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国境なき母親

2018年7月30日に書いたブログ


【親子間にプライバシーは必要がないと思っている】


"国境なき母親"という単語は私の愛読書の『毒親の棄て方』を書いたDr. Susan Forwardが作った。


そして私はこの単語が母にピッタリで気に入っている。


一般的に、ごく普通の家庭で育った人たちは、子供に対する親の関わりを、親であれば当然のことと支持する。


子供のことが心配だから致し方ないことなのだと。



だけど、それ以上踏み込んではならないというラインがあって、それを越えたら永遠に子供の信頼を取り戻すことはできないという覚悟が必要で、親なら子供に何をしてもいいと言うことではない。



機能している家族、健全な親なら、そのさじ加減をちゃんと分かっているはず。



しかし、毒親の場合、それができない。




私がプライバシーを侵害された時、その時は雑巾を絞るように胃が捻じ曲がるというか、これが腹が煮えくり返るっていう感じなんでしょうか。


もう、怒りとも、悲しみとも、呆れるとも、何とも言えない気持ちでした。




母は、私がいない間に私の部屋に入っていた。



部屋にあった物の位置が変わっていたことで気付きました。



親のすることはだいたい読めたので、物色した痕跡が残るようにこちらで簡単な仕掛けをしたもんです。


また、私が30歳の時に数か月実家に滞在していたのですが、この時も母は相変わらず私の部屋を漁っていました。



なぜ分かったのか。

私の妹が、「お母さんがお姉ちゃんの部屋入ってるよ。だってお母さんが『お姉ちゃんがいない時にお姉ちゃんの部屋に入って色々見てるんだ』って言ってたの。」と教えてくれました。



一度母に言ったことがあります。プライバシーを侵害していることについて。



そうしたらね、「心配される方が悪い。」って言うんですよね。



親至上主義なんですよ。



でもね、子供だって感情がある生き物なんですから、てめぇにとっては小さい子供でも、一人の人間として、尊重することを無視したら子供は奴隷でしかないじゃないという話。


きっと私が50歳になっても彼女は同じことやるでしょうね。



そしてそれが毒親。

成長が子供の時で止まっているのです。




【親子と言えども他人である】


そもそも毒親はそこが解かっていない。

個人の権利について。




“他人”という言葉を漠然としたニュアンスで考えると、え?だって家族でしょ?他人ってちょっとおかしくない?と思うかもしれません。




確かに戸籍上、家族であって他人ではありません。



しかし、血は繋がっていても、一人一人違う人間です。



感じ方も、考え方も、食べ物の好き嫌いも。

好きになる男の子も、行きたい学校も、遊びたい友達も。

他の価値観を持った他人です。



それなのに、毒親っていうのは"親だから"っていうのを盾にして、子供を自分の好き勝手にします。



「子供が変な道に行かないように」なんて思っていたら大間違い。



子供の気持ちを尊重しないで、親の想い通りの道に行かせようとすることこそ、後々子供が路頭に迷って変な道に行ってしまうのだ。



子供の自由な発想を奪うなかれ。

子供の感情を奪うなかれ。

子供の人生を奪うなかれ。



親子は同じ人生を歩いているわけではないのだ!




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