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書くと、忙しさ

仕事が忙しくなってきた。忙しいと言ってもいろいろある。人によってそれぞれだ。ただ他人の基準で忙しさを測ると、そりゃあいろいろあるということになる。だから、自分が忙しい、と感じる時は忙しい認定してもいいと思う。

ぼくの周囲には「よくできる人」がいて、それは自分の中でつくり出す幻想でもあるんだけど、実際に「よくできる人」で、その人たちに言わせると「こんなのまだまだ忙しくないよ」ということらしくて、それを聞くと「あぁこんなのまだまだ忙しくないんだ」と思い込もうとするのだけれど、そんなことを繰り返していると、忙しさの基準はその「よくできる人」基準で出来上がっていくし、それに合わせるようにはたらくようになると、自分基準での忙しさが持てなくなって、結局身体を壊してしまうことになる。

だから、そういうことも踏まえて、忙しい認定は自分のなかで、その時々の体調に合わせて出すことにしている。「えーそんなの忙しくないよー、ぜんぜん楽じゃーん」と言ってくる人は無視して良い。無視がいやなら「そうだねー」くらい言っておけばいい。言いすぎかな。

ぼくは仕事のことをいろいろ考えて煮詰まってくると、頭が熱くなってくる。処理速度が限界になってくると、ほんとうに頭が上手く回らなくなる。ある時期に無理をしたおかげで、パソコンに負荷をかけすぎて固まってしまうような状態が、自分自身にも訪れるようになった。そしてその頻度が多くなり、耐えられる負荷が小さくなってきている。

これは見方によっては、違う負荷を適切にかけることができる状態に移行しているとも言える。小さな処理を積み重ねることに従事するのではなくて、少し遠くからものごとを判断する位置でそういう負荷をかけていく時期に入っているのかもしれない。ここまで広がるとよくわからなくなるので、また今度考える。

とにかく、仕事が忙しい。忙しいと感じている。実際、仕事していると、頭が熱くなってくる。不具合を起こしそうになる。パソコンが固まるように、脳の動きが止まる。同じ事を何度も考える。どうしたら良いのか、突然わからなくなる。もちろん不安にもなる。おかしくなってしまったのかもしれないと思いはじめて、ドキドキする。眠気もやってくる。

たぶん、向いていないことをしているんだろうなと思う。じゃぁ向いていることってなんだろうって思う。そんなものはこの世にはないような気がする。探していないだけなのかもしれない。でももう探す時間も気力もない。とにかく目の前の仕事をこなして、賃金を手に入れて、家族を食べさせていくんだ。家族はそんなことを望んでいないかもしれない。いや、最低限の家族運営費は必要だ。だから、望んでいるのか。よくわからないな。

なんて書いて、ぼくは楽しんでいるんだ。時差出勤で確保された2時間は最高だ。半地下カフェで過ごす時間はあと20分もある。隣の席に座る赤いジャンパーのおじさんが「あぁーっ」と突然大きな声を出す。

今日も忙しくなりそうだ。

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