能世雄妃@文章が書ける美女

作家・モデル・ライター。オフィシャルサイト→https://writing-beaut…

能世雄妃@文章が書ける美女

作家・モデル・ライター。オフィシャルサイト→https://writing-beauty.com/

マガジン

  • 美女日記

    「文章が書ける美女」の日記

  • 妊娠期間中ライターとしてどれくらい成長できるのか

    3月中旬に妊娠が発覚て以来日々自分の体調の変化に大パニックを起こしています。 今までの自分のルールが通用しなくなった今自分が妊娠期間中にどんな働き方をし、どう成長できるのかが気になったので、新しい働き方LAB研究員一期生として発信することにしました。

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    作家としての日記。

  • 『項羽と劉邦』執筆日記

    ずっと夢だった『項羽と劉邦』の小説を書こうと思います。執筆する上で感じたことなどをこちらにまとめていきます。

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    4度のコンテストにファイナリストとして出場し、さらに現在ミセスコンに出場予定の私が考える、美しく生きるための思考(時々ノウハウ)を毎週月曜日に配信します。

記事一覧

固定された記事

ホームセンターと文章が書ける美女

「なんでもある」と言っても過言ではないホームセンター。 そんなホームセンターだが、おそらく人それぞれよく行く棚はなんとなく決まっているものだと思う。 私の場合は…

「才能がないから」

はやめる理由の中で最も多いものなのだから、例えそれを疑いながらであっても続けられることこそが本当の才能だ。

『刎頸の交わり』を売り出した頃の私が「心のサポーターを名乗る人が言ってるんだから……」などと葛藤しない人間だったら今よりももっと売れていたか、今よりももっといい作品が書けていたかというと甚だ疑問ではある。

「健気な美女」以外に特筆すべき特徴のない女

戦後日本で大流行した『君の名は』という映画・小説・ドラマに登場する女性・真知子は、よくよく見ると「健気な美女」以外に特筆すべき特徴のない女だった。 「健気な美女…

誰と親しくなるためのファッションか

「もっと自分らしいファッションを楽しもう」 と私自身も日々時には悩み、時には失敗し、それも含めて自分らしいファッションを楽しんでいる今、 「真知子巻きをした当時…

自分の方向性が定まっている上で周りの人から「可能性に満ちている」と言われる30代がすべきことは、何を足すかではなく何をいかにして外すか。

くよくよとあれこれ悩んでしまうのは三つ子の魂百までなのか。

それでも方向性が定まっている中で、

「可能性に満ちているのにそれを活かし切れていないのが勿体無い」

と言ってくれる人が身の回りにいることの有り難さよ。

彼女たちは「春樹」との結婚生活を維持できたのか

……という話を読みながら、だとしたら真知子巻きをした女性の中には「意思を貫く強さのある女」を演じつつも実は「春樹と結婚したい」という思いを押し殺しているだけの人…

「文章が書ける美女」は読者をして自身の意見を言わしめるための人形なのだから、仲良くするために賛同しようとするのは疲れるだけなのでおすすめはしない。

少なくとも「彼」は男として見られたかった

私は自身が女であることに価値を感じた上で執筆活動をしている人間だ。 だからビットコインの開発者、サトシ・ナカモトは男として見られたい、あるいは男として見られるこ…

本当に学者なら

先日たまたま見た、ビットコインの開発者サトシ・ナカモトの人物像について考察する番組で、 「彼は(おそらく)学者ではない。学者なら2本目の論文を書く」 といったこ…

私は、

「特定の分野の専門用語を使って誰にでも当てはまる話」

を書くことが多い。

私でも苦労している

私はそれなりに本を読む方ではあると思う。 だから文章からその人の人柄を読み取るにはそれなりの量を読まなければならないのだということを知っている。 例えばSNSで指…

サトシ・ナカモトの人物像は論文から浮かび上がるのか

先日テレビで、ビットコインの開発者「サトシ・ナカモト」とはどのような人物かについてさまざまな分野の人たちが議論しているのを見た。 「文章だけでは人柄は今ひとつ伝…

「執筆者が女であること、女の容姿であることはその文章の価値とは関係ない」

という意見に私もうなずかないわけではない。

それでも私自身は執筆者である私が女であること、そして女の容姿であることに価値を感じているためこうして「文章が書ける美女」として執筆活動をしている。

いざという時に閃く理由

私は年に数回「アマプラでなんか見るか」と思う程度の、特に映画好きというわけではないからこそ、どうしても「誰もが一度はタイトルを聞いたことがある映画」ばかりを見て…

固定された記事

ホームセンターと文章が書ける美女

「なんでもある」と言っても過言ではないホームセンター。 そんなホームセンターだが、おそらく人それぞれよく行く棚はなんとなく決まっているものだと思う。 私の場合は食器と洗剤と文房具コーナーによく行くが、それ以外は滅多に行かない。 そのためホームセンターには今までに行ったことがない棚というのは実はたくさんあり、そういう棚には今までずっと世の中に当たり前のように存在してきたのに私にとっては見たことのないような珍しいものが存在する。 ホームセンターはそういう新発見ができる場で

「才能がないから」 はやめる理由の中で最も多いものなのだから、例えそれを疑いながらであっても続けられることこそが本当の才能だ。

『刎頸の交わり』を売り出した頃の私が「心のサポーターを名乗る人が言ってるんだから……」などと葛藤しない人間だったら今よりももっと売れていたか、今よりももっといい作品が書けていたかというと甚だ疑問ではある。

「健気な美女」以外に特筆すべき特徴のない女

戦後日本で大流行した『君の名は』という映画・小説・ドラマに登場する女性・真知子は、よくよく見ると「健気な美女」以外に特筆すべき特徴のない女だった。 「健気な美女」以外に特筆すべき特徴のないキャラクターだったからこそ、「価値観の変動期に自らの意思を貫いた女性」として当時の多くの女性に憧れられたということか……。 特筆すべき特徴のないキャラクターを描くのって案外難しいんだよね……。

誰と親しくなるためのファッションか

「もっと自分らしいファッションを楽しもう」 と私自身も日々時には悩み、時には失敗し、それも含めて自分らしいファッションを楽しんでいる今、 「真知子巻きをした当時の女性たちは真知子に憧れていたのではなく春樹と結婚したかったのではないか」 という話を読んでいると、周囲とのしがらみから自分を解放し自分に似合ったファッションをするということは、そのファッションを通して人と付き合うということであり、自分らしいファッションを楽しんだ先には新しい人間関係があるということを改めて実感す

自分の方向性が定まっている上で周りの人から「可能性に満ちている」と言われる30代がすべきことは、何を足すかではなく何をいかにして外すか。

くよくよとあれこれ悩んでしまうのは三つ子の魂百までなのか。 それでも方向性が定まっている中で、 「可能性に満ちているのにそれを活かし切れていないのが勿体無い」 と言ってくれる人が身の回りにいることの有り難さよ。

彼女たちは「春樹」との結婚生活を維持できたのか

……という話を読みながら、だとしたら真知子巻きをした女性の中には「意思を貫く強さのある女」を演じつつも実は「春樹と結婚したい」という思いを押し殺しているだけの人も多くいたのではないだろうかと、今、育児の合間にこうしてコーヒーを飲みながらノートパソコンで仕事をしている私は疑ってしまう。

「文章が書ける美女」は読者をして自身の意見を言わしめるための人形なのだから、仲良くするために賛同しようとするのは疲れるだけなのでおすすめはしない。

少なくとも「彼」は男として見られたかった

私は自身が女であることに価値を感じた上で執筆活動をしている人間だ。 だからビットコインの開発者、サトシ・ナカモトは男として見られたい、あるいは男として見られることに価値を感じている人間なのではないか……ということを感じなくもない。 そんなことはどうでもいいと私も思わなくもないが、彼が現在も莫大な量のビットコインを保有している可能性があるのであれば、「これについて考える価値は絶対にない」と言い切ることもできないのではないか……とも思う。

本当に学者なら

先日たまたま見た、ビットコインの開発者サトシ・ナカモトの人物像について考察する番組で、 「彼は(おそらく)学者ではない。学者なら2本目の論文を書く」 といったことを語っている人を見た。 私は「次回作を書いてこそ作家」と思っている人間だ。 だらだらと聞き流していただけだったためその意見を正確に解釈できているかは私にも自信はないが、サトシ・ナカモトが発表したのはビットコインに関する論文ただ1本のみであり2本目以降がないのだとしたら私もその意見にはうなずける。

私は、 「特定の分野の専門用語を使って誰にでも当てはまる話」 を書くことが多い。

私でも苦労している

私はそれなりに本を読む方ではあると思う。 だから文章からその人の人柄を読み取るにはそれなりの量を読まなければならないのだということを知っている。 例えばSNSで指をシュシュッとしながら読んだ程度ではなかなか人柄は把握できない。 (だからといって写真や動画なら指シュシュッで分かるかというとそれも疑問ではある) そして相手に対して相応の敬意がなければ「それなりの量の文章」を読むこともできない。 つまるところ、相手の人柄が分かるかどうかはこちらからの相手に対する敬意次第で

サトシ・ナカモトの人物像は論文から浮かび上がるのか

先日テレビで、ビットコインの開発者「サトシ・ナカモト」とはどのような人物かについてさまざまな分野の人たちが議論しているのを見た。 「文章だけでは人柄は今ひとつ伝わらない」 とは言われているものの、この仕事をしているからかその意見には少々懐疑的ではある。 「論文」や「メール」などテキストでのやり取りからサトシ・ナカモトがどのような人物かを想像している人たちを見ていると、要は読み手の読解力の問題なのではないか……とさえ思う。

「執筆者が女であること、女の容姿であることはその文章の価値とは関係ない」 という意見に私もうなずかないわけではない。 それでも私自身は執筆者である私が女であること、そして女の容姿であることに価値を感じているためこうして「文章が書ける美女」として執筆活動をしている。

いざという時に閃く理由

私は年に数回「アマプラでなんか見るか」と思う程度の、特に映画好きというわけではないからこそ、どうしても「誰もが一度はタイトルを聞いたことがある映画」ばかりを見てしまう。 そして「音楽が有名だからその映画のタイトルを知っており、いざという時にはそれを見る」ことが多くなる。 だから実際に物語を知って「『名作』とは……」と考えてしまったことはこれまでに何度もあった。 とりあえず個人的にはアポロ×ロッキー戦よりも、少年院での力石徹×矢吹丈戦の方が描写としては上だと思っている。