ってたから」とか言って、後悔しているなら次から直せばいいのにもう何年この会話をやっているのだろう。わたし今仕事を辞めるかどうかの瀬戸際なんですけど。
そこからはもうノンストップで夕方まで接待。奈良ホテルでちょっと塩対応をしてしまったけどおとなしい嫁だってくたびれるんですよ。義妹(娘)にグァム行こうと誘ったのに自営の仕事を休めないって言って、お商売ってそんなに大変なんかなあと言った時もキレてしまったけどきっと神様も許してくださるだろう。
嵐のような週末を終えて月曜日しゅんと仕事場に行って謝罪をした。ほんとうなら即首が飛んでもおかしくないところなのだろうけど皆さん寛容にしてくださって、残らせてもらえることになった。
それで懲りておとなしくなったらハッピーエンドなんだけどインボイスのせいで家で怒鳴りあいの大ゲンカ、「こども食堂とかホームレスの支援とか民間の善意でなりたってるようなもんやねん。」そもそもインボイスがなにかわかっていないから別の話になってしまっているけど、ひとりで仕事をしている人を苦しめるようなことがいいことであるはずがない。でも、あれ? わたし何で怒鳴ったんやろ。と我に返って寝た。
ここからがこの文章の本番である。
うちの町ですでにリサイクル業をしているとある会社が産業廃棄事業に乗り出すから説明会をするというチラシを見て、むっとするけどそんなに近くないしなあと思っていたらある知り合いもそのチラシを見ておかしいなと思っていて、共通の友達が覗きに行ったという。
あんまり詳しく書けないのだけどうちの自治会長さんが同じ仕事をしておられて、でも町内にはトラックしか置かずきちんとやってくれている。でも今回は水銀のランプを含む廃棄物を町内に置くというのだ。これっておかしくない? その友達に連絡をとって、説明会怖そうやったら入口で帰ってくることにして一回行ってみない?という話になった。
会長さんのところに行って、奥さんに、このチラシのことなんですけど······と言った。廃棄業に文句を言ってると思われるのは避けたかった。「会長さんとこがあるのに変な人らが入ってくるんちゃうか思って」と言ったら奥さんの目の色が変わったように見えた。「そんなに悪いことはできないでしょう。ちっっさいとこやしね。なんならお父さんに聞いたらええわ。」めちゃくちゃかっこよくて大きくて、姐さんがそういうのなら。とわたしはまるで自分がチンピラになったかのような気分だった。それを友達に伝えたら「まあ行くだけ行ってみよう。納得いけへんよな」と言ったからやはり行ってみようとなった。
説明会の日は朝からいろんなことにイライラしていて、メンクリで「腹立つのは普通だと思うよ。けどカッカして自分の身を危険にさらすようなことはしないようにね。」と言われてはっとなった。まさに今夜ちょっと危険かもしれないんです。やっぱり行かない方がいいだろうか。住所とか書いて嫌がらせとかされないだろうか。不安でいっぱいだけどこの町はなんでもやってもいいところだと思われたくない。とりあえずケンカ腰で行くのはやめよう。冷静に。調子乗らないようにして。主治医のおかげでクールダウンすることができた。
夕方説明会の会場に向かった。フロアは静まり返っていた。様子を見たかったけど人がいない。会場の前に行ったらいつも子供の見守りをしてくれている町内の人が名前を書いているのが見えて、やっぱりこの人は来てくれると思ってた。わたしたちも名前を書いた。
時間になってわかったけど参加者は見守りしてくれる人のご夫婦とわたしと友達、計4人だった。会社側は5人。人数でまず負けていた。こんなにみんな無関心なのか。近所のマンションの人とかどう思ってんのやろ。うちとか全然遠いんですけど。でも怖いのはわかる。関わりたくないのもわかるよ。
そこからいろいろあって、わたしは「社長さんの家の隣にあると思って真剣にやってほしいんですよ」と伝えた。見守りの人はいろんな人の意見を預かってきたらしくてびっしり何か書いた紙を持ってきていて、その人らのこすさに腹立って、友達は穏やかな人だから言い方は穏やかだったけどこの人を敵に回したらだめだと思ったし、奥さんはひとり感情的になっていたけど、だからこそほんまはちょっと言いにくい内容を全部言ってくれた。地価が下がるとか。社長さんの目が泳いでいたのは、やばいと思ったのか笑いをこらえていたのか、ちょっとわからない。
まあなんとかかんとか説明会が終わって、思ったよりちゃんとした感じの人たちだったのでまたなにかあったらいつでもご意見くださいと言ってくださった。
だいたい今回の説明会が無かったらこの会社のことを知らなかったのだ。すぐ近くに住んでる人たちは以前から音のこととか外に置いてるリサイクル用の資材のこととかいろいろ言ってるみたいだったけど本人が来ればいいのにと思った。
友達とお酒を飲みに行って世の中ちょっとおかしくない? とめちゃくちゃ笑って、わたしはひとりだけど周りに気合の入った人がいっぱいいる幸せなひとりだとしみじみ思った。
そして今日、一か月分のお給料を握りしめてカラクリンという電気で動く芸術作品の展示会に行って、自分のすごく欲しいのを買おうと思ったら20万は要るということがわかって、作家さんのお話をいろいろ伺って、次はもっとお金貯めてきますわ! と7万の作品を買って帰ってきた。この人の作品をこの世に残したい。わたしはすぐに人をリスペクトしてしまうけどどうでもいい人はリスペクトしない。嘘くさいことを言う人を信用しない。帰り道やっぱり才能のある人はすごいな、わたしは才能はないけどもっと頑張って生きるわ。と言ったら頼むから普通に生きてくれ。と主人に言われた。
セロトニンが足りていないとアドレナリンを制御できないのだろうか。毎日全力で突っ走って夕方ごろになったらくたくたなのだ。そろそろゆっくりしたい。ほんとうはのんびり空を眺めていたいだけなのに。
神様にわたしが間違ったことをしたら引き留めてくださいといつもお願いしているのだけどいまのところ神様はやれとおっしゃってるように思える。ほんとは声なんか聴こえない。けど聴こえないから言われてないってことはないでしょうと思う。


麻績日記「やすらぎ」 - なつめ

 草木染めと機織り体験も終わり、再び松本さんに車で村のお試し住宅に着いた。松本さんは役場に戻り、私と息子は二人になった。あたりには車がほとんど走っておらず、人も歩いていなかった。山と畑に囲まれた家の周りはとにかく静かだった。電灯も少なく、空がだんだん暗くなってきていた。東京のように夜になっても明るい場所など何もない。山と畑に囲まれた自然の中にあるこの家の前が、本当に真っ暗になりそうだった。少し怖くもなってきたが、近所に家が思ったよりあり少しほっとした。その家の灯りもついていたので、人がいることを確認できた。お試し住宅の中に入り、縁側から、ちょうどきれいに月が見え始めていた。外はいよいよ真っ暗になってきた。東京で見ていた月は、いつも街の灯りとともに見え、その中に紛れて見えたが、村で見る月は、暗い山の上に一つだけ堂々と輝く存在感のある月だった。東京と同じ月だが、随分見え方が違うことに驚いた。夜の月の明るさがありがたく、心強かった。東京にいるときに、こんなに月の明るさをありがたく感じたことはなかった。真っ暗な村の夜に月が、煌々と光り、とてもまぶしい。この月だけが輝いていることがとても印象的だった。
 寝室の電気を消すと、その月の明かりがカーテンの隙間から部屋の中に入り込み、遠くの月の光がしっかり部屋の中まで届いていた。外からは「ビー! ビー!」と今まで聴いたことのない色々な虫たちの声が元気に鳴り響いていた。「ここの虫たちは、随分のびのびと元気に生きているのだなぁ。」と、虫が嫌いな私が、その虫の声さえもだんだんと愉快に思い始め、親近感が湧いてきた。こんなにのびのびと、元気に鳴いている虫たちの声を聴くのは息子も初めてだった。聴覚過敏の息子は「うるさい。」と、虫に一言言って、窓をすぐに閉めてしまった。虫の声は少し小さくなったが、東京にいるときの虫の声は、耳を澄まさないと聴こえずらい場所が多かった。車や電車の音に紛れて鳴いていて、気に留めて聴くことも少なかった。同じ日本でも、にぎやかな東京にいる虫たちの声は、その存在感がかき消されるぐらい他の音に打ち消されていたようだ。季節ごとに鳴いている虫たちの小さな声に耳を傾けにくい環境にいたことがわかった。この静かな環境にいると、その虫の声とともに、自分も今ここにいるのだなと、存在がはっきりとしていくように感じた。
 人が少ない村の静かな家で、外で元気に鳴り響く虫の声を聴いているだけで心地よい。長い間この安心感を私は求めていたのかもしれない。人が計画的に作った安らぎの環境ではなく、何も手を加えず、ただそのままの自然の中だからこそ、得られたような安心感。この静かな環境に辿り着いたことがうれしかった。長年私はガヤガヤとした生活の中で、疲れてしまっていたということだろう。人が多い東京で仕事をし、いつも比べられ、選ばれたり、選ばれなかったりする中で、自分の存在価値を小さく感じやすかった。その環境が私をもっとがんばらせようとさせていたのかもしれない。人里離れたこの村に来て、私も虫も、地球の一部のただの生き物で、今ここに一緒にいる。色々な虫の声を聴きながら、私は地球上にいる生き物の中の人間という種類のただの一人であることがわかった。

 私が住んでいる下町は、移り住んで20年ほどで、次々とショッピングモールが作られ、人がさらに増え、どんどんにぎやかな場所となっていった。高層ビルも増え、敷地内には、わずかな隙間に自然を取り入れる工夫がされていた。隙間に配置された花や草木、小さな噴水など、どこも似たようにきれいに並んで、どことなくおしゃれでもあった。芝生は人工芝で、歩きやすく、人が計画的に作った気配を感じる。どこも同じようにきれいに整えられている。散歩道になっている川沿いでさえも、コンクリートでしっかり整備され、まっすぐ歩きやすい歩道が両側にあった。その間を川がまっすぐ流れている。川がまっすぐに流れるなんて、今思えばとても不自然である。このように人の手によって、整備された場所が多かったところをいったん離れ、今、何も整備されていない、昔からそのままあった自然の中にいる。だれも快適な空間など、作ろうとしていない。そもそもそのままで精神的な快適さを感じることができる閑居であった。定期的に手入れができるほどの人がこの村にいないということもあるのだろうけど、人間もその自然の中の一部の生き物だということを感じられる。昔から、ある山と、昔から流れていたままに流れるゆるやかな曲線で流れている川、その脇に季節の花や草が整えられることなくのびのびと生えている。そんな自然の中にある素朴な民家に、私はとても安らぎを感じたのである。今まで、日常的にラジオや音楽の音、人の声や車の音があふれている環境で、知らず知らず、耳も心も疲れていたようだ。東京の人の多さに紛れ、自分の存在はいつも小さく感じるような大勢の人の中にいて、東京の虫の声のように私の声は容易に埋もれてしまう環境にいたことがわかった。多数派と同じことをしなければ排除されたり、否定されがちな環境にいたことで、簡単に見過ごされてしまう少数派の一部の私という小さな存在。そんな自分を守るために、心の奥底にしまい、隠してきた私の心の声が、この村の虫たちがのびのび鳴いているように、私は持ってきていたウクレレを出し、息子と一緒に歌い始めた。ここで、のびのびと声を外に出して歌っていると、心もますます解放されていった。私もこの村の虫や植物のように、そのままの自分でここにいていいと思える家だった。ここには否定したり排除しようとする人は、だれもいない。そもそも人が少ないから、むしろこの村に来てくれるだけで、ありがたく思われた。今までいた環境と反対の環境に身を置き、元夫との離婚が今年のできごとなのに、もうすでに今年のことではないように思えてきた。まだ半年も経っていないというのに、もう随分前の遠くのできごとのように感じている。電車で2時間半ぐらいで来れる場所だというのに、日本昔話のような世界にも来たようだった。遠くに輝いている月をぼーっと眺めていると、しみじみと心がなぐさめられていった。この月明かりと静かな家の中で、私は本来の自分を取り戻していくように久しぶりにほっとしていた。その久しぶりの解放感と安心感に包まれながら、私と息子は虫の声が心地よく聞こえる静かな家で、いつのまにか眠っていた。


まだまにあう。 - maripeace

この世に生まれて40数年、人生の半分くらいは淡々と、後半はずっと焦って生きてきた。18のとき初めて人前で泣いた。どうにもならないことがあると知った。泣いた私に皆優しかった。それまで全部自分の思い通り、予測どおりに物事が進んでるように見えた。

10代のはじめ、日本に帰ったあとのこと。
私がわたしの言葉をフィルターをかけずに口から出す度に、誰かを驚かせたり傷つけたりして、その結果排除されることを経験した。誰も話す人がいなくて、ひとりで自転車としゃべりながら歩いたりした。図書室の隅っこにいた、同じよう境遇の子と友だちになって、クラス全員と仲良くしなくていいことも知った。その後、親の都合で引越しのタイミングがあったことも、ちょうどよく人間関係リセットできる、ラッキー、くらいに思っていた。それで失ったものに気づいたのはずっとあとのことだ。

私は6歳から一人部屋で寝かされていて、怖い夢を見ては夜中に泣いていた。ある時から家に一緒に住んだ女性がいて、いつも夜に「主の祈り」をスペイン語で一緒に唱えて寝かしつけてくれた。彼女はアンヘラと言う名前だった(スペイン語で天使という意味)。お祈りの意味はわからないけどなぜか心が落ち着いて、だんだん夜泣きも減っていたと思う。私がその時、親からもらえなかったものをくれた大切な人。

あれから30年経った。もうすぐ彼女に会いにコロンビアに行く。本当に行けるかはまだわからないけど準備を始めることにした。

私の人生行ったり来たりだ。最近は17年ぶりに会った友だちと1ヶ月一緒に暮らしたり、25年前に一緒に過ごした大学の同級生と子どもたちと一週間寝泊まりしていた。いつどこで縁がつながりなおすのかわからないものだなと思う。



犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑩

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「ゼッケン」
「いやー、危なかった」と中学生の息子が言う。「体操服につける名前のゼッケンを忘れてさー、先生にバレないようにジャージの上着を着てしのいだわー。ジャージの上着もなかったから友達に借りたけど(笑)」と重ねる。お小言を言ってやりたくなるこんな息子の発言にも、最近の私は「まぁ正直に言ってくるだけマシか······」と達観ぎみである。名前のゼッケンを忘れることくらい、はっきりいってどうでもいい。この「名前のゼッケン」というのは体の成長著しい中学生が体操服を買い替えることを見越して、ゼッケンをスナップボタンで体操服に取り付けられるようになっている。きっと洗濯するときに外して、自分の部屋にでも置いていてつけるのを忘れてそのまま体操服だけ持っていったのだろう。「探してつけておきなよー」とその場ではそれで終わった。
 数日後、息子が「名前のゼッケンがない」という。ちゃんと探したの? と言いながら失せ物を探すときの私のとっておきの呪文を唱える。「にんにく、にんにく」。もうこれは私が失せ物を探すときの癖のようなものだ。20年くらい前に友人に教えられてからずっと使っている呪文である。なぜにんにくなのかはわからない。それでもこれまでこの呪文で失せ物がでてきたからこうしてずっと唱えてきたのだ。「にんにく、にんにく」と言いながら息子と一緒に部屋を探す。思い当たるところを探してもでてこない。「この引き出しは?」と聞いてみても息子は「そんなところにはない!」と引き出しを開けようとしない。ちょっと気になったがまあいいだろう。洗濯機の隙間にも落ちていない。カバンの中も一緒に見てみたが整理されていない大量のプリントがでてきただけで、ゼッケンは見つからない。どこに行った、名前のゼッケン。ゼッケンは駅前の制服屋に売っているからまた買えばいいのだ。しかし、問題がある。私は、ゼッケンのスナップボタンをつけたくない。私は家事の中で裁縫が一番嫌いだ。私の不器用がさく裂する。うまくできたためしがない。実際、いまでも体操服とその失くしたゼッケンのお互いのスナップボタンの位置は微妙にズレていて、見るたびに私をイライラさせる。私がゼッケンも買いに行きたくないし、裁縫もしたくないとゴネていると、息子は全部自分でやるという。おお、そうか、そうしなさい。というか、最初からそうすればよかった。
 しかし、ゼッケンの行方は気になる。息子が学校に行っているあいだに一応もう一度、息子の部屋を捜索することにした。ありそうな場所を探してみるが見つからない。ふと、息子が開けたがらなかった引き出しが気になった。この中に親に見つかったらヤバいものが入っているのだろうか······。13歳と言えば、私が詩を書き始めた年齢だ。13歳の私は部活の先輩に反抗する詩を書き、好きな男子のフルネームをノートに写経していた年齢だ(怖すぎ)。この引き出しの中にあらゆる意味でヤバいものが入っていたらどうしよう······しばらく逡巡したあと、そっと引き出しをあけてみたがゼッケンは見つからず、写経もなかったのでさっと引き出しをもとに戻した。
 夕方になり、息子が帰宅してきた。駅前の制服屋さんが閉まる時間が迫っている。「本当に学校になかった?」と息子に聞くと半ばキレ気味で「なかったって!」という。反抗期だな。そんなことを言いながら、君がまだわさびやからしを食べられないお子様舌であることをこのエッセイで全国の読者にバラしてやる。やーい(最低)。プリプリしながら、息子が洗濯かごに体操服を入れようとしたその時······体操服袋の中から丸まったなにかが落ちた。
······それは体操服袋の端っこにぎゅうぎゅうに押し込まれて丸くなったゼッケン。おい! あるやないか! 椅子から転げ落ちそうになった私に息子が言う。「もうあのにんにく、にんにくっていうのやめたら? 意味ないことが証明されたんだし」。そう? 見つかったんだし効いているのでは? みなさんどう思います?
では原稿も終わりに近づきましたのでご唱和ください。「本当にドジとハプニングの神は私を愛している」。今回は息子が愛されました。この体質、遺伝するのだろうか。


長い夜が始まる - 下窪俊哉

 信じられないほどのショックを受ける出来事を前にして、人は「ことばがない」と言う。たしかにそこで、何をどう言っていいのかわからない、ということはあるだろう。その後で、大きなかなしみの中に入る。そこでは何でもない日常の風景が、何か別のものになって、鮮やかに目に映る。
 例えばそこには、陸橋があるとする。鉄のかたまりが泣いているわけではない。それを見ている私も、まだ泣いてはいない。しかしその風景はすでに泣いているのではないか、と感じられる。いま、ここで泣かずにいつ泣くんだ、と考えはするものの、そうなると涙は簡単には出てきてくれない。泣くという行為の、複雑さ、というよりも、泣くというのは行為ではないのかもしれない。現象という方がふさわしい。
 かなしいとき、ことばがとても親しいものになる。
 かなしいというのは、悲しいとか、哀しいとか、昔の日本語では愛しいとも書いた。悲哀は、愛につながっていると言える。
 涙は急に、こみ上げるように訪れる。
 人が人を愛するという営みの末に、雨が降るようにして、それは落ちてくる。我々はそれを回避することができない。
 深いかなしみのなかで、人は何とも言えないざわめきの一部になる。そのとき自然が身近なものになる。生まれて、死ぬ、という自然のなかに自分がいるのだということを強く意識させられるからだろうか。
 長い、長い夜が始まる。
 しかしそれだけならまだいい。夜は、やがて明ける。何事もなかったように。──生まれたものがいつか死ぬように、何事も始まればいつか終わる。世界はその後も続くということのなかに、大きな問いがある。
 私はことばを手放してゆく。そのとき、ことばがはじめて自分の方へ近寄ってきてくれる。

(私の創作論⑦)


表紙画・矢口文 「夏草の勢い」(紙(アルシュ)、木炭)


ひとこと - 矢口文

がん闘病中の母。退院して自宅療養している。萎えた脚である日、庭に出て地面に横たわり、夏草生い茂る庭の景色を眺めて「ここは極楽か?」と言う。私は「そうだよ、極楽ってこんなところだよ」と言う。極楽ってピンクや水色の雲がたなびいているところではなくて、こんなふうに地面が日に照らされて、夏草が生い茂っているようなところだったらいいなと思う。


巻末の独り言 - 晴海三太郎

● 今月の編集人はいろいろと事情あり、ヘトヘトになっているようです。にもかかわらず、こうやってお届けできるのは、毎月のルーティーンをつくった成果でしょうか。大変なのは自業自得とも言えますが······。何はともあれ、今月もお届けします。● このWSマガジンの参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、さらに話すこと、というのもあり「WSマガジンの会」というのを毎月、画面越しにやっています。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● また来月も無事に迎えられますように。ぼちぼちお元気でお過ごしください!

● 追記:いったんリリースした後、maripeaceさんから原稿が届いたので入れました。このWSマガジンには初登場ですが、ペンネームを迷っているとのこと、またご紹介する機会がありますように。


道草の家のWSマガジン vol.10(2023年9月号)
2023年9月10日発行

表紙画 - 矢口文

ことば - RT/犬飼愛生/UNI/カミジョーマルコ/下窪俊哉/なつめ/晴海三太郎/maripeace/矢口文

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 波に潜ってよむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 迷路制作研究会
手網 - 珈琲焙煎舎
喫茶 - うすらい
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
心配 - 鳥越苦労グループ
名言 - 草のことは草に聞け。
音楽 - 暑さのせい楽団
出前 - 流さない素麺
配達 - 全速力運送
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房


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