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秋の音、風の訪れ

22:14

いつぶりか分からないくらい、イヤフォンをつけずに外を歩いた。

音がする。

音楽を聴かずに感じたのは、音そのものだった。


私の家からすぐそばのところには川があって、ほとんど毎日散歩する私は、必然的にこの川の道をほとんど毎日通る。

その川は住宅街を流れているのではなく、緑地を流れているから、散歩するにはこれ以上ないほどのとても良い道だ。

いくつか公園があって、子供たちが遊んでいて、おじいちゃんおばあちゃんは野鳥の撮影をしたり猫に餌をあげていたり。

犬の散歩をしている人や、ランニングする人もたくさんいて、春にはレジャーシートをひいてお花見をする人を良く見かける。

なんだか今文章に起こしてみると、なんて平和な空間なんだろう、ということに気づく。


私は、外を歩く時大抵いつも音楽を聴いている。

spotifyのお気に入りに入れている曲を上から順番に流していく。
人が近くにいない時、特に地元の道を歩く時は、口ずさむことも良くある。


昔から音楽が好きだった。
音楽だけはいつもそばにいた。

イヤフォンをつけると、音楽の世界に生きられる。
その世界に身を浸すことが、自分の身を守る手段の一つだったのかもしれない。

だからか、音楽を聴くことは、好きなことであると同時に、ほとんど生きることと同義だった。


イヤフォンを外してみよう、と思ったのは、秋の気配を感じたからだった。


15:45

セミの鳴き声がした。
どこかの誰かが、もう今年の夏最後のセミの声だ、と言っていたのをふと思い出したから、今日はどうだろう、と思った。

まだ、鳴いていた。

でも、もう寂しそうだった。

それは今日、秋を感じさせる風が吹いていたからかもしれない。私の心境がそうだったのかもしれない。

でも、間違いなく、もう秋はそこにいた。


21:55

寒くて、パーカーを来て外に出た。

いつも通りイヤフォンをつけていた。

偶然出会った向井太一さんのCelebrate!という曲のリズムが好きで、好きだなあと思いながら、今日も川沿いを歩いていた。


ふと、今日の昼間に聴いたセミの声を思い出した。

気付いたらイヤフォンを外していた。


びっくりするくらい、音がした。
近くにベンチがあったから、腰掛けた。
人が全然通らないことをいいことに、少しだけ、と寝そべった。
そこにあったのは、いつもとはまるで違う世界だった。


風の音がした。
目の前は、手を伸ばしても遥かに届かない位置にある葉であふれていた。
木が、葉が揺れている。
鈴虫が鳴いていた。
時折、自転車が通り過ぎるのが分かった。
鈴虫は、一匹じゃなくて何匹もいて、少しずつ音程が違うから、世界に奥行きを生み出していた。
風の音は、強く、時々大人しく、世界を揺らしていた。
肌をさらっていく風の冷たさは夏のものではなかった。

秋だった。


ベンチを降りて、そのまま川の方へ向かった。

川は、本当に当たり前のことだけど、水が流れていて、その音が心地良くて仕方なかった。
海が好きで、波の音を聴く為に何時間も何百円もかけて海に出向く程だったけど、水の音はこんなにもすぐそばにあるのだった、ということを知った。

本当に当たり前のことだけど、川は常に同じ方向に流れていて、でもどうしてそうなのだろう、と初めて疑問に思った。

段差があるわけでもなく、ずっと下降しているわけでもないはずなのに、それなりのスピードで、逆流することなく流れていく。

思い込みばかりの人生だな、と思った。

これほど近くに、いつもとは違う世界がある。
夏と秋の狭間で、五感で秋を感じられたことをとても嬉しく思うし、今日という日で良かったと切に思う。


音楽が好きだと思っていたけれど、私は多分音が好きなのだと感じた。

ひいては、目に見えるものが、匂いが、肌で感じられることが、舌でわかることが好きなのだと思う。

また一つ、自分のことを知れた。


世界を広げる方法は、こんなにもすぐそばにある。




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