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お墓参りに思うこと。

お盆の時期になりました。今年もご先祖様をお迎えしましょうね。

この時期、お墓参りの際に感じることがあります。

わたしはここに眠るご先祖様とは会ったことも、関わったこともありません。主人の今を育んでくださったことに感謝の気持ちはあります。が。

正直。

血縁でもない。関わったこともない。この方達と一緒のお墓に入る、というのはなんとも言えない感情が湧き上がります。

一方で、ご先祖様の血を引いた娘たち。完全に私、アウェイじゃない!?

ヨメというのは、なんとも不思議な立場。

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名前を変えて生きていく

結婚をすることで姓を変える。子育て時期には〇〇ちゃんのママ。〇〇さんの奥さん。あれから私は、ほぼ自分の名前で呼ばれることがなくなってしまった。

えりちゃん。

幼い頃から慣れ親しんできた名前。

これを失うことで、いつか、自分自身すら失ってしまったように思う。

誰もが役割をもって生活し、肩書きをつけて暮らしている。そんなのはわかっている。

だけど、わたしは本当の自分を結婚・出産と同時に、どこかに忘れてきてしまったのかもしれない。

そう感じるほど、産後のわたしは道に迷っていた。

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自分をとりもどす。

良いママ。良い妻。良いヨメ。

迷いに迷って、わたしが手にした答えは

"どんなに頑張って繕っても、わたしはわたし以外にはなれない"ということ。

良いママでいたいけど、いつもニコニコなんて無理やし!

良い妻でいたいけど、掃除はやっぱり嫌いで。自分がイライラしない程度に片付いていたら、それでいい!

良いヨメでいたいけど、義父の物言いには納得いかない!

どんなに表面上は受け入れても、どこかに「チッ」と舌打ちする自分がいるんだってわかったんだよね。

だから、わたしは自分の"感覚"を大事にすることに決めたのだ。

それは【傍若無人に振る舞う】ということではなく。

そして【我慢しない】とも少し違う。

自分らしさを大切にすること。そこを徹底することで、女性はどんな変化にも柔軟に対応できるのだと思う。

強さはしなやかさ。だから女性でいることは楽しいのだ。

そんなことを考える今年のお墓参り。

そしていつか、主人と一緒にここに名前を刻まれるのだ。





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