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誤びゅう

朝になっても連絡はない。

誰かの煙草の煙が、細く、長く漂う。
店の窓からは、道路に面した商店街の入り口が見える。

おじいさんが、ふさふさの白い顎髭をなびかせて、
ゆっくりと自転車を走らせる。

雑誌を手にとって、ぱらぱらと開くと、
星占いのページがあった。

魚座
もっとこうしてほしかった。
ということを、
我慢せずに、素直に伝えると、
良い方向に運ばれてゆく。

後ろの席に座る常連客の男は、
クチャクチャと音を立てて食べる。
ウェイターが遠くの席で注文をきいている。

どうしようもないことだと抑えて、
しょうがないと諦める。

そんなことを繰り返していると、
生きる力が減退してゆく。

あなたの事実と私の事実。

林檎と檸檬を食卓に並べて、
時間の許す限り観察してみると、
何かが見えるかもしれない。

窓から差し込む光が強くなり、
指先が熱くなる。

不足感は贅沢品だ。

商店街の入り口近くに、白い軽トラックが停まった。
青い作業服のおじさんが、台車を降ろしている。

経験は、次の世界に向けて蓄積される。
明日、真逆に向かうことになっても、
日常を生きるのか。


【言語合宿「読む書くことと音読の交差」 2018 提出作品】

明けましておめでとうございます。

新年早々「誤びゅう」とはなんぞや、という感じですが、自分の気持ちを新たにする、という意味合いを込めまして、ぼくの原点でもあるこの作品を記事にして投稿します。

この「誤びゅう」という作品を提出したのは『言語合宿「読む書くことと音読の交差」 2018』という催しで、参加者は主催者を含めて6名でした。それまでのぼくは書いたものを誰かに読んでもらったことがなく、毎朝、喫茶店の窓からみえる景色をひたすらポメラに打ち込むという作業を続けていました(今も変わりませんが…)。そのことを聞いた友人がこの催しを教えてくれて、思い切って参加を決めました。読んでもらう場に文章を提出するのは初めてだったので、読める形にするのがとても大変だったことを覚えています。5000字の文章が校正を繰り返しているうちに上記の詩のような500字ほどの文章になりました。

催しに参加して、文章を読んでもらう時は、相当ドキドキしました。参加者の方々が、この短い文章を1時間ほどかけて徹底的に読み込んでくれて、興味深い感想をたくさん伝えてくれました。ぼくのなかで、小さな力が、文章を書いて行く小さな力が芽生えた瞬間でした。

その後、他の催しに参加しながら、ポメラに打ち込んだ文章を短い文章にまとめることができるようになり、短編小説のようなものを書いたり、長編に挑んでまとめきれずに放置したり(笑)紆余曲折を経て、今はnoteでお世話になっています。

noteでつながるみなさまに読んでいただけること、本当にうれしくて、ありがたくて、書く力になっています。ありがとうございます。

本年も行けるとこまで、何かを書いて行こうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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