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1対1億2000万の大勝利~検察庁法改正による三権分立の破壊がもたらすもう一つのモノ~

そもそも何故この記事を書こうと思ったのか

結論から書くと勝てる見込みがまったくなかった戦いになにかの間違いで勝ってしまったので、気持ちの整理をつけるためだけに書いている。

そのため、この記事は今の時点では何の地図もない状態で書いているのでまとまりのない読みにくいものになる可能性が高いことを予めお断りしておく。

私には後述する理由から、たとえ勝ち目がなくても全人類に勝負を挑み
「こういう事件があった」
「それを起こしたのはお前たちのような大勢の"普通の人たち"だ」
「しかも事件を起こすだけ起こしておいてその"普通の人たち"は何一つ責任をとっていない」
と過去にあった大問題を突きつけるべく裏で色々と動いていた。

ところが、そんな事実を突きつけ、私が全人類を壊し勝利する前に、人類というか普通の人の側が三権分立をぶっ壊して勝手に負けてしまった。理解が全く追いつかない。気持ちの整理とはそういうことである。

そもそも過去の事件もそうだが、ただの1障害者である私が普通の人にけんかを売って勝てるはずがない。勝てるはずがない戦いだからといって逃げるわけにもいかず、悩んでいたのだが、普通の人というか健常者というかは自ら三権分立ごと国家の概念を破壊して勝手に大爆発を起こして負けてしまった。

確かに三権分立の破壊により、私自身も政治的に被害を被るが、それは量的には一人分である。私の敵は残り1億2000万人の"普通の人たち"である。受けるダメージの総量で言えば彼らが三権分立の破壊で喰らうのは単純計算で私の1億2000万倍である。超サイヤ人でもこんな奇跡起こせないよ。

ともかく、「普通」に喧嘩を売るという勝てるはずのない戦いに残りの人生を費やすという予定が完全に狂い、人生設計のやり直しを35歳になる手前で迫られたので、とにかくまずは気持ちを整理するためにこの記事を今書いている。

何故戦う必要があるのか~中学であったこと~

詳細はいずれ別な形で公表しようかと計画しているのだが、私は中学で"普通の人たち"のいう"普通"がどれほど危ういものなのかを痛いほど思い知った。

これから挙げる事実と逆の状況を具体例としてあげておくと仮に中学1クラスにいる生徒の51%が統合失調症に罹患してしまった場合、"正常"であり”普通”なのは統合失調症にかかっている側になってしまう。そしてまさに、そういう事件が中学時代に発生したのである。

私は吃音症を持っており、2年生に上がった直後の自己紹介の瞬間からいじめられ始め、追い詰められた。私の受けたいじめ被害はあまり関係ないので詳細は省くが、ともかく困り果て先生に相談した。

そして、「私に対するいじめ」はなくなり「解決」した。

本題はここからなのである。クラスにO君という恐らくは知的障害の生徒さんがいた。公立学校だとたまにあるケースである。親が普通科学校に入れたがるパターン。

それが問題だった。私が受けていたいじめ被害に対し、いじめていた側は
「あ、こいつ(吃音で)言葉もまともに話せないアホだと思ってたけど先生に相談できるだけの頭があるんだ」
「じゃあクラスであーとかうーとか言ってるO君をいじめてみよう」
という判断にシフトし、明確な障害者差別を開始した。

「臭い」
「キモイ」
「なんでここにいるの?」
「作文上手だね。どうやって書いたのか教えて(親が代筆していた)」
もうちょっと詳細を書こうかと思ったが本筋とずれるので別な機会にする。

そして、クラスの大半を占める普通の人はその障害者差別を黙認した。黙認どころではない。O君がいじめられるタイミングでクスクスとどこからともなく笑いが起こったり、「俺ああいうの大好き」と言い出すアホがいたりと凄い状況である。

O君に対してはこんな意見もあった。
「なんでO君普通学級にいるの? そのせいで俺たち"普通の人"の側がめちゃくちゃ迷惑被ってるんだけど」
こういう意見が51%を超えると、それが"普通"になってしまう。物理現象の相転移に例えて私はよく説明を試みる。

ある授業のとき、教師と"普通の生徒"との間でこんな応酬があった。
普通の生徒「先生、何でO君だけ順番飛ばして私達にばかり当てるんですか? それって差別じゃないですか?」
教師「差別と区別は違う」
普通の生徒「わかんなーい」
教師「やかましい!」
繰り返すが、クラスの大部分がこの普通の生徒に賛同していた。少なくとも反対や何らかの意見は表明しなかった。彼らはそうやって自らの"普通"をまさに差別という手段で守っていたのである。

挙げ句、O君を守ろうと動いていた私にこんなことを言ってくる普通の生徒まで現れた。
普通の生徒「ザード@君、何でO君いじめに参加しないの? 楽しいよ。俺たち"普通"の側に付きたくないの? 一人で寂しくないの?」
誰が差別などするか

そもそも、こうなってしまったきっかけは私が自身の吃音症由来のいじめ被害を先生に相談してしまったからである。そうでなければ私が代わりに被害は受けたであろうが、O君を守ることは出来たはずである。少なくとも間違いなくO君の被害は軽減できた。

私ならO君を守ることが出来たのに、吃音のせいで
「何言ってるのかわからない」(どっちの意味でなのかは不明)
と言われ、そこで終わってしまい、何も出来なかった。私は今でもこの時の無力感に苛まれている。

だから、私はこの"普通"に対しどういった手段をとってでも戦うと決めた。

全人類を敵に回すということ~普通が普通である限り勝ち目はゼロ~

戦う決心こそあった。しかし、勝ちへの筋道が全くつかめなかった。闇雲に戦うだけではそれこそ"普通"に押しつぶされておしまいである。

インターネットを見ていれば分かるが、やまゆり園で植松聖がやったことに賛同する人は一定の割合で存在する。もしも何かのきっかけでそういう層が集まってしまえば私が中学で食らった悲劇は再度起こりうる。

そして、まさにそれこそが"普通"の正体なのである。

例えば男女問題であれば大前提が5対5なので、女性の側にも民主的な手段で勝ちの目がそれなりにある。

しかし、障害者差別の問題となると状況は全然違う。単純に健常者と障害者を9対1の割合と仮定しよう。民主的な選挙を手段として取る限りにおいて、障害者の側に勝ち目はゼロである。

つまり、どういう文脈であれ"普通の人"は能動的に障害者に配慮する側であり、ある種の障害者に対する"普通の人"によるマウンティングとも取れる状態にある。

では、これをどうやって覆すか。それを中学を出てからずっと考えながら生きてきたが、"普通の人たち"が"普通"であり続ける限り、中学であったような残酷な差別事件は再度起こりうるし、それ以前にタイトルの通り"普通"に対してはそもそも勝ち目がゼロである。

だってそれが"普通"の定義じゃんか。

勝手に降ってきた勝利

私は今年で35歳になるので中学校を卒業して以降、20年間戦略を練り続けてきたことになる。しかし、どう考えても勝つ方法が見つからない。

理解者を得る方法はいくらでもある。だが"普通"をひっくり返す、という主目的を達成できるシナリオが全く見えないでいた。

しかし、である。

安倍晋三内閣総理大臣は政治の場でこんなことをやり始めた。

安保法制を通すための「解釈改憲」

公文書の意図的な改ざん・廃棄

ニセ統計を使った法案成立

ぶっちゃけ私は安倍晋三など大嫌いだが、彼のやっていることを見ていると光が見えてきた。
「これいけるんじゃね? "普通"を完膚なきまでにぶっ壊して国も壊しておしまいにしてくれるんじゃね?」
実際、普通の人は安倍晋三内閣総理大臣を支持し、何故か「反対意見」だけを批判するという奇妙な行動に出ている。これはもしかすると…

そして今回の検察庁法改正で安倍晋三内閣総理大臣は三権分立の概念をぶっ壊し、普通の人の側に特大ダメージを与えてくれるのである。

私も政治的にダメージを受けるのは事実だが、比率的にはそれはたったの1である。それに対して、"普通の人たち"が受けるダメージはトータルで1億2000万。数字の上では大勝利である。

私は"普通"という破壊できない概念に勝ってしまったのである。

終わりに

あえて言うなら今後人生の目標を失いそうなのが少し怖いが、三権分立までぶっ壊して"普通の人たち"が自縄自縛に陥っていくさまを見てしばらく笑っていようと思う。

この三権分立が壊れるか否かという瀬戸際で
「空気を読め」
「政治の話は然るべき場所でしろ」
などと言っている"普通の人たち"を見ていると心の底から愉快な気分になる。

お前ら大敗北を喫する瀬戸際にいるんだぞ。

まあ障害者差別を"普通の人の権利"だと思っているような"普通の人たち"に賛同などする気は全く無いので、ぜひとも三権分立をぶっ壊して国家もぶっ壊して勝手に滅んでいただきたい。

これが私の大勝利である。

追記:今国会での法案見送りは”普通の人”の勝利を意味するか

結論から言うと致命傷は負ったがかろうじて息はある状態か、完全に大爆発を起こして死んだかの差があるだけで、障害者差別をするような”普通の人たち”の側が負けたことに変化はない

第一、障害者差別をする人間が51%を超えたらそれが”普通”になるような普通とやらに一体何の価値があるのだ?

今の日本で”普通の人たち”が空気を読んで安倍政権を支持してやってきたことをもう一度振り返ろう

・公文書の意図的な改ざん・廃棄
・国家ぐるみでの統計不正・改ざん
・ニセ統計を利用した法案成立
・あいちトリエンナーレにおける、表現の自由の否定

これだけ”普通”を積み上げておいて、今更「三権分立だけは守ったぞ!」とか言うならその時点でその”普通”は自己矛盾に陥って勝手に負けている

そもそも、”普通”とやらを守るために空気を読んで三権分立まで壊して国家の解体を完了しようとしたという事実自体は歴史にしっかりと刻まれたわけで、まさにそれがお前らの言う”普通”の正体だったわけである。

そんな人達が障害者を差別しないわけがない。むしろ、差別しろ、そうじゃないと辻褄が全く合わないではないか。

私が本来勝てるはずのない戦いに勝ってしまったという事実に一切の変更はない。

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