かけがえのない
駅に向かう道でよく見かけていた白黒ネコが、最近は動物病院の玄関前で座っている。とてもゆったりとした動きの白黒ネコは、雨の日も優雅に庇の下で過ごしている。
スマホを眺めて歩いていた今朝は、動物病院の前を通り過ぎてしまって、随分と歩いてから振り返ったけど、白黒ネコが座っているかどうかはわからなかった。
沢木耕太郎著「路上の視野」に収録されている「積木のように」というエッセイを読んだ。3000字くらい。
沢木氏が大学を出てすぐに、ルポタージュを書く機会が与えられた時のことが書かれていた。いかに取材するかが99%を占めて、いかに表現するのかは残りの1%にすぎないと思っていたこと。素材を集めても実際に書く段になったときに、断片しか書けず、書いては破棄してを繰り返したこと。なんとか出来上がったルポタージュの曖昧さに自分には能力の欠如があるのではないかと思ったこと。そこからある詩集の解説文に書かれた言葉に出会って、自身の書き方に気づき、楽になったこと。等々。
「ある詩集の解説文に書かれた言葉」とは、
ただ一行、立原道造はその詩を《スケッチブックに書いたり消したりしていた》とあったにすぎなかったのだ。(P51)
このエッセイは沢木氏自身の書く体験を通して、最後の言葉「とあったにすぎなかったのだ」に辿り着く。沢木氏の書く行為を感じて興味深く読んだ。
仕事が忙しくなってきた。電話もジャンジャンとまではいかないが、頻繁にかかってくる。それほど重要とみなされていない仕事でも、電話で伝えられる疑問や質問に答えて「ありがとう」と言われると悪い気はしない。忙しさにもいろいろ種類があるということだ。明日も書いて乗り切ろう。
ツツジが今日もきれいだった。詰め詰めの状態でひしめき合う感じで。カラッと晴れた日のせいか、若干水分が足りなさそうで、花弁がしわしわになっていた。ぼくはツツジに水をあげたい。
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