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なりゆきでライターを名乗ることになった思い出

都内の制作会社に勤務していた頃、書籍や冊子のエディトリアルデザインを主とする部署でマネージャーをしていた。

と言っても私自身はアプリケーションの操作が本業ではなく、部下にあたるデザイナー、DTPオペレーターたちの業務状況を把握したり、仕事をもってきてくれる営業部門と調整したりなどが主な仕事だった。

そこでいろいろあって疲れてしまったのだけど、上層部の厚意で別部署に異動、そこからは自分で自分の仕事を探す遊軍のような立場になった。

まだオウンドメディアという言葉が流行る前だったけど、そんな感じのサイトの立ち上げに関わって記事作成のためにアレコレ取材とかをしていた。

当時はウェブサイトの立ち上げも企画も、一般の人に見られるようなサイトや文章の組み立ても初めてのことだったので、私の動きはずいぶんとみっともないもので、方針ひとつ定められず周囲のノリに翻弄されて終わった。今思い出しても、まあまあ恐ろしい。

とはいえ、いくらか取材経験を積んでくると次第に慣れてくるもので、自分自身も性に合ったのか割と積極的に勉強会に参加したり本を読んだりして、インタビューや文章の品質向上に前向きに努めた。

ほどなくして、クライアントにもライティングをサービスとして提供するようになった。

企業広報誌に掲載するインタビューやレポート記事、会報誌のインタビュー記事、クライアントに配布するニュースレターのお役立ち記事、採用パンフレットや会社概要の文言、公的機関の配布物の原稿などが主な内容だった。

これが意外に好評で、継続的に契約することができた。いつの間にか、外ではライターを名乗っていた。ライターといっても、いわゆる商業出版物のライターじゃない。私のようなライターを何て呼ぶんだろうと思ってググってみると、企業広報ライターと出てきた。確かにその呼び名は、しっくりくる。

とはいえ、その間にもウェブサイトや印刷物のディレクション、企画や構成、コーディングやデザイン、別のオウンドメディアの立ち上げなどなど、ライターとは言えないような仕事もけっこう担当していた。そうこうしているうちに、7年くらいの時間が経っていた。


思うところがあって2019年に退職し、アメリカはニューヨークに1年ほど留学することにした。

そして帰国してからは、これまでに携わったバラエティ豊かな仕事の数々をバックボーンとしつつ、企業広報ライターを仕事の軸とすることを決めた。

オフラインでの営業活動は開始するものの、webも使って少しずつ窓口を広げていきたいという思いから、このアカウントを立ち上げた。

ここではライティングにまつわる過去の経験談や自分の考え方などを中心に書いていく予定。テクニック的な内容は極力避けて、過去にこんなことがあってこうやって解決したよ〜という事例紹介として、読んだ人の役に立てばいいなと思う。


完全に余談だけどもう一個アカウントがあって、そっちはマンガとコラムを中心に掲載している。本業の企業広報ライティングとは少々距離があるので、イメージが霧散しないようにアカウントをわけた。

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