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【マネジメント】昔からあった日本式コーチング!!

吉田松陰さんについてはどんなイメージをお持ちでしょうか?

秋が近づくと行ける時には萩の町にできるだけ行っています。

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毎回、行く度に新たな発見があり自分の無知や人生を振り返りながら若くして多くの足跡を残し多くの人に影響を与えた松陰さんの人間力には脱帽することしかできません。

松陰神社の中には、「宝物殿至誠館」という建物がありここでビデオなどわかりやすく勉強することができます。

松陰さんはよく革命家というように揶揄されたりしますが、私は自分よりも家族、友人、藩、国のことを純粋に考え、素直に自分を表現し行動に移しただけの人だと思うのです。

「かくすればかくなるとわかりなばやむにやむにやまれぬ大和魂」という言葉を吉田松陰さんが残しています。

私がトヨタにいたときに上司から教えて頂いた言葉に「かくすればかくなるとわかりなばやむにやむにやまれぬ改善魂(トヨタ魂)」と言う言葉があり、それが腹に落ちるするまでには数年かかりました。

話を松下村塾に戻しますが、私が不思議だったのは、

①明倫館という藩校があるのになぜ松下村塾にわざわざ来たのか?(しかも罪人として扱われていた人が先生であるのに)

②たった2年間で普通の人をどのように志を持たせ行動させることができたのか?

この2つが疑問であり、いまだに釈然としないところはある(現場を見ていないため事実がわからない)のですが松陰神社の宮司さんなどにお話をお聞きしていて気づいたことがあったのです。

これは今の学校教育の問題にも近いかもしれません。

「明倫館」と「松下村塾」での教育の大きな違いは、「明倫館」は、四書五経などの古典を暗記することに重点を置かれていたことに対して、「松下村塾」では、暗記もするが考えさせることを重点を置いていたようなのです。

これが、今でいうコーチングに近いところでその人が本来持っているものを引き出していったようなのです。

また、小集団教育の原型でもあったようです。

なので、自由に自分の考え方を述べることが出来る心理的安全性の確保や周囲の人たちと自分の考えが浅い、深いなどを振り返ることができるスピーディーな改善サイクルを回すことで短期間に成長することが出来たのでしょう。

しかし、この時代には心理学もなければコーチングという考え方も生まれてはいない時代です。いたるところで教え、お互いに学ぶという姿勢を身につけ、牢獄では教えてたり、教えてもらったりをする、実践からくる人を育成するための高い経験知を身につけておられたのでしょう。

現代のコーチングのように引き出すだけではなく、考え方をインプットして考えさせて引き出すという3つのステップを踏んでいたようなのです。

引き出すと言っても何もないものから引き出すことは出来ません。

誰かの思想、哲学を入力にしそれに対して自分はどう考えているのかを引き出しそれに対して松陰さんの考え方を述べることで自分の考え方を確認することができるというサイクルを日々朝から晩までやられていたのでしょう。

ここでわかるのは、コーチする側は人間的にそれなりの経験を積んできちんとした考え方を持ってる人であればあるほど人は育つということなのでしょう。

小学校や中学校の先生を思い出すとそうだったなぁと納得ができます。

ここまでの人を育成できたのは、陽明学の「知行合一」の考え方で実践をしてきた松陰さんだから出来たのであって人を導くというのは結果的に自分に返ってくるということでもあることを痛感しています。

ここでの結論は、本当の意味での優れた人の育て方が昔の日本にはあったということ、それが明治から昭和にかけて消えてしまったのですが、トヨタにはそれが残っていると感じたことと、この育成の考え方は組織やカルチャーの変化を短期間にもたらすことができるんですね。

そして、上記のような人の育成のやり方が最も日本の文化に沿っており、グローバルで成長している企業に共通の人の育て方であるような気がします。


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