自分が日本のフェミニズム問題について過敏になっていないか考えてみる

現在、授業でIntersectional studies という授業を取っています。その中でタイトル通り、自分が日本のフェミニズム問題に関して、過敏になっていないか考えてみたメモをここにそのまま残します。これはある種カミングアウトなので表に出すことは考えていませんでしたが、文章で表現して手放す作業をしたくなったので出します。
これでちょっとでも救われる人がいることを願います。
それでは本文へ。


性被害に遭った当事者であるため、それ関連のニュースに関してフォーカスすることは増えたと思う。
というのも、同じ想いをした被害者の気持ちがわかるのは被害者しかいないから。
過敏と言われてしまえば、過敏かもしれない。それは当たり前だと思う。
自分はまだ乗り越えたが、そうじゃない、声を上げられない人の気持ちが痛いほどわかった。
それもあり、どこかで自分がそのような人たちを守りたい気持ちもあるのかもしれない。
そして、乗り越えつつあるが、完全に乗り越えられたかと言ったらそうじゃない。
今、乗り越えようとしている途中なのだ。

それを乗り越える方法は絵だったり、リリックだったり、ダンスだったり、写真だったり、その時感じた感情をそのまま表現するようにしていることで乗り越えようとしているのかもしれない。デンマークに来てからそれが自然にできるようになったことが幸せだ。
こうやって書いている文章も自分のトラウマを乗り越えようとする一つの表現方法なのかもしれない。

ここまで乗り越えるという言葉を多用していて思ったが、別に、私のように乗り越えようとする必要はないと思う。
ここまで言っていて何を言っているのか、と思うかもしれない。
でも、その人にはその人のタイミングや、自分の中に蓋をして、ソッとしまっておく人もいて良いし、トラウマを乗り越えるも、自分の中の部屋にしまって飼い慣らすも、どんな形でも良いと思う。こうやって考えてるだけで向き合おうとしてる自分は強い。性犯罪に向き合う人は勇敢で誇りに思う存在だと思う。
 
本当に大事なことは誰にも言わなくて良いんだよ。母に言われた言葉。

そのうち消すかもしれないけど、今は少し勇気が出たので公開しました。

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