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言語学には気をつけろ! ~自称日本最高峰の日本語学講座で学んだこと~

お久しぶりです。

はじめに近況から。
・・・相変わらずです。会社とは時々連絡を取りつつ、働かない会社員をしています。復帰に向けてゆっくり肩慣らしを始めてる、といった段階ですかね。
この自主・自粛期間で色々やりたいことも見つけられたので、実行に向けて、まずはからだが動くようにしたいところ。

さて、今回は自己紹介で詳細を書けなかった大学時代の勉学について、少しお話したいと思います。言語学を勉強しようと思っている大学1年生とか高校生に読んでもらえたら最高かな。
(以下、言語学について個人的見解を書きます。論評チックのほうが書きやすいので常体で書きます。)

ことばへの興味

まず、僕が日本語学専修を選んだ経緯から書きたい。先日の自己紹介でも書いたとおり、文系クラス選択から、国語が得意という理由で某阪大学文学部に進学した。受験形式は小論文、国語力一本勝負で大学に入った。

文学部は2年生進級時に自分が所属する専修を選択するのだが、入学当初は日本文学、国語学と日本語学とで迷っていた。(後ろ2つの違いは後述)
読書が好きで最後まで文学研究は楽しくできたと思う。が、あくまで1つの趣味である文学で論文が書けるのか、当初は自身がなかった。また、遅読・精読家のため、授業のスピードにはついていけないと判断した。

では、国語学か日本語学のどちらにするか。この分類は母校独特だと思うが、国語学講座は主に日本語を歴史的な観点から研究する教室であるのに対し、日本語学講座は現代日本で使用されている日本語を研究する教室である。言語とはいえ、歴史はからっきしな僕に選択の余地はなかった。かくして、僕は日本語学専修に所属することになった。ことばについて、元々興味はあったし、現代に使用されている日本語は研究対象として敷居が低く見えた。(これが日本語学の最初のトラップだと思う。)

10年ほど前、コミックエッセイ『日本人の知らない日本語』が大ヒットした。

僕の日本語への興味は小学生のころに読んだこの本に由るところが大きい。日本語学校に通う外国人生徒たちの疑問や誤用から、私たち日本語を母語にする人間も日本語を客観的に再確認できる名著である。小学生にもわかりやすいマンガで、日本語学の門戸を広げた一冊だと思う。
意外と知らない助数詞や漢字の意味の話、普段使っていたけど実は誤用だった!といった気づきは、当たり前に使っている日本語を「遠く」見せ、世間一般の人々にも日本語の面白さを気づかせた。(僕もその一人である。)

このような「日本語の面白さ」に惹かれ、言語学を選んだ僕は、卒業研究で苦しむことになった。

結論から言うと、面白いだけでは卒業論文は書けないという話である。

言語学を学ぶ苦しみ―その1

「面白いだけでは卒業論文は書けない」の話の前に、言語学徒が直面する最も大きな苦しみについて話したい。
言語学は、言語そのものを研究対象とし、その解明を目指す学問である。なので、言語学を学んでも、話がうまくなったり、言葉遣いがよくなったり、語彙が豊かになったりはしない。(これは専修紹介のときの決まり文句である。)
そして、その研究対象は日常に溢れ、目を背ける(耳をふさぐ)ことはできない。

僕は語用論という分野で学んでいたのだが、この語用論というものは、平たく言うと会話などの言語活動のなかからことばの意味を考える学問である。言語活動の分析のため、会話のなかのあらゆる現象に名前が付けられているので、普段の会話でもそのラベリングがチラつくのである。(あ、いまの発話行為は・・・だな。)とか考えてしまう。
専門ではないにしても各言語学分野を齧ったため、(この方言、・・・出身かな。)とか、(いまのはバイト敬語だな。)とか、いちいちセンサーが働いてしまう。

言語学徒が口をそろえて言うのは「言語学を学ぶと生きづらくなる」ということである。

下のtweetは、「文学部不要論」に関して語った卒業式の式辞が話題になった、母校の元文学部長、国語学者の金水先生のものである。

超一流の研究者を引き合いに出すのもアレだが、そんなこといちいち考えてたら生きづらすぎる。ただ、やっぱり私はこれにも激しく共感してしまう。
この生きづらさが言語学を学ぶうえでの第一の苦しみである。

言語学を学ぶ苦しみ―その2

そして、もうひとつ研究に際して大きな苦しみがある。
先に述べた「面白いだけでは卒業論文は書けない」の話である。
「生きづらさ」にも関連するのだが、言語学を学ぶ者は日常会話に対しても常に研究対象としてのセンサーが立っている。

こちらは北星学園大学で教鞭を執る松浦先生のtweetだが、これまで僕が意識したことのなかった、接頭辞としての「ド」の存在、そしてその例が意外と思いつきにくいという点を指摘していて面白い。(パッと思いついたのはド直球、ドあほ、くらい?)
この面白さは多くの人に共感してもらえると思うし、ある程度の日本語話者ならこの例をいくつか列挙することもできるだろう。そして、この面白さが研究のタネになりうることも言うまでもない。

では、面白いと思った言語現象について、ここでは接頭辞「ド」の例を集めるとすれば、なにができるだろうか。

→できるのは「辞書(単語リスト)」である。決して論文にはならない。どの分野にも共通して言えることだが、論文を創り上げるには、集めたデータ(ここでは集めた語彙)に対して、数多ある研究手法のなかから適切なものを選択し、そのデータを体系づけてまとめる必要がある。論文を執筆するという目的の上では「辞書」は副産物でしかない。

個人的には、卒論において、このデータの体系化はかなり執筆者のセンスに左右されると思う。大量に論文を読み、それぞれの研究手法を知る時間があれば、このセンスを磨く時間もあると思うが、バイトや部活に精を出し、4年間のうちのほぼ1年を就活に費やす、大学を就活予備校としか思っていない文系学部生()にはそんな時間はない。たいていは、指導教員に集めたデータを見せ、そのデータに対して有用そうな先行研究を紹介してもらい、形式を丸パクリして形にするのが関の山である。その手法が本当に最適なのか検証もせず(というか検証できる知識がない)まま、中間発表を迎え、副査の先生に追い詰められる、というのが普通の学部生のパターンである。

日本語学において、最初のデータ集めの簡単さがある種の悲劇を生む。データ集めには、無菌室も実験道具も大量の文献読解も不要である。日常の会話に転がっているもので、「あ、これ面白い。研究にできそう」とビビッと来たらあとは「日本語母語話者の私の頭のなか」でほとんど完結してしまうのだ。
こうしてデータを集め、「面白いことばのリスト」はできたが、さて、どうやって論文にしようか、となる。「そんな単語リスト作ってどうなるの?」と言われる。

母語話者なら自分でデータを集めてしまえる。このことが日本語学(言語学)を敷居の低い分野に見せ、結果、論文作成時にそれまでせっせと集めていた単語リストを手に立ち尽くすことになる。

言語学を学んでよかったこと

ここまで、言語学のネガキャンばかりしてきたが、もちろん学んでよかったと思えることもたくさんある。最後にそのよかったことについて話したい。

まず、ことばに対して敏感になる。
先述のとおり、普段から「ことばセンサー」が働いていて、あたらしいことばなんかに敏感になり、しかもそのことばがどのようにできてきたか予想できるので受け入れやすい。
【例】就活…就職活動の略だが、「〇×活動略して〇活」というルールではなく、「就職(に向けた一連の)活動」という意味から捉えることで、〇活を汎用的な接尾辞として使われるようになったんだなぁ、ドラマの「リコカツ」は「婚活」という語を前提にタイトルつけられているのかなぁとか。(個人的な思い付きのため不適当かも。)

また、話がうまくなることはないとは言ったが、ある程度自分が発することばも気を遣うようになる。自分が発することばも研究対象なので客観的に見ることができるし、「日本語学専修なのに言葉遣い悪いな」とかいちいち言ってくる面倒くさい人間を封じ込めておく意味でも。

そして、外国語学習に関しても多少のサポートになるとは思う。多くの言語のなかの1つとしての日本語、という風に日本語を捉え、その日本語の特徴を知るのはどの言語学の分野に進んでも必要なことなので、「この言語のこの特徴は日本語と同じ/違う」と考えられるのは第二言語の習得に役立つのではないかと考える。(ちなみに僕は英語もろくに話せません。。)

加えて、「人様の役に立たない」と言われて久しい文学部のなかでも、言語学は比較的実践的な分野だと思う。
人とのコミュニケーションがなければ言語学はなしえない。ことばを追究することで、刻々と変わりゆくことばを肯定する理由付けができる。また、自分だけでなく他人の言語学習のサポートになる。この点で人様の役にも立つんじゃないかなとは思う。(文学の人や歴史学の人もそれぞれ言い分はあると思うのでこのあたりでとどめておこう。。)

最後に、普段の会話から小ネタを披露できる。相手が使ったことば(言葉尻?)を捕まえて話のネタにできるのだ。そりゃ「ら抜き言葉は言語の適切なる変化だ!」とかいうと大半の人に変な奴認定されるが、『日本人の知らない日本語』が大ヒットしたように、誰にでも共感してもらえ、興味を持ってもらえるテーマはたくさんある。
言語学に興味があれば、こちら↓のyoutubeチャンネルも面白い。(諸説ありのなかの一説を紹介しているだけのものもあったりなので、注意は必要。)

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以上、長くなってしまったが、僕が言語学を学んで感じたことは以上である。
最後に、ことばとはあまり関係ないかもしれないが、最近、目から鱗が落ちたこと。
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でわでわ。

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