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「慣れ・だれ・崩れ」こそパワハラの始まり?

劇団四季の格言として有名なのが「慣れ・だれ・崩れ・去れ」。
去れとまではいわないけれど、慣れ・だれ・崩れが招く仕事上のトラブルってけっこうありますよね。
今回は、最近遭遇した、在宅ワーク中の「これいわゆるパワハラってやつなのでは……?」ということについて書いていこうかなと思います。


私はフリーランスの在宅ワーカー

まず、私は現在フリーランスの在宅ワーカーとして働いている、というのを前提として置いておきましょう。
収入がどうとか、気の重くなる話は置いておきまして……対人ストレスに関しては、クセ強編集が登場しない限りほぼフリー。

基本的には、集中力を定期的に手放しながらも快適に作業をしております。
業務連絡や必要なコミュニケーションは専用のツールやチャットワークなどのチャットツールを使って取っています。

最近まで、レギュレーションの不明点などが無い限りは、頻繁に連絡を取り合う必要もなく、「人」に関するストレスは本当にフリーな状態でした。
そう……過去形。

まるでだまし討ち!な美容系記事募集が発端

さて、最近の私が抱えるストレスの源ともいえる、とあるお仕事のお話を少ししましょうか……。
私は美容に関する謎資格を持っておりまして、それを何とか活かすべく美容系ライターの募集に応募することがあります。

今回も、美容系のWEB記事でライター募集の求人がでていたので、ぬるっと応募。
面接を受けてみると、実際はクーポン作成のお仕事で、データ入力に近い仕事内容でした。
私の本来の業務からはちょっと(だいぶ?)外れますが、なんせ収入が不安定な昨今。
背に腹は代えられぬ、ということでぬるっと業務開始。(本当は作業始まるまでにひと悶着もふた悶着もあった)
これが、想像以上に取られる時間とスペース、単価の全てが見合わない仕事でした。

まぁ、そんな不満はさておきまして。
何より、飛んでくるチャットの量が異常だったことに驚き。
このチャットの量こそが、「慣れ・だれ・崩れ」はパワハラと私が思った要因です。

仕事用のチャットに雑談が流れるとは……

在宅ワークが増える世の中、チャットツールを活用しながら仕事をする方も珍しくないでしょう。
前述のとおり私もチャットワークやスラックなどのチャットツールを利用して仕事の連絡を取っています。
とはいえ、通常は業務の性質上そこまで頻回なチャットでのやりとりは必要なく、仕事の依頼、納品日の確認、レギュレーションが書かれた資料が送られてくるくらいです。あとはわかりにくいレギュレーションがあったときや変更点の確認、不明点が出たときなどの質問程度で、ものにもよりますが一つの案件で数回やりとりがあるかな、といった感じ。

ところがどっこい。
今回受注したクーポン作成のお仕事、グループチャットにおいて一日に数十件のチャットが飛び交います。
イメージとしては、普通に会話でもしているかのような頻度です。
当然、重要な連絡が紛れていたら、と思うと不安なので、私個人宛でなくても内容を頻繁に確認することになります。ですが、だいたいが個人でやりとりして欲しいような内容です。
ひどいと、「今日は病院に行きますが、婦人科です。皆さんも健診を受けることをおすすめします。」
「娘の校外学習の送迎です。音楽の移動教室です。」「〇〇ホールでしょうか?」
というやりとりまで。

ちなみに、グループチャット内には委託元の男性社員もいます。
……不憫。

さながら、給湯室の女子社員の井戸端会議に巻き込まれた気分です。
シンプルに気が散るよね……。

グループチャットにミスを晒されるのは普通?異常?

多量に飛び交うチャットのメッセージ通知に気を取られながらも、良くわからない仕事をこなす日々なのですが、本来の業務とかけ離れていることもあり、なかなか慣れない私。どうしてもケアレスミスが重なります。
作業前にゴタゴタがあり、しっかりと説明を受けられなかったことや、謎の不文律ルールがあることも不安感満載ですが、ケアレスミスは完全に私が悪い……。

とはいえ……という話になるのですが。

仕事のフィードバックというものが一応ありまして、チャット以外でスプレッドシートに更新されていきます。これもこれで、誰でも見れるものではありますが、他人のフィードバックまで確認する熱心な人間はそうそういないでしょう。多分。

そう、フィードバックは別にあるのです。

しかし、どういうわけか、グループチャットにミスの内容とお叱りの言葉、改善点を考えて共有するようになどのお小言が流されます。
これが、想像以上にしんどいもので、例えるならば、オフィスで呼び出され、全社員の前で大きな声でこれ見よがしに怒られるような感じです。
特に、ケアレスミスに対する「改善点を考えてご共有ください」の一文の打撃はすさまじく、意訳すると「皆の前で私にミスしたことをあやまって」という感じでしょうか。

人の顔が見えないからセーフという感覚

これをお読みの方は、この状況を当たり前だと感じるか、それとも異常だと感じるか、どちらでしょうか?(私のミスの内容が、というのは話の本筋ではないので一旦脇に追いやってください。)

人前でこれ見よがしにミスを晒され、叱責される。これが対面なら問題になると思いませんか? 少なくとも、その場の空気が凍りつくことが想像されます。
では、在宅ワークでチャットを使って晒すのはセーフなのでしょうか?

人は、人の顔が見えないと、相手にも同じように心があることを忘れてしまいがちです。

特に、今回は日頃からチャットを頻回に使い、グループチャットで個人的なやりとりをする段階まで「慣れ・だれ・崩れ」が起こっていました。
仕事として、どこまでがグループチャットでのやり取りで正常なラインなのか、線引きができない状態といえます。

どこまでが業務上必要なやりとりで、どこを超えたら異常なのか、頻回にチャットツールを使ううちに、もはや判断が付かない状況になっていたのではないでしょうか。また、業務上のやりとりにおいても、グループチャットに送るべきもの、個人でやりとりをするべきものの区別すらついていない状況でもありました。

しかし、これを私がとやかく言える立場でもなく、本人たちや委託元が自浄していくしかないことです。

「慣れ・だれ・崩れ」、だから去る

私は、いずれこの仕事を去ります。
見えないからセーフ。見えないから耐えられる。それは正解ではないですよね?
私はチャット内であっても、ミスを晒され詰められたことで、ちゃんとしんどいと感じています。だからこそ、本来のライターとしての仕事が増えたら去ると決めています。

「慣れ・だれ・崩れ」が無自覚のパワハラにつながり、働き手に去られることになっても、本人たちが気づくことはあまり期待できないでしょう。
それは、在宅勤務に限らず、出社勤務でも同じことです。
気付けないことがすでに「慣れ・だれ・崩れ」なのです。

また無意識に次のターゲットを見つけるだけで、同じことを何度でもくり返すことが予想されます。

「慣れ・だれ・崩れ」がパワハラにつながるというのは、「当たり前の異常性」に気付けなくなることにあります。

「人が長く居つかなくて同じ人ばかり忙しい。だから不満が募る」という職場がありますが、ツールの使い方や言葉の使い方、適切な場面であるかなど、改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか。

当たり前だと思っていることは、本当に当たり前なことですか?

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