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新井紀子の書籍『AI VS 教科書が読めない子どもたち』にAmazonでレビューしたら2回も削除された話

星1レビューが2回も削除された

タイトルのとおりである。これから記憶を元にこのnoteにレビューを再現する予定だが、確かに一部センセーショナルな表現は含まれていたが原則として建設的な批判を展開したつもりである。

実際、表現が刺激的だったのも一因であろうが、内容自体に賛同が得られないと100を超える参考になったは頂けなかったであろう。

なお、一部理系界隈が言っている新井紀子本人への批判には触れない(私はその批判にも賛同する立場であるが)

2020/09/05 補遺を追加
新井紀子氏率いる東ロボくんがどのようにセンター国語を『読解』しているのかのアルゴリズムについて記載。

記憶を元にレビューを再現したもの

本書はかなりのトンデモ本である。

読者に対し何の具体的根拠も示すことなく、AIも子どもたちも文章が読めない、と結論ありきの文章がひたすら羅列され、読んでいる側は著者が「予め用意した答え」に誘導されてしまう。

問題点を上げるとキリがない。例えば本書においてコンピュータは四則演算しか出来ないので『(文章)問題を理解して解くことが出来ない』のような理解に苦しむセンテンスが現れる。

このセンテンス、意味が全くつかめないので完全な推測でしかないがどうも著者である新井紀子氏は「コンピュータは解析的に解かれた答えに数字を代入し四則演算することしか出来ない」といいたいらしい。例えば二次方程式の解の公式に数字を代入すれば公式の意味など分かっていなくても答えが出るように。

しかし、言うまでもなく、コンピュータで問題を解くために必要なのはアルゴリズムであり、そのアルゴリズムの設計や実装は現時点では人間に任されている。例えば二次方程式の例であればコンピュータは全ての数字を試して解くという力技すら可能なので、新井紀子氏が前提としているような方法ではコンピュータは問題を解こうともしていない。

このようにそもそもコンピュータの理解自体が非常に怪しい著者による書籍なのだが、中盤から子どもたちも文章が読めないといい出し、RST(リーディングスキルテスト)という手法により読解力が測れると主張しだす。

しかし、私はそもそも新井紀子氏の主張するところの読解力の正確な定義を本書からは読み取れなかった。どうも書いてあることを書いてあるとおりに読める力、家電のマニュアル等を理解する能力といいたいらしいが果たしてそれは読解力という言葉の定義として妥当だろうか。

大体、この定義では例えばRSTで
「LGBTはキモいから差別するべき」
という文章が出題された場合
「LGBTは差別するべき」
と選択肢を選ぶと正解となってしまう。これを読解力の定義とするのには非常に違和感がある。つまり、新井紀子氏は目の前の文章自体の正しさを判定する能力や、あるいは国語の教科書の山月記のような雰囲気を感じる部分をオミットして自身の主張に都合のいい『読解力』を定義している。

本書中で何度も「東ロボくんは東大には受かれないがMARCHなら受かる」のように下位大学に対して批判的とも読める発言を連発するのもアカデミックポストにある人物の発言として強烈な違和感がある。

というか本文中ではっきりと東大生はRSTで高い成績をはじき出すが、いわゆる下位大学の学生の成績は低いと書いて明確な学歴差別を行っている。(だから教科書が読めない子どもたちというテーマがでてくる)このような人物を批判しようとすると「女だから叩かれた!」などとヒステリー(現代では誤用)を起こしかねないのも困った部分である。

コンピュータに対する理解がそもそも怪しい以上、著者のAIに対する理解もかなり怪しい。実際、冒頭でいきなりこんなことを言い出す。

アルファ碁はプロ棋士に勝利したが、アルファ碁でも洗濯は出来ない。したがって何でも出来るわけではないのでアルファ碁はAIではないとかなんとか。

要は新井紀子氏は汎用AI以外はAIではないと言いたいらしい。少なくとも現代におけるAI研究者でこのようにAIを定義している人を私は新井紀子氏以外に知らない。

このように主張全体がかなり独善的で偏りがあり、およそ数学者が書いたとは思えないような非論理的な構成なのが本書である。

全体として、かの有名なトンデモ本「ゲーム脳の恐怖」に近い印象を受ける。

著者である新井紀子氏は、AIも子どもたちも文章が読めない、と不安を煽ることでRSTを広め、お金儲けをしたいだけに見える。

確かに本書執筆時点ではAIの読解力は微妙だった。しかし、どう考えてもそこから「(そのAIと比較してもテストの点数が低い以上)子どもたちも文章が読めない!」と言い出すのは飛躍し過ぎである。

大体、正しく文章が読めれば問題を理解して解くことが可能になるのだろうか。この大前提を本書は一切検証せず、当然のテーゼとしている。読解力が重要であることは一切否定しないが、じゃあ読解力さえあればいいのか? というとかなり疑問である。具体的に言うと理解力や思考力といったパラメータを新井紀子氏は都合よく無視している。

RSTでは
「犬も四本脚。猫も四本脚。犬も猫も哺乳類。故に犬=猫」
のような意味をなさない文章を真面目に読んで
「犬と猫は同じ種類の動物である」
と選択肢を選ぶと点数となる。

このような定義の読解力で、子どもたちの課題解決能力が増すとは到底思えない。

終わりに

こういった批判を平然と削除するような著者・書籍に煽られ
「いま子どもたちの読解力が危ない!」
などと言い出すなら、一度冷静に新井紀子という人物を読解してみることをおすすめする。

補遺 東ロボくんの『読解』方法について

実は上記書籍「コンピュータが小説を書く日」内に東ロボくんのセンター国語の『読解』アルゴリズムの詳細が記述されている。
この「コンピュータが小説を書く日」の著者は東ロボくんプロジェクトのセンター国語部分の担当者であり、その書籍内では「コンピュータは小説を理解していない」という文脈で東ロボくんに触れている。

センター試験の国語、現代文には論説文と小説の2つの文章が選択肢付きで出題され、正解の選択肢を選ぶことで得点となる。

東ロボくんのセンター試験国語現代文の攻略法は以下の通りらしい。

1.論説文は傍線の前後の単語を拾い、選択肢とパターンマッチして一致率が高いものを選ぶ

2.論説文はまだマシで東ロボくんはセンター試験の小説については一切読んでいない。
東ロボくんが「MARCHなら受かる」と新井紀子氏が言っている成績をはじき出す方法は
選択肢に「プラス」のイメージの単語が含まれていれば選び、「マイナス」のイメージの単語が含まれていれば避ける。
ただこれだけである。

2.については補足が必要だろう。
つまり、大学入試問題である以上「人殺しは正しい」のような選択肢を正解にすることは倫理上出来ない。だから、そういう単語を適切に避けるだけで得点できる、とのことらしい。

この文章を全く読まない実装で東ロボくんはセンター試験の現代文では100点満点中60点~70点を取るらしい。

しかし、この実装方式のAIと人間の読解力を比較する新井紀子氏の言動にはかなり疑問がある。

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