【追憶の旅エッセイ#19】南半球最大の歓楽街で過ごした閉鎖的かつ豊かな日々・1
「ご飯とパンが食べ放題で、辛ラーメンとキムチが安いよ!」
旅の最後の方、とにかく安い宿を探していた私に知人が言い、私にはその一言で十分だった。
南半球最大の歓楽街と呼ばれる、キングスクロスの中心にあるという安宿。良いワーホリ生は足を踏み入れないでね、というような場所だった。
でもこの国で一年間をサバイブした私は、なんとなくもうどこでも大丈夫な気がしていたし、教えてくれた人が私以上にまともそうだったので、迷いはなかった。
今でも決しておすすめはできないその宿の名前と、だいたいの場所を頼りに(Google mapとか便利なもの、ないからね)その街のメインストリート、ダーリングハースト通りを目指した。
そうして私は今よりもうんと治安が悪い頃の、キングスクロスに足を踏み入れたのだ。
街の中心を横切るダーリングハースト通りには、アダルトショップとストリップクラブ、バー、そしてその合間の腹ごしらえで入るような軽食を出すレストランやカフェなどが軒を連ねていた。
マクドナルドやバーガーキングなど見知ったお店を見つけたときには多少安堵したけれど、中に入るとこの界隈特有の空気を纏ったお客ばかりがたむろしていて居心地は良くない。
通りには夜になるほどにバウンサーと呼ばれるナイトスポットの警備員や客引き、売春婦などが立ち並び、行き交う人々に声をかけている。
その同じ通りに面して、階段へ通じる小さな入り口があり、遠慮気味の小さな看板には英語と韓国語でその宿の名前が書かれていた。
そう、この宿こそが私のオーストラリア旅を締め括る、最後の舞台なのだった。
荷物を抱えて階段を上ると、突き当りにレセプションがあり可愛い韓国人の女の子が迎えてくれた。
相当な年季を感じる建物はいたるところが痛んでいて、お世辞にも清潔とは言えない。こんな街にあるそんな宿にいるはずもない清潔感溢れる可愛さに、私のこの街への警戒心ごとぶっ飛んでしまった。
「ようこそD宿へ!!」。
一通り宿の説明を聞いた後、部屋まで案内してくれた。彼女もここでフリアコをしている韓国から来たワーホリ生なのだという。
通された部屋は8人部屋、男女ミックスのドミトリーだった。6人部屋を希望したけれど今はほぼ満室だということらしい。
部屋は、絶望的に汚かった。
シドニーのような都市部の宿は、ワーホリ生などが家代わりに滞在している場合が多い。だから仕事ももちろんそこから通うし、勉強をしている学生もいる。
各自与えられた唯一絶対的スペースのベッドの上に、洗濯ものや食べ物などが無造作に寄せ集められている。ルームメイトそれぞれの生活が丸見えなのだ。
しかもオーストラリアには、ぎょっとするほど巨大サイズのゴキブリがうようよいる。
だから食べ物が置かれている、という状況はご法度だ。その辺は皆、学んでか配慮して、購入したスーパーの袋に入れて口を閉じることを怠らない。
そして私が最初に滞在したその部屋は、メインストリートに面してガラス窓があった。防音機能、どころか夏の暑さに窓を開け放して寝るので、自動的に夜中ずっと通りの音がBGM代わりになる。
最初の数日は、睡眠は浅く短かった。音はもちろんだけれど、歓楽街の視覚的な賑やかさというのは、目を閉じていても主張してくる。瞼の裏がチカチカして寝つけないのだ…。
ただ色々ありつつも、確かにご飯は常に炊飯器に炊かれていたし(自分が最後の場合は、炊いておくのがルール)、例によってペラペラに薄いトーストは何斤もテーブルに置かれていてありがたかった。
もちろん韓国系の宿だから、辛ラーメンとキムチは格安で売られてもいた。
結果的にこのおんぼろ安宿が、私のオーストラリアでの一年を素晴らしく締め括ってくれることに。とても一話では書き切れないので、これから数回に分けて書き綴りたいと思う。
だってこんな街にある、こんな宿が!というね。笑。
人は慣れる生き物だし、私はここでたくさんの愉しみを見つけていくことができたのが、何というかやはり若さとそして初体験の強さ、だろうなと思う。
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