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「かわいそうな人」について

(はじめに 以下の文は、今後加筆しない気がしてきたので、途中段階でも投稿することにしたものである。加筆できるエネルギーがない、でもアウトプットはしたい、という思いから投稿する。)


このノートで、自分の行動に対する違和感、かつ開けない方がいい気もするパンドラの箱の中身について、気が進む限り整理してみようと思う。整理できていない状態の文になっても、そのままその違和感を誰かに話したい話。不快な思いをする人もいるかもしれないが、話したい。話さないとなんだか前に進めない。

私は、かわいそうな人を助ける人になりたい。他にどんな言葉で表されるだろうか。
支援者  いい人 アンパンマン スーパーマン ホスピタリティーある人 感謝される人 恩人 (偽)善者

「かわいそうな人」として必要とされる私、それに応える

「かわいそうな人」を必要とする私

「かわいそうな人」と「助ける人」という固定された構図から抜け出す方法の考察

「かわいそう」を捉え直し、平和で良い関係づくりに使う可能性についての考察

私とあなたはどうしたら対等になれる?
私はかわいそうな人ではない。
あなたはかわいそうな人ではない。
この構造から抜け出したい。誰か助けてほしい。あるいは、私しか私を助けられないのかもしれない。

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