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共感が多様性を拒む

あるコミュニティで全員が感じたこと出しあった。
自分の弱さ、苦しさへの発言やポジティブな発言しか出てこず、恨みつらみや怒りの感情は一切出てこなかった。

その場にいる人たちは涙し、共感しあっているが、私は次第に違和感がふつふつと湧いてきてしまい、いたたまれなくなってしまった。

どうして恨みつらみ、怒りは出さないのだろう?感じていないから?出すことがタブーだから?

そうやって、ぐるぐる考えているうちに、たどり着いたのは、ここは「共感」の中にいる人以外は排除する機能を備えたコミュニティだということだった。

強烈な「共感」の中にいる人にとっては心地良い場所だが、そうではない人にとっては非常に居心地の悪い場所だった。

この気づきは、開かれたコミュニティ形成を考える上で、非常に大切なポイントなのではないだろうか。

共感でコミュニティをまとめていると、多様であることを前提にものごとを捉えにくい。
一人一人違って良いと言葉でいいながら、そこかしこで、排除する仕掛けが組み込まれてしまう。

すると、コミュニティにいる人は、いつも空気読んでいることになる。共感できてるかなと。

なんか違うけど、それはしゃーないよね、そこまで気持ち合わせなくていいよね、嫌だったり、わからなければ伝えればいいよね、という雰囲気はなくなる。

そのことが、直接的に「共感」の反対にある「違和感」を伝えることを減らしていく。

#コミュニティ #違和感 #チーム #組織


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