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【論語と算盤】#1 「歴史的な背景」を考えながら読む

論語と算盤について少し連載化して書いてみたいと思う。

私は自分が行っているマネジメント研修の中で「論語と算盤」を輪読するするようにしている。次世代の優秀なリーダーを育成するための6ヶ月間のプログラムの中で3ヶ月くらい経った時期に論語と算盤を読むのである。このプログラムは知識ではなく実践を伴ったものなので人格形成とまではいかなくてもその入り口までは十分に誘導できるし3ヶ月経って論語を読むことで3ヶ月間の実践経験から論語の中で書かれていることを共感することができるから敢えてこの時期に実施している。

皆さんに「論語と算盤」を購入してきて少なくとも1章は読んできてください。と宿題を出したときのことである。

「先生、論語と算盤(さんばん)」を買ってきました。という第一声を聞いたときには、一瞬、???、何?聞き間違いかと思ったが、そうか、算盤(そろばん)が読めない世代になってきたのかという実感と共に時代の流れを痛切に感じたのである。

おそらく、皆さんは輪読を小学校の時からやっていないと思うのです。しかし、輪読しますよ。と言ったときに誰も???ということにならない。これは日本の小学校の学校教育に感謝する瞬間であり日本人で良かったと思えるときなのです。

私も米国やアジアの人達に研修を実施したりするわけですが、大の大人が一人一人声を出して読んで感想を述べるなんて経験はないのだと思うのです。

授業を受けている方もまさか輪読をするなんて考えたことがなかったのですが、皆さん戸惑いながらも素直に読んでくれるわけです。

見開きで2Pづつを順番に読んで頂いて、私が「そこまで」と言って、「感想でもなんでも良いので何かありませんか?」と聞くと皆さん、かなり困った様子で国語の時間になったかのように重要なセンテンスを探してまとめようとするのです。

しかし、私が求めているのはそういうことではないのです。

江戸時代から明治の激動の時代を生きてきた渋沢という人物は何を感じ、どう生きようとしてたのかを探って頂きたいのです。

私も学者ではないのでそこまで歴史に詳しいわけではないですが、おおよその歴史的な背景を知っていれば何とかなります。

しかし、なんともならないのは、前提となる「論語の知識」です。

毎回、皆さんに「今までに論語を読んだ人はいますか?」をお聞きすると、ほぼ全員首を横に振るのです。

そこで、私が解説を入れながら読んでいくことになるのです。

第1章 「処世と信条」の1節で「たいていの人は、『論語』くらい読んだことがあるだろう。わたしはこれに、ソロバンというとても不釣り合いで、かけ離れたものをかけ合わせて、いつもこう説いている。」と書かれている。

これに皆さんは何か違和感を感じないだろうか?

私は冒頭のこの文章でもう既に違和感を感じてしまったのである。

「たいていの人は」というこの言葉から当時の人は当たり前のように論語を読んでいた時代だったということがわかるのです。(多少嫌味も含まれているのだろうけれど)

しかし、現代はどうでしょう。

先ほどの皆さんの反応から、この100年で論語を知る人は0に近い状態になってしまったということがわかるのです。

人間性という意味で日本が海外との優位性を保っていた教育が0に近い状態になってしまっているのです。

この本はそのような意味で、少なくとも論語を少しでも読んだことがある人を対象にしている本だということがわかってきます。読んで無ければ読みなさいと意味も含まれていると思いますが。。。

ということは、ここから始まる渋沢さんの言葉を深く知るためには論語というバックボーンがないと正しく理解できないということが見えてくるのです。

なので、渋沢さんが今の時代に生きていて、皆さんの輪読と感想を聞いていたら、どう思うだろう、どういう表情をされるのだろうと想像しつつ授業を行なっているわけで、これが私の密かな楽しみになりつつあるのです。



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