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ペット初心者の私が、保護犬と暮らすことになった私③

そらと暮らし始めてから、1か月半ほど過ぎた頃、ある日ぽつりと夫が言った。

「そらを見てると、生きてるだけでいいんだよなぁって思う」と。


私も、おんなじことを思っていた。


そらの毎日は、寝て、起きて、食べて、歩いて、寝て・・・の繰り返しだ。
とても単調で、特別なことは起きない。

それでも、確かにそこに「生」を感じる。
生きているのだな、と思う。

何もしてなくても、ただそこに在るだけでいい。

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「ただそこに在るだけでいい」というベースって、すごく大事だと思う。

よく「コンプレックスをバネに」という考え方があるけれど、私はあまり好きではない。

それだと、「自分のマイナスを埋めるため」「人からよく思われるため」というのが原動力なわけだから、そもそも自分の「生」そのものにOKを出せていない状態。

そんな状態で頑張ることって、瞬間風速的に成果を出すことができるけど、いずれは苦しくなる。
だって、自分のそのままが認められないんだから。
常に、何かを足していないと、人が認めてくれない限り満たされない。

だから、コンプレックスをバネに頑張るのもいいけど、まずはそのままの自分を認めてあげる。愛してあげる。
その上に、「もっとこうだったらいいな」を積み上げていく、という方がいいと思うのだ。


・・・というそんなことを日頃から語っていたのだけど、そらと暮らすことによって、より実感している。


何もしてなくてもい、ただ、そこにある「生」。

それを認めて、慈しんでいくことが、「そのままの自分」への愛も深めることにつながる気がしている。

自分が他者に感じていることって、自分自身の扱い方にもリンクするものだから。
他者の「そのまま」を認めることができると、自分の「そのまま」も認められる、というもの。


働き盛りの私たち夫婦は、自分に「こんなもんじゃダメだ」と鞭を打って、もっともっとを求めたくなりがち。

でも、今をただ淡々と生ききっている、そらの存在を感じていられることが、私たちを大事なベースに戻してくれる気がする。


まだまだ始まったばかりの、そらとの生活。
ゆっくり、味わって、紡いでいきたいと思います。

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