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年越しセンチメンタル

夫が言った。「なんで年の瀬って寂しい感じがするんだろうね」と。

うーん、と私は呟いて、年越し蕎麦をすすりながら考えた。


確かに、私もそうだった。なんだか、今日の夕方くらいから、ちょっと切ない気持ちになっていたのだ。どことなく、何気なく、だけど。

思えば、そんな気持ちになるのは、ずっと昔からだったかもしれない。そして、私はそんな大晦日の空気が好きだったような気がする。


大晦日が寂しい理由を言葉にするとしたら、「時が去っていくのをまざまざと実感するから」かもしれないなと思った。


私たちは、一瞬一瞬、時を前に進めている。それは同時に、今が過去になっていく、ということと同義だ。今、確かにここにいたはずの私が、過去になっていく。もう戻れない、過去に。

普段は忘れているけど、私たちはいつも膨大な「さよなら」を積み重ねて前に進んでいるんだ。


大晦日は、一年も積み重ねてきた「さよなら」が一気に押し寄せてくるものなんだろうなと思う。死ぬときに見る、と言われる、走馬灯のように。この一年のお別れするものが、胸を通り過ぎていく。


どうして、過ぎ去ったものって、こうも人をセンチメンタルにするんだろう。そして、どうしてこんなに愛おしく感じるんだろう。ただただ、そこにあった事実は変わらないのにな。


人って、本当は変わりたくないものだ、という話を聞いたことがある。きっと、無意識の部分では、先に進むこと・今を離れることに対して、少なからず抵抗があるんだろう。だから、「さよなら」を噛み締めてしまうのかもしれない。



大晦日は、一年間の「さよなら」の総まとめ。

離れがたい「さよなら」も、蹴り飛ばしてしまい「さよなら」も、たくさんあるんだけど、それらを手放して、私たちは前に進まねばならない。

きっと、そこに明るい未来があると信じて。

2020年、ありがとう。

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