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就活生だった頃の私へのアドバイス

ここ最近、仕事が楽しくて仕方がない。

「作家にモデルにライターなんて、好きなことを仕事にしてるから楽しいんでしょ?」

もちろんそういう面もあるが、それだけではない。

私は今、自分の能力を思う存分発揮することに快感を覚えている。

そんな中で、ふと、就活生だった頃の自分、そして入社した会社と互いに憎み合って辞めてきた自分を振り返ってみる。

今の私なら、あの時の自分にこうアドバイスする。

子供の頃の夢

実は小・中学生の頃の「将来の夢」はモデルだった。学校の授業の中ではそう発表していたし、小学校の卒業アルバムにもそんなことを書いていた。

それでも私は次第に現実を見るようになる。将来はちゃんと稼げる仕事に就かなければならない。モデルの仕事で稼げる人はごくわずか。地に足つけたことを考えなければ……。結局高校は普通の進学校に通うことになり、いつしかモデルの夢を諦めるようになっていた。

それでも高校に入ってから、小説を書くことの楽しさに目覚めた。中国史オタクだったこともあり、歴史小説を書くことから始め、恋愛小説やホラーなども書くようになった。

同時に思春期にありがちな生きづらさも感じていた。

「私のような人間に、会社勤めなんかできるのだろうか?」

そんなことを考えていた。そして作家という職業には「人とあまり関わらず、一人ないしは家族とのんびり穏やかに暮らしている」というイメージもあった。

だから私は自然、「作家になりたい」と思うようになった。

就活での妥協

それでもやはり作家も収入が不安定な上に、本当に稼げる人はごくわずかというイメージがつきまとう職業だ。収入の不安定さが理由でモデルを諦めた人間が志すべき仕事ではない。

高校を卒業し、一浪し、大学に入った私は、三年生になったら当然のように就活を始めた。当時は三年生の12月に就活が解禁されたため、周囲の流れに乗るようにして私も12月1日に就活サイトに登録し、就活イベントに足を運ぶようになった。

でも、自分が何をしたいのかが分からなかった。モデルも諦め、作家も諦めた私に、他にやりたいことはなかったのだ。

もちろん出版社や新聞社などのマスコミ系も考えなかったわけではない。何社か説明会にも行った。でも、話を聞いていてもしっくりこなかった。

紆余曲折あって、私は結局三重県のとある業界の中小企業から内定をもらい、そこに入社することにした。モデルとも執筆とも関係のない会社だった。

それでも、私がモデル・執筆を通してやりたかったこと−−−−人に希望を与えること−−−−がこの会社ではできるのではないかと一応は思っていた。

入社した会社について

2014年春、私は晴れて会社員になった。

自分が本当にやりたいことを妥協して選んだ会社ではあったが、それでも自分の思いは表現できると思って入った会社だ。だから入社当初はかなり前向きな気持ちだった。出世もしたかったし、入社後に楽しく働いている姿も想像できた。

でも、その気持ちは入社3ヶ月でトイレに全部流してしまった。

流行語大賞で「ブラック企業」が入る時代だった。私の会社でもサービス残業が問題になっていた。手当てがつかないのに強制的に時間外に働くことや休日出勤を命じられることには納得できない。

さらに一晩で100km先に異動させられるのが、この会社では当たり前だった。

「明日から100km離れたところで働け」

突如そんな命令が下される。しかもこれがパワハラとしてではなく、会社の風習としてなされる(一部パワハラとしてこうした命令が下される事例もあったが)。

私が入社した会社はそんな会社だった。

だから私は徹底的に戦う姿勢を見せた。入社3ヶ月目にして、会社からの不当な扱いに対して声をあげていった。当初は私一人による反乱のようだったが、労働組合のバックアップもあり、私の主張は会社も看過できないものとして扱うようになった。

今思うと大学卒業直後、入社3ヶ月の小娘がよくやったと思う。確かに私は新卒で入った会社を2年で辞めてきた人間だ。でも、ただ沈黙して会社にいいように使い捨てられてきたわけではない。

私は主張すべきことは主張してきた。私も会社を恨んだが、会社もまた私のことを憎んでいたと思う。弱冠24、25歳の女が、会社と互いに憎み合った上で退職するというのはいろんな意味で人から注目もされた。

「会社を辞める=社会不適合」というイメージ

しかし2016年、私は言うべきことは言った上でついに会社を辞めた。それでもやはり私の消耗は激しかった。在職中、ネガティブなこともたくさん言われていた。上司からもバカにされたことは何度もあった。さらに退職後には元上司から私のブログに対する嫌がらせも受けた。

そういったことが重なって、必死に戦ってきた私はすっかり消耗してしまった。そして勢いよく会社を辞めたものの、退職後しばらくの間は自信喪失に陥っていた。

日本には「卒業後就職した会社をすぐに辞める=社会不適合」というイメージがあるような気がする。

「会社員『も』できない自分なんて価値がない」

「私は人とうまくやっていけない人間だ」

今だからこそ、

「あなたは言うべきことを言った上で辞めてきたし、会社に『辞めてもらって清々した』なんてそう簡単に言ってもらえることではない。それだけのことをあなたはしてきたから立派だ」

と言えるけれど、退職直後はそうは思えなかった。ただただ自信喪失し、「私は社会不適合」と考え続けるだけの日々。

勢いよく会社を辞めてきたものの、その他にもいろいろなことが重なって、結果私は退職後の2年ほどは自分に自信が持てないまま過ごしていた。

今の働き方

それでも自分が望んで始めた仕事は、私の気づかないところでどんどんレベルアップしていた。目に見える成果がなかなか出せずに悩むこともあったが、それでもスキルは伸びていたようだ。

次第に結果が目に見える形になって現れるようになった。お金も、仕事での信頼も得られるようになった。

自分の好きな仕事を通して自分の能力を思う存分発揮する快感を今、噛み締めている。

仕事をしていく中で、人とのつながりも得られるようになった。一人で仕事をするよりも、複数人とチームになって仕事をした方がより大きなものが作れる。そんな実感もあった。

あれだけ会社勤めに苦痛を感じていた私が、「自分には人と一緒に何かをするのは難しい」などと考えていた私が、今チームで仕事をしている。会社退職後は、

「もう仕事で必要以上に人とかかわるのはごめんだ。これからは一人で仕事をしていきたい」

などと考えていたのに。私自身もそこに驚きが隠せない。

自分自身のスキルを磨いていくにつれて、人との関わり方も変わってきたということだろうか。だとしたら、自分のスキルが一体なんなのかも分からなかった就活生だった頃の自分に「正しい会社選び」なんてできるわけがないようにも感じられる。

あの頃の私へのアドバイス

確かに言いたいことは言った上で会社は辞めてきた。けれどもその後、私はいつも自分のことを「社会不適合」などと思ってきた。

前の会社も大概ブラック企業だったと思う。でも、私自身に問題がなかったかというとそうではない。

就職活動の時、私は自分の理想に妥協してあの会社を選んだ。そもそもそんな選び方が間違っていた。

それだけではない。

私は今チームで、組織で動く楽しさを噛み締めている。この楽しさは自分がそれなりにスキルを身につけてきたから味わえる楽しさだ。

「チームで動けることが重要」「協調性が重要」とはもちろん言わない。ただ私は、会社勤めができなくて自分のことを「社会不適合」と評価してしまったような人間だ。

学生時代に学問と並行して自分のスキルを磨く努力をしていれば、前の会社で悩むようなこともなかったかもしれない。就職活動の際、自分のスキルを活かせる職場を見つけ、そこで今感じているような楽しさを噛み締めていたかもしれない。

変に自信喪失して自分のことを「社会不適合」などと評価するのを避けられたかもしれない。

今更ではあるが、就活時代の私にアドバイスをしたい。

「学校の勉強ももちろん大事だけど、自分はどんなスキルを持っているのかを見極め、それを伸ばす努力もしよう」

あの時これができていれば、今頃もっと違う人生を歩んでいた気がする。……別に今、後悔しているわけではないけど!


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