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「地元は好きだけど実家はそんなに好きじゃない」私が家族団らんの年末を迎えた日

明日の夜帰ろうかな、って呟くと、母の目には涙が。
不思議なことに、私の目にも涙が。

家族で過ごす時間を心から尊いと思えた実感があった。
とても素敵なことだと思った。

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小学校卒業のタイミングで、母の地元である静岡に、母、私、弟の3人で引っ越した。「静岡出身です!」って胸を張って言えるくらい静岡が大好きだから、ここに来れたことに本当に感謝しているけれど。

3人での生活はなんだかとても大変で、各々が自分の生活を保つことに必死で、毎日生きるのが精一杯っていう言葉通りのような、精神的にも不安定な生活だった。

この実家で過ごした6年間、楽しいことも嬉しいこともそりゃたくさんあったけれど、苦しいことの方が多かったんじゃないかな、と思う。3人とも。


私は大学入学のタイミングで家を出た。
上京して一人暮らし。程よく距離がある方がちゃんと感謝できるなあなんて思っていた。

あれから4年半。
自分で自分のことを選択できる生活がうれしくて、いろんなことをした。

でも、実家のややこしいしがらみが嫌で、滅多に帰省しない娘だった。
地元には帰っても、実家には1泊しかしないとかゲストハウスに泊まるとか。

「帰ってこなくて寂しいけれど、心地いい環境を用意できない自分のせいでもある、申し訳ない」母の気持ちを薄々感じながらも、自分が心地いいと思えない場所で過ごすことは選べなかった。

仲が悪いわけではなかったけれど、お互いに複雑な気持ちを抱えていたまま時間が過ぎた。

頼りすぎちゃうくらい心強い彼氏ができたり、やってみたかったことをする休学をしたり、いつもと変わらず布団でぐっすり眠りながら年を越したり、ガールズバーで年越しをしたり、家族のようなあったかいバイト先に出会ったり。

母を旅行に連れて行ったりとか。
1人で心の調子を崩したときには、母がとことん味方でいてくれたりとか。

いろんなことを経て、ちょっとは大人になったかな。

弟は変わらず実家で暮らしているけれど、大学生になって彼なりに社会に出ることが増えて、ちょっと大人になって。

母も少しずつ変わろうとしているのを感じる。諦めなのか落ち着きなのかわからないけれど、成熟していってる感じがする(親に対してこの表現が適切なのかはわからないけれど)。

ちょっと落ち着いた3人からやっと生まれた「団欒」の時間。

(弟は大学で英語やってるけど)おかん英語科だからね、なんて話から母の高校時代の英語の教科書が弟の手に渡ったり、ちなみに私も英数科よ、って話をしたり。断捨離して出た大量の古紙を3人で協力プレイして古紙ステーションまで運んだり(150kgあった)。お酒を飲みながら年末の特番を見て。年越し蕎麦を食べて。絶妙なタイミングで電気の紐についている鈴が鳴って、なんやねんって3人でゲラゲラ笑い転げたり。楽しい年末でした。

会わない間に変わっていったから、また会わない間に変わっていくんだろうな。
この尊い瞬間がもう訪れないかもしれないと思うと、とっても悲しく切なくなる。

なくなると悲しい、と思うくらいに素敵な時間を過ごせたこと。言葉で言うより遥かに難しい「いい関係」が少しでも紡げたこと。
それが本当に嬉しいなと思うと同時に、これだけ尊いものを感じられたのに、今回だけで終わってしまうかもしれないという寂しさが伴っていることが切ない(またこういう尊い時間を過ごせると確信を持てていたら、私も母も涙なんて流さない)。

どうしたら残りの人生、お互いがちょうどよく心地よい尊い時間を過ごせるだろうか。

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親に対する複雑な感情を抱えながら生きてきたけれど、確実にいい変化が起こっている、今回は母親に対して。いやまだ思うことはたくさんあるけれど。
父親に対しても、そんな時が来るといいな……心からありがとうと感謝できる日が。もう少し先かな、それまでは健康でいてもらわんとだな。

私をずっとずっと見守ってくれている人、私を信じて受け入れてくれた人。親に甘えられない私に、たくさんの愛をもって関わってくれた人。本当にありがとうございます。おかげでここまで生きてこられたし、こうして家族と尊い時間を紡げるようになりました。これからも、そばにいてくれたら嬉しいです。


母よ、まだ直接は言えないけれど。
産んでくれてありがとう。

またすぐ来るよ〜


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