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忘れてしまう、今日の日を

一年前の今日の日に何をしていたか、なんて頭の中には何も残っていない。

二年前、三年前、と遡ってみても何も覚えていない。例えば誕生日、結婚記念日、誰かの命日、そんな特別な日だったら、覚えているのかもしれないが、今日の日はそのどれでもない。

例え記念日だったとしても、朧気な記憶が残されているだけで、思い出す映像の順番だってバラバラのはずだ。今日の日のことを書いたとしても、書き漏れてしまったことは、どこにも残らず消えていく。

まるネコ堂ゼミ「中動態の世界」第7回に参加した。1名欠席で3名でのZOOM開催となった。参加者それぞれがつくった第7章のレジュメをベースにして順番に発表する。3人全ての発表が終わり、休憩を取った後に思い思いのことを話す。

個人的にはハイデッガーの「放下」という概念についての発表が面白かった。該当箇所はハイデッガーが宴席の場で演説した内容を記述したものらしく、3人の男性が対話する形式で書かれた脚本のような文章だった。「放下」とはどういう概念なのか、その文章に明確に示されているわけではなくて、3人の対話そのものが「放下」を表しているのだという。今回のゼミも豊かな時間だった。

夕方に1冊の本を読み終えたので、読本1枠分補充のために夜の本屋に車で向かった。大きな本屋は23時まで営業していて、大人の遊び場としては最高だ。地下の駐車場に車を駐めて、エレベーターを使って1階に上がる。

自動ドアから店内に入ると店の奥まで本棚が果てしなく並んでいて、入口からみえるカフェスペースのソファー席にはまばらに人が座っている。休日のお昼のようには混んでいなくて、店内を歩いてもすれ違う人が少ない。

目当ての本棚に辿り着いて、本の背表紙を左上から順番に眺める。連休中この本屋に通ったおかげで、棚の位置と内容はおおむね把握できている。身体に馴染んできた感じがする。


まるネコ堂ゼミのなかで話に出てきたマルティン・ハイデッガー著「形而上学入門」を棚に見つけて手に取る。「存在と時間」は未完成で、その次に書かれた「形而上学入門」の方が読みやすくてお勧めらしい。ページをパラパラとめくって、中身を眺めるがやっぱり難しそうだ。本を閉じて棚に戻そうとしたが、1枠補充分として買ってみることにして、手に持ったままレジに向かった。

家に帰ってから、デスクライトだけの薄暗い部屋で「形而上学入門」のページをめくる。警戒して最初のページにすすめず、一番後ろの「解説」から読み始める。著書全体のことをまとめるように書かれていて読みやすい。続けて「改訂版訳者あとがき」を読む。『本書の「概観」(三二六項以下)をまず最初に読んでおくこと、』なんて書いてある。書いてある通りにP326以下を読むが、充分難しい。

そのままページを遡って「シュピーゲル対談」というハイデッガーへのインタビュー文章を読む。ハイデッガー自身が死後に掲載することを条件に受けたインタビューらしい。ナチスの力が強まってきていた中での自身とナチスとのかかわりや、自身の立場等についてのインタビューで、弁明のような感じ。インタビュー形式なので読みやすかった。

このインタビューの前の項は「訳者あとがき」で最後の行には「昭和三五年秋」とあった。ついでに「『形而上学入門』訳注」も読んでしまう。訳注は読むと意外と面白いし、全体を把握する上では訳注をバーッと読むのも一つかもしれない。

難解な「形而上学入門」も、こうして周囲から攻め込むと、本体を残して【P 111/446】読んだことになる。読んだことになるので、ひとまず積ん読回避。本体は難しいんだろうけど、行けるところまで行ってみようと思う。なんでも経験だ。

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