見出し画像

道草の家のWSマガジン - 2023年7月号


慟哭 - カミジョーマルコ

月が泣く。
星が笑う。
風がこの世の終わりを告げる。

やがて空はガウガウと鳴き
足元の地はバラバラと揺れ
私は恐れをなしておのずから宙に浮いた
砂塵となる。

地に降りて一つの塊になることができず
かといって
風にもまれてみじんもなく消えてしまうこともできず

小さく小さく
削られながらもまだ存在しており

そして夢みているのだ。
嗚呼、いつまで夢みているのだ。

砂塵が星になれるなんて。
いつかは月の欠片になれるなんて。

空は私を笑っている。
遠くで 近くで
空が私を笑っている。


特異カルチャームーブに乗って - 宮村茉希

2023年7月号の美術手帖が『日本のストリートとアート』特集だったので購入。ストリートカルチャーと自分は何の縁も無いだろうと思っていた。今は見る影も無くなった、旧東横線の高架下に描かれたたくさんのグラフティアート。街中にスプレーで落書きされたよく分からない暗号のような文字。

4年前に自宅近くにスケートボードショップが新しくできた。輸入されたストリートファッション系統の服が並び、その右横に個性豊かなデザインが印刷されているスケボー板が壁一面にずらりと並んでいる。店の前にはタバコをふかしながら屯している連中がいて気軽に近寄れなかったが、一年前に自転車乗用のためのポーチを購入するために店に入った。ふとその時、高校時代にお古のスケボー板を友人から譲り受けたのを思い出した。でもその板は古すぎて、ウィールも錆びて使い物にならず、上手く乗りこなせる訳がなかった。
自転車はノリでローンを組んで買ってしまったが、スケボー板は一万円程度で買える。運動、スポーツは大の苦手。でも思い切って挑戦してみようかな〜滑れたらかっこいいじゃ〜ん、と、これまたノリで購入してしまった。レジで会計を済ますと、スケートボードのビデオ上映会をこれから行うんです、是非観ていってください、と店員ににこやかに言われる。店内にいたスケーターが集まり、大盛り上がり。うおー、かっけー!

それから、なんと、私もめちゃくちゃに、スケボーに、ハマってしまったのでした。なんなら、自転車よりも。

四輪のついた板の上に乗る。最初はそれだけで大変だ。バランスを取ることもできず転ける、転ける、転ける。酷い転け方をすることを『スラム(SLAM)』と呼ぶ。
スケボーをする仲間(Homies)などいないので、一人で練習した。近所の公園で練習していたら、通りすがりのおばさまに怒られた。小心者の私は考えた末、自宅の屋上を練習場にした。
スケボーは怪我をする。通過儀礼のようなものなのだが、非常に簡単にみえるプリモという技を真似てみたところ、思いっきり前のめりに転けて腕を地面に強打した。痛すぎて空を仰ぐ。軽く頭も打ってしまったのか失神する。視界がテレビの砂あらしのようにザーッと粗くなり、バリバリとした耳鳴りが響いて全ての外界の音が遠く離れていき、全く聴こえなくなる。
たかだか遊び用に作られた板に足がもつれて… 誰もいない場所で倒れてそのまま気絶して······死ぬ瞬間ってこんな感じなのか······馬鹿みてえな死に様だな······お母さん、ごめんね······と、暫く痛みに悶えていたら、遠のいた意識が戻ってきたので、スッと起き上がり、家に戻った。その時のやけに冷静な行動を思い出すと面白い。(緊張が解けた時、ひとりで泣いた。)

スケボーは板の上にまともに立てるようになるまでは何も楽しくない。何度も転け続け、このままじゃ終われない、バカは死んでも治らない、上手くなってやろうという気持ちがふつふつと湧いてきて、それからも滑り続けた。イセザキ・モールにあるBOOKOFFで中古で売っていたハーフキャブ(スケートシューズ)を2000円で買った。小学生みたいだ。
初めて乗り始めてから一年経っても下手くそ。安易に想像できるような、オリンピック選手の堀米悠斗が華麗に滑るスケートボードのイメージには一生かけても叶わないことは百も承知で。
しかし、一瞬、こうすれば上手く乗れる、という感覚が、インスピレーションが降りてくるかの如く判る時がある。そうすると、地面と板が溶け合うように足場が固まり、技が決まる。その時の爽快さは継続してみないと分からないようだ。スケーターと呼ばれる人種は、その一瞬に全てを賭けているのだと思う。今だけに全集中する、修行僧そのもの。

「今ここ」に全力になる。マッチの火が燃え上がるような一瞬の閃光。過去のことも未来のことも思い煩うとうまく滑れなくなる。ただただ一心不乱に突き進むだけ。転んだら立ち上がるだけ。単純明快。
人には色んな感情が渦巻く。強く記憶に残るのはネガティブな想い。悔しい。悲しい。痛い。苦しい。首筋から汗が滴り落ちる。涙が溢れる。スケボーはただの遊びだ。苦悩を引っ提げて限りなく楽しむ。技が決まるとわっと歓声が上がるあの瞬間だけは他人事の喜びではない。スケボーの醍醐味の一端を垣間見ることができたのがよかった、と思う。
一部のスケーターはその瞬間を写真に、映像にして残す。撮った作品を定期的に店頭で上映してみんなで盛り上がる。頻繁に「あつ!(熱い)」「しぶ!(渋い)」という言葉が出てくる。たった二文字の言葉だけで表現されるシンプルな高揚感がまた面白い。好き。


挿画・宮村茉希


犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑧

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「トイレチャレンジ」
 愛知県の瀬戸市に懇意にしている本屋さんがある。店名が「本・ひとしずく」という。店主の綾さんは私と同世代の女性で「本が好きすぎて、自分で本屋を開業した」というバイタリティーの持ち主。築百年以上の古民家を改装した店内は綾さんの選んだセンスのよい本や雑貨が並び、いつ行っても居心地がよい。しかし、建物の古さゆえの悩みがあって、ひとつは「冷暖房がないこと」と、もうひとつは「トイレがないこと」。冷暖房については、ヒーターや扇風機を使ってなんとかしのいでいたが、開業二年目となりいよいよトイレがないことがお店の課題となっていた。そこで、店主の綾さんはトイレを作ろうと決心。そのための資金集めとして、トイレをテーマにした本を作って売ることになった。書き手は本・ひとしずくのお客さんや仲間で、言葉や本に携わる活動をしている人たち。これが綾さんの名付けた「トイレチャレンジ」というわけ。僭越ながらワタクシ犬飼もこのアンソロジーに参加させていただいている。
先日、綾さんから、そろそろみんなの原稿が集まってきたので本のタイトルや原稿の並びなどを相談したい、打ち合わせに来てほしいと連絡があった。おぉ、そうですか、私がお役に立てるかわからないけれど、頼まれたら断れない江戸っ子のような私なので早速行ってきた。打ち合わせも1時間ほどたったころだろうか、場もなんとなく固まってきたところで私は尿意を感じ、トイレに行きたくなった。あぁ、嫌だなあと思う。実は、本・ひとしずくには仮設トイレがある。この仮設トイレは最近になってとりあえず設置されたもので、形状は工事現場やフェス会場にあるようなよく見るタイプのもの。店のすぐ横の駐車場の一角に設置されているのだが、前日の雨のせいでトイレ周辺がぬかるんでいる上に、ちょっとした繁みが近くにあってヤブ蚊がいそう。仮設トイレってなんとなく虫がいそうだし、あの独特のにおいも苦手だ。しかし背に腹は代えられない。私は意を決してトイレに行くことにした。
この仮設トイレは屋外にあるために防犯上、外から鍵がかけられるようになっている。私は綾さんに鍵を借りて外にでて、トイレの扉を開けた。仮設トイレに入って、まず天井の四隅をチェック。こういったトイレにはなぜか時折巨大な蜘蛛が住んでいる。悪い場合には蜂やトンボがいたりする。今回は蜘蛛もいなければ蜂もおらず、一安心。確認して中から鍵をかけた。実はこのトイレ、以前借りたときには足ふみポンプのタンクの水がなくなり、汚物が流れないということがあった。水がなくなったら、外から水を足せばよいのだが、タンクの水があるかないかはもう運任せ。今回は水がありますように…と半ば祈るような気持ちでポンプを踏んだ。すると、今日はさっと水が流れたので私は心底安堵した。さて、トイレを出ようと内鍵を外したところ、扉が開かない。えっ······。なんで?? 「押す」と書いてある取っ手が押せないのだ。押しても押してもびくともしない。じわりと脇汗が湧いてきたのを感じる。押す、開かない。押す、開かない。なんで? すぐ戻ると思ったから、スマホも何も持ってきていない。焦る私の耳元にあの嫌な音が聞こえた。ヤブ蚊だ! さっき、個室内を見まわしたときにはいなかったはずのヤブ蚊。手を振り回してみたけれど、仕留められない。どうしよう。とにかくここを出なければ。私の鼓動が早くなる。ヤブ蚊の襲来と開かない扉。何分くらい格闘しただろうか。仮設トイレの中がだんだん暑くなってきた。屋外に設置された仮設トイレはこの気温32℃の直射日光をモロに受け、個室内の温度を上げている。ちょっと! だれか! 私の脳裏にはこの仮設トイレの中で脱水症状を起こし、へたりこみ、意識が遠のく自分の姿がよぎっている。まさか、自分にこんなことが起こるなんて。本当に暑くなってきた。このまま出られなかったらどうしよう。怖くなった私は助けを呼ぼうと扉をたたき、声を上げた。「綾さん! 綾さん!」。しかし、綾さんはおろか、だれも通りかからない。やばい、本当にまずいかもしれない。「綾さん! 来て!」。どこにも届かない声がむなしく仮設トイレの中で消える。トイレを内側からおもいっきりたたく。揺れる個室。この仮設トイレが横倒しになるくらいの力でたたいた。ドンドン! 扉を叩き続けても鍵が開かない。ああ、まずい、この仮設トイレが横倒しになったら、汚物まみれになるかもしれないなと妄想が広がる······。暑い······。顔からも汗が噴き出す。私は鍵がひっかかっている部分を手で押して、扉と壁に無理やり隙間を作ってみた。すると、どういうタイミングかわからないが、扉が開いた。外から差し込む光がぼやけて見える。汗なのか、涙なのか。とにかく、助かった。
私は全身汗でぐっしょりとしながら、店内に戻ってことの顛末を話した。私の声はもちろん綾さんには届いていなかった。どうやら私が外鍵を開けたあとにロックを戻さなかったことで、半ロック状態となり扉が開かなくなったようだ。出られてよかった、と我に返ったそのとき、私は自分がさっきの仮設トイレの中で例のヤブ蚊に刺されまくったことを知るのであった。
今月も例のセリフを置いておく前にひとつ言いたいことがある。このハプニングの最中、私はこの神の存在を本当に間近に感じた。だって、この原稿の締め切りは今日だったのだから。今月こそ、原稿を落としてしまうと思っていた私に、ハプニングの神がわざと起こした出来事だったとしか思えない。ではご唱和ください。「本当にドジとハプニングの神は私を愛している」。


イソップの話がわからない - スズキヒロミ

 先月の詩は、モチーフとなる出来事が起きた朝、家を出てから駅までの道で考えて、ホームに着いてすぐに書き始めました。「アリはかしこいね」と言った息子の口調を忘れないうちに書き留めたい、と思ったのでした。書き始めて電車に乗り、まだ目的の駅に着く前に書き終えてしまいました。
 さて、いつもならここで2、3日寝かせて、一度忘れてから推敲をするところですが、その日は何だか、これ以上見直しても仕上がりはたいして変わらないんではないか、と思ってしまったんでした。「何ていうかさ······」のあとは、まだまだ言葉を選ぶ余地があるというか、芯を食ってない感じはしたのですが、このはっきり見えていない感じのままに終えてしまおうと思い、走っている電車の中から下窪さんに送ってしまったんでした。
 こうして考え考え書くことが増えて気がついたのが、日頃発している言葉というのは、思ったことの何分の一も表現できていない、ということです。「あなたはこう言ったから、そう考えてるんでしょう」と思われるのが当然ですが、意外とそうでもないのです。言葉の選び方も一つ変わると、元々の考えとはずいぶん違ってきます。それでいて、ポロッと出た一言が「隠れていた本心だろう」と思い思われてしまう心の仕組みというのは、不思議なものです。
 さて、先月はあわてて1日で出してしまったために、詩にできなかったやりとりがその後にありました。息子が再び「アリとキリギリス」を音読した日の朝、妻がポツリと「どうすれば良かったのかなあ」と言ったのです。家族の答えはこうでした。
 妻「キリギリスも働けば良かったのかなあ」
 息子「アリさんがご飯をあげたら良かったんだよ」
 私「キリギリスが演奏してお金もらえたらいいね」
 みんな色んなことを言ってるね、と妻は笑って洗濯物を干しに行き、私は出勤しました。道すがら「三人の意見を総合した終わり方ならハッピーエンドだな」と思いました。そもそも、イソップの話のオチが、いまいちピンとこないんですよね。
 詩の中で私が「でもねえ、パパはねえ」の後にくだくだ書いている言葉は、現実にはひとつも口にしなかったのでしたが、息子はキリギリスに対して優しかったんだな、というのがわかって、ちょっとうれしくはありました。


麻績日記「あこがれ」 - なつめ

「長野県に移住したい。」
 5年前から、東京と長野で二拠点居住をしてみたいとぼんやりと思っていた。元夫との生活に精神的な苦痛と窮屈さを感じていた私は、離婚前からも、辛くなった時には、近場の自然を感じられる公園や、日帰りで帰って来ることができる東京近郊の山や海に出かけることにしていた。そのうち、常にいつも自然の中で生活したいと思うようになり、小さな頃から度々両親と訪れていた長野県のとある地域に住むことをイメージし始めた。いっそのこと北アルプスが見える長野県に家を借り、週末だけでも住みたいと私の夢は思うがままに膨らんでいった。それは現実的にはなかなか叶わないであろう夢のまた夢のように、一人で勝手にあこがれていた。当時、元夫に
「長野県に二拠点居住できたらいいなぁ。」
と、冗談まじりに言うと、
「は、はぁ。(そんなことできるわけないでしょ。)」
と、いう冷めたリアクションで相手にされず、いつも呆れた表情をされた。元夫はいつも私の夢ややりたいことを非現実的だと相手にせず、ひどいときには否定した。以前もそのようなことがあり、元夫にはそう言われることもわかっていたが、なんとなく日常的に言っていたらそのうち叶うのではないかと思い、ときどき口に出していたのである。でも、もう元夫には自分のことを必要最小限のことしか話さなくなっていた。そして、本当は真剣に考えていた私の夢がこれ以上傷つかないように、元夫には夢ややりたいことを一切話さなくなった。
 その後、息子のとある出来事がきっかけで、やむを得ず息子を連れて一緒に逃げるように家を出て、別居をすることになった。その三ヶ月後、元夫の要求で、早くも離婚する流れにもなった。私を取り巻く状況が自分の意志とは反対にどんどん変わって行き始めた頃だった。私は、この東京の下町で、元夫と住んで十三年、生まれた埼玉県からこの地域に移り住んでからはもう二十五年が経っていた。この地域にいると、どこか元夫の気配を感じ、良くも悪くも色々なことを思い出してしまう。この地域に住んでいることがだんだん嫌になってきた。一度、この地域を出たいという思いが強くなり、私は以前から移住候補地の第一希望として考えていた長野県内のある地域で、まずはオンラインで移住相談をしてみることにした。コロナ禍の恩恵でZoomの活用が頻繁になり、実際に現地に出向かなくてもオンラインで相談ができるのはありがたかった。そして、その方の話によると、近々東京でも長野県内の移住相談フォーラムというのがあることを知った。良い機会だと思い、早速その日に息子と有楽町の会場に行った。会場には長野県内の色々な地域の移住相談担当者が集まっていた。真っ先に移住したい地域の移住相談担当者に相談をしていたところ、息子が突然、私の肩を叩いてきた。
「ねぇねぇ、あれ、松本さんじゃない?」
と息子に言われ、息子が指をさしているほうを見てみると、この前なんとなく訪れた麻績村を案内してくれた村役場の松本さんだった。話を一通り聞き終えた私は、息子に手を引っ張られ、麻績村のブースへと一緒に向かった。私たちが近づいて来たことに松本さんはいち早く気が付いたようで、
「あっ! なつめさーん! こっちこっち! どうもこんにちはー!」
と、元気よく気さくな感じに声をかけられた。
「どうぞこちらへ!」
と、笑顔で手招きされ、私はあいさつだけではスルーすることはできず、麻績村の移住相談ブースに座る流れになった。
「先日は、村にお越しいただきありがとうございました! まさか、こちらのイベントでもお会いできるとは思いませんでしたよ~。」
と、にこやかに、とてもうれしそうに話し始めた。
「ええ、ほんとに。」
なぜ、こんなに私に気さくな感じで話しかけてくれるのだろうと思いながら話を聞いてみることにした。
「なつめさん、麻績村に移住お試し住宅というのがあるのをご存じですか?」
「いいえ、なんですか?」
と聞くと、役場で借りている空き家の民家に安く泊まりながら、村の生活を体験できるという。
「へ~、そうゆうのがあるのですね。いいですね!」
という感じで、おもしろそうだなと興味を持ち、一通り話を聞いた後、その日はとりあえず帰ることにした。
 
 私は長野県内の学校の講師登録をしたことで、色々な中学校の校長先生から、講師の依頼の電話が直接かかって来ていた。全国的な教員不足だということが、どの校長先生の話からも伝わってきた。電話があった地域の周辺を調べ、気になる地域には実際に行って泊まる計画をし始めていた。夏休み前から長野県で仕事を見つけようと、気になる地域に行き、観光目的ではなく町や村を住むことをイメージして歩いていた。私と息子で一緒に歩いていると、通りすがりに、たまたま出くわしたおばあちゃんに話しかけられ、実際に長年そこに住んでいる人の昔話から今の話まで聞くこともあった。そしてまた、歩いて散策し、休憩がてら、ふらっと駅前の喫茶店に入った。するとそこでもまた、その喫茶店のオーナーのおばあちゃんと話が弾んで、その方の昔話から今の話を聴くことになった。なぜかおばあちゃんに良く話しかけられ、いろいろと聞いてくるので、しばらく色々な話をしていた。良く知らない私に色々と話しかけてくれるので、こちらも「なるほど~!」と驚きながら、そのおばあちゃんの話を聞いているうちに仲良くなり、連絡先まで交換した。今まで出会ったことのない人たちとたまたま出会い、自然が広がる景色に感動し、とても新鮮な気持ちで息子と一緒によくさすらった夏休みだった。ここら辺で、どこか住む家と仕事が決まったらいいなぁと、ぼんやりと思っていた。小さい頃に両親がよく連れて行ってくれた少し馴染みのある地域からも講師の依頼で電話があったが、そこは最近とても人気の地域となっているらしく、ゲストハウス等の宿もすでに予約が入っている状態だった。夏休みも希望日には予約ができず、そんなに人気なのかと落胆し、挙句の果てに賃貸でも空いている物件はなく、仕事はあっても住む場所がなかなか見つからない状態だった。
 学校の仕事があっても住む家がない。どこか住めるところはないだろうか。その時、私はふと思い出した。先日、松本さんが言っていた移住お試し住宅に泊ってみよう。夏休み中にどこか移住先と仕事が決まると良いなと考えていた私は、また麻績村に息子と行ってみようかと思い立ち、あの松本さんに電話をした。私がこれから行こうとしていた期間は、予約の一週間前だというのに、松本さんは、
「なつめさん、先日はありがとうございました! 移住お試し住宅ですね。今ちょうど、空いています。ぜひ! 一週間でもそれ以上でも! なつめさんの思う存分ゆっくりご利用してください。」
と、言われ、すんなり予約することができた。ここならゆっくり泊まれそうだ。この地域を希望していたわけではなかったが、お試しで長野県に住むことができる! と思った。やっと息子と静かに安心してゆっくり過ごすこともできそうだ。このことがきっかけで、私たちは、予想もしていなかった方向へとさらに進んで行った。



今日の空の色は - RT

6月15日 梅雨の合間の晴れ 孤青色
今日は忙しい。鍼灸院と美容院に行って一回帰ってメンタルクリニックに行く。2週間前に美容院を予約していたのにまさにその時大雨警報が出て電車が止まるとわかって前日の夜にキャンセルして予約を入れ直した。さすがにたどり着けそうになかった。
鍼灸院に行く電車の中で女子高生が話をしていてなにげなく聞いていたら「群青色」と聞こえてきた。群れの青か。好きな色ではあるけどわたしは孤独な青の方が好きかもと考える。ひとりでいる人をぼっちとかおひとりさまと呼ぶことがちょっと苦手で、ひとりは良くも悪くもなくて特別に扱わないでほしい。
鍼灸院の受付で「珈琲の遠足どうでしたか?」と先日の珈琲のお店のことを聞いてくれた。「ちょっとびっくりしたけどいい体験ができました。」と答える。先生が目の周りが赤いことに気付いてくれて、最近涙や目やにが出てアレルギーの目薬をもらっていることを言ったら、肝臓が熱くなって冷やそうとしてそうなることがあると、ストレスの心当たりがないか聞かれた。そんなん、ありまくりですよ。先生はストレスという言い方をされたけど、わたしは怒っているのだと思う。
背中に鍼をうってもらった。隣の人も肝臓のことと、できたらお昼寝するように言われていた。親近感を覚えた。お疲れ様と言いたくなった。すぐムッとするのなるべくやめようと思った。いつもは鍼灸院の時に古墳に行ったり喫茶店に寄るのだけど今日はすぐ電車に乗った。悪天候とはいえ美容院に突然のキャンセルをしたからなにかお渡ししようと思ったのだ。隣の駅に和菓子屋さんがあって、どら焼きを買った。ピンクの風呂敷に包んでピンクの紙袋に入れてくれて、さりげなくしたかったのだけど大層なことになってきたなと思う。また電車に乗る。美容院のある駅に早く着いたので商店街を歩いた。お腹空いた。あとでランチを食べようかな。お惣菜を買って帰ろうかな。道に面しているお肉屋さんのケースに豚足が入っていてチェックを入れる。もしこんど豚足を買ってきてと頼まれたらここに来ればいいんだ。
美容院で先日はご迷惑をおかけしましたと言って包みを渡した。粗末なもので、というのは好きではないけど、包みだけ大きくてと言ってしまった。カットとカラーと炭酸スパをしてもらった。炭酸スパの時首の後ろに蒸しタオルを置いてくれる。自分がどんなに肩が凝っているかを実感する瞬間だ。ふわーっと力が抜けて、頭のマッサージで楽になって、この美容院の鏡は残酷なほど顔がダルダルな現実を突きつけてくるんだけどいつもシャンプーのあとちょっと若返っている気がする。このところ手に負えなくなっていた癖毛をすっきりカットして、仕上げに好きな香りのオイルをつけてもらって、足取り軽く再び商店街へ向かった。
障害者の作業所がやっているカフェがあっていつも夕方は閉まっているから行けないのだ。今日は久しぶりにきた。日替わりのお弁当と珈琲を注文した。手作りがしみじみと美味しい。働いている人が「休憩させてもらっていいですか?」と聞いて店長さんらしき人が「おう」と言って、くたびれて忘れかけていた優しい気持ちがここにはあるような気がする。大雨で実家が浸水するやらなんやらでくたびれない方がおかしいのだけどこのところしょっちゅう寝込んでしまっていた。
お肉屋さんでひき肉を買って帰ってきた。お稲荷様に寄って行こう。「茅の輪くぐり」の貼り紙があって、呼んでもらったような気がした。説明を読みながら4回くぐった。くぐる時に唱える言葉があるのだけど数歩歩いたらあやふやになる。たぶんこれで合ってるよなと思いながら唱えた。これでこの夏を元気に乗り越えられそうだ。今日はいろいろいい感じだ。やっと気分が上向いてきたのかもしれない。
と思った気持ちはごろごろしてTwitterを見ていたらしゅるしゅるとしぼんでいった。自分も全く誰も傷つけずに生きているわけではないと思いながらメンタルクリニックへ。主治医にちょっとしんどくてと言ったけど「まあまあなんとかいけてるって感じ?」と言われて、そうですね······と答える。薬を増やさずにいくことになった。
駅のトイレに入ったら床が濡れていて拭いた。自分が用を足そうと思ったら便座も全部濡れていた。お手上げ。わたしには無理。軽く拭いて別の個室に入った。
いつも世の中で生きるのがしんどい人がばかにされることに怒りを感じている。しんどさの形は違えども自分と通じるものがあると思うからだ。けど、だからって役所の窓口で怒鳴り散らしたり、トイレをわざと汚したり、遅刻して開き直ったり、順番を抜かされたから護身用のスプレーをまいたり、もうそれはひどい。その人のことまで心配しない。虐待、DVする人もひどすぎる。誰も人の人生に悪意を持って関わる権利なんて持っていないんだ。もう知らないと思うのに胸をぐいぐいとなにかに押されているようだ。神様にどうして世界は公平ではないのですかと問い詰めたくなる。
最寄り駅に着いたら夕焼けになる直前の空から光が差していて眩しくてはあっと息をした。田んぼに空が映って綺麗だと思った。ピンク色はタニシの卵、触ったら毒になる。なにか泳いでいるのはおたまじゃくしかな。カブトエビかな。道の端にしゃがんで覗き込んでみる。なぜか散歩中の犬に吠えられた。このごろ動物との縄張り争いに巻き込まれている。そんなに悪いものを漂わせているのだろうか。
帰って主人に言ったら、しゃがんでたから大型犬に見えたんちゃうかという。むかついてたけどそれならしゃあないなあ。げらげら笑った。
わたしはひとりだ。でもわかってくれる人や助けてくれる人に生かされているひとりなのだ。


日常には、ストレスが - 下窪俊哉

 ある日、京浜東北線に乗り込んで、空いている隅っこの席に座った。
 その頃はすごく疲れていて、気が滅入っており、そこに体を沈めると、目をつぶって少し休もうと思った。ところが、座った瞬間に襲われたのだ。たくさんの色の、大小の文字が、立っている人と人の間からも抜け出して降ってくる。文字は見ろ、読め、見ろ、読め、と喚いている。私は突然そのことに憎しみを感じた。日常空間に文字の洪水をつくり出している都市の電車という空間、その文字を生み出している企業の群れ、さらにそれを成立させているこの社会というものに対して。
 休んでいる場合ではない。闘おう!
 疲れすぎているときには文章もうまく書けない。しかしメモならとれる。メモなら、いくらでもとれるという自信が私にはあるのだ。
 襲ってくる文字を目で掴み取り、捕獲し、手を動かしてメモの中に閉じ込める。憎たらしい文字は次から次へと私の暗い牢屋へぶちこまれる。

 数量限定
 100万人にシェア
 王道にして最新
 つなげば未来が動き出す。
 おいしい免疫ケア
 男女6人のシェアハウス
 本当に痛んだのは、財布ではなく、地球環境だった。
 ますます便利に!
 最近、発言内容まで
 海洋散骨
 いつかは、ちがう道
 解像度を上げる
 5万部突破
 しゃべらなきゃならないけど
 焦げ目がうまい。
 楽しく強く生きられるように
 のどスッキリ
 焼けました。
 まだ登録してないの?
 カリブ海、日本近海、北極海
 夜しっかり休息できて
 新登場
 真のエンディングも
 月額980円〜
 チャージできます
 エリア天気
 自分が流されないために。
 ベストセラー待望の文庫化
 日常には、ストレスが
 増えてます!
 水曜は 2倍
 ↙︎SOS
 日本最大級
 トク報
 マナーモードで
 限定デザイン
 優先席 です
 未来が動き出す
 声かけサポート
 セットでおトク!
 あなたもできる
 爆発物の筒のふたか
 季節はずれの暑さ
 オリジナルコンテンツが視聴できる
 写真の合成
 わかってる
 本屋大賞受賞
 お金の悩みは今年で完全卒業
 人生を賭けた
 20年に一度の本気

 音を失った文字の群れが、色を抜かれて明るくなった部屋で休んでいる。いまはまだ静かに並んで座っているが、消されていた声が再び蘇り、空に放たれるときを私は待っている。


姓の話 - UNI

ーこの春から、なんとなく旧姓をまた使うことにしました
わたしはそうメッセージを送り、すぐに(まちがえた)と思った。春からではなく、梅雨からだった。

ー今まで法的な姓を使っていた理由はあるの?
Kさんからそう返ってきた。

十代の頃から、名前について観察することが好きだった。表札をじろりと見てまわる。学級名簿を眺める。子が生まれたらどんな名前を付けるのか、性別ごとに想像した。
やがて法的に名前を変えられるチャンスがやってきた。結婚だ。結婚したかった理由のひとつが、改姓ができることだった。

今、法的な姓で検索すると夫の仕事がぽろぽろと出てくる。ただ彼の人生の一部がそこにあり、わたしのそれは無い。仕事が趣味という彼の人生の足跡を、あちこちに記載された名前が照らしている。わたしはその道へ能動的に共に歩いてきたと思っていた。二人に深い意図はなかった。ただ、見えない足場が組まれていたことにどちらも気づけなかった。一人が進みたい場所へ進むとき、名もなきもう一人は否応なく足場を支える。

そういうこともあり、自分の人生と彼の仕事とをこの梅雨あたりから切り離したくなったのだ。細かく説明すると、わたしがこれを書いている地は北海道であり、梅雨は無いのだが。とにかく、梅雨あたりからわたしはまた旧姓を使っている。ほかにも変えられるものがあれば、変えていくつもりだ。

旧姓という名称に、「家」を強く感じる。気に食わない。旧姓の代わりにジェネレイテッドネームとか、生成姓とか、そういう名前を付けてやろうか。
わたしが生成された家庭は、のちに推測するに複合的な理由によってほころんでいた期間が長く続いた。そんなことは珍しい話ではない。現在、ほころびは何とか修復されている。だがわたしは、いや多分おそらくぜったいに当時の家族全員が、それぞれの心にほころびを持ってしまった。とっぴんぱらりのぷうも、めでたしめでたしも、日々の積み重ねには存在しない。裂傷はかさぶたで覆われ、新しい皮膚が張り、凹凸が残り、引きつれている。負傷したわたしは、新しい皮膚を持つように自分自身の「オリジナル家庭」の歴史を自ら作り直してみたかったのだろう。姓が変われば、生まれ変わることができる。そう錯覚していたのだ。

見よう見まねで生活を送ってきた。
型にずいぶんはまってきた。
生成姓だって型のひとつにすぎない。が、いったん今の型を変形させてみる。

姓とはー
「スザンヌたちに出会う前の暮らしを思い出せないわけではなかったけれど、かつてわたしが生きていたのは制約だらけの予想どおりの人生で、モノも人もすべてがほどほどの範疇におさまっていた。」
『ザ・ガールズ』エマ・クライン


表紙・矢口文「母のひまわり」(紙(アルシュ)、木炭)

ひとこと - 矢口文

庭で母が育てていたひまわりが咲きました。母が入院して1ヶ月があっという間に過ぎました。ひまわりの花は元気よく咲きましたが、それを母が見ることはありません。写真をLINEで送るだけでは物足りず、ひまわりの花を描きました。母の不在の庭で咲くひまわり。今は花びらも散ってその代わり無数の種がぐんぐん育ち始めました。


巻末の独り言 - 晴海三太郎

● 蒸し暑い日が続いています。汗をかきながら今月も、WS(ワークショップ)マガジン、お届けします。● スタートから半年を過ぎて、編集人はダラダラ続けるモードに入りつつ(?)あるようです。書き手が決まってきている感じがありますが、最近は書いてない方も、まだ書いたことのない方も、いつでも書いてください。まずは書きたいことを、書きたいように。● 参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、さらに話すこと、というのもあり「WSマガジンの会」というのを毎月、画面越しにやっています。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● よい夏を、そしてまた来月もお届けできますように!

(WSマガジンはこの下まで続きます、目を細くして見てほしい)

道草の家のWSマガジン vol.8(2023年7月号)
2023年7月10日発行

表紙画 - 矢口文

挿画 - 宮村茉希

ことば - RT/犬飼愛生/UNI/カミジョーマルコ/下窪俊哉/スズキヒロミ/なつめ/晴海三太郎/宮村茉希/矢口文

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 波乗りをよむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草地獄入口
手網 - 珈琲焙煎舎
名言 - 疑問に思え。“でも”と問い返せ。
謎謎 - 敵は敵でも、大事な敵は、なに?
天気 - 狐青色
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
心配 - 鳥越苦労グループ
音楽 - 蝉と大声を競う会
出前 - 手抜き弁当
配達 - 一輪車便
休憩 - マルとタスとロナの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?