欲望充足と欲望否定

欲望について考えてみたい。欲望が叶うというのは誰しも嬉しい事と思う。欲望をスムーズに叶えるためにスマートに努力できる人の事を羨ましいと私は妬む。

欲望を叶える為にはスマートな努力が必要だと分かっている。けれどそのスマートな努力がなかなかできなくてみんな悩んでいるのではないか。

この間、大阪のおしゃれスポット中崎町の付近までチャリで行き、その辺りでSARUという文字が書かれた、ゴリラ系の顔の男を見かけた。面白かったけれど、その後でまたすれ違ったのが、サングラスをかけて、映画に出てくる伊達男みたいなTシャツを着た、肌の浅黒い若い外国の男二人組み。おしゃれのセンスとしてはどちらも甲乙つけがたかったけれど、女受けを考えた時、SARUはさすがに分が悪いと思った。日本人、おしゃれが内向してるよってその時おもった。誰に見せたいの?がすっぽりと抜けたおしゃれってのもあるのだ。それは本来のおしゃれではない気がします。おしゃれってのはやはり他人があってのものなのだ。

欲望の充足と否定というテーマにおいても、他人は必要な存在として出てくる。他人を必要とする欲望しか知らない男は弱い男だと私は思います。その弱さが人生で有利に働くか不利に働くか、それは私にはわからないが。

欲望を否定される事は、大人になる上での通過儀礼なのかもしれない。否定されたあと、自らの欲望とどう向き合うか。自分をコントロールする力をどうやって身につけるのか。私の場合は鎮静剤を服用する事が転機となり、少しだけ落ち着きも出てきたかもしれません。

とはいえもう少し、がまんするって事も学ばねばならないのかもしれません。欲望が否定された時に、否定した側が常に全面的に悪いのでもなく、否定する側の理由も色々と考えられるのが大人って事で、それさえ学べるならば何もガツンと欲望を否定してやる必要はないのかもしれない。

良く良く考えた上で自分の欲望はそれでも社会とも調和しうるし何なら地球の環境ともより合致しているのだと思うなら、突き進めば良いと私は想います。

一度は欲望を否定もされないと、わがままま極まるにんげんが誕生してしまうのかもしれないのです。しかし、より大事なのは、欲望が否定された時のものの考え方や、落ち着いてものを考えられるかどうかって事ではないかと思います。

欲望の成就も否定も、人生の一大ドラマです。その中でみんな少しずつ大人になっていくのかなぁと思います。


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