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また、本が残った
この春、4年間お世話になった古書店を後にしました。
最後のさいごになってみれば、どうして辞めるのか、辞められてしまうのか、互いにわからなくなるのでした。
ただ、どうしても言わずにいられない言葉を残して去るほうを選んでしまったのは、義侠心のようなものに抗えない場面での出来事で、信義を守ってしたことだから後ろ髪引かれても戻れない。
雇い止めという形で先輩が去り、同僚が去り、わたしだけ何も変わらなかった。
古書好きのただの主婦を買いかぶってくれたのはむしろありがたいことだったかもしれない。
だけど誠実さのないところには否とだれか言わなければ、古書店という小さな社会の独裁者たる雇い主の判断の誤りや弱さを伝えることはできなかった。
いつか、元古書店主・谷口雅男氏の本を読んで書いたことば。
ー古書店アルバイトがどんな色眼鏡で見たとしても、古本屋は古物商であるかぎり因果で、著者が事あるごと反面教師といって憚られないほどに、今なお後進的。かといって諦めて体質を変化させてしまっては〇mazonと同じになってしまう。それでは全く味気がない。
札幌でも自社ビルを持つ古書店は複数あって、老舗とあれば定休日少なく、顧客は多く、買取の依頼止まず、忙しい。
店主は休みの日にも働いてやっと仕事が回る。
合間に東京方面への出張、年に一度は目録作成という大仕事が待っている。
自堕落な自営業者なら通路に本が積み上がって収拾つかなくなることろを、わたしの働いた店は努めていつも綺麗だった。
本の溢れて売れない時代に、殺人的な忙しさをこなしていくため犠牲とされるものがある。
因果な商売につきもののいやらしさがある。
それが古書業界のおもしろさでもあるから困ってしまう。
通算5年間、古書店アルバイトとして見て聞いたことを忘れないでいたいな。ほんとうに楽しかったな。
本だけがまた残ったけれど、大好きな古書店がいつもまでも存続してあるように、お客さんになってまた恩返しができたらいいと、こころからおもう。
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