元キャリアコンサルタントの私が、週3日勤務をする理由
今、私は、「週3日だけ会社勤務+週2日は有給消化」という働き方をしています。
有給があと40日近くあるので、これをとりあえず数ヶ月は続けることになりました。
退職時にまとめて有給消化するのはよくありますけど、なかなか斬新な形態ですよね。私自身もびっくりしてます。
では、なぜこうなったか。
時系列に沿って記していきたいと思います。
「天職」への違和感
私は9年間、新卒エージェントのキャリアコンサルタントとして会社員をしてきました。
数千人にのぼる学生さんのカウンセリングを行い、人それぞれの「なりたい姿」や「強み」を言語化し、企業を紹介するということに日々励んでいました。
仕事は、すごくやりがいがありました。
周りからも「天職」だと言ってもらいましたし、私もそう思っていました。
今でも、「世界中探しても、この仕事より自分にあう仕事はなかなか見つからない」と思います。
そうでもなかったら、こんなに続かないです。
でも、いつしか私は、大好きだったはずの仕事に対して、「ずっと続けていくイメージが湧かない」という違和感を抱くようになってしまいました。
ちょうど、この仕事を始めてから3年目くらい。
今から遡ると、5年ほど前の話です。
その頃、ひょんなきっかけから、「週末起業」をしている人々に出会いました。
当時、「週末起業」はおろか、今ではもう一般的になりつつある「副業」だって「なんかアヤシイ」って思われる時代。
私にとっても、相当衝撃でした。
でも、これが自分の違和感の原因を解き明かし、求めている場所を見つけるきっかけになるかもしれない。
そう感じて、私は週末起業に身を投じてみることにしました。
新たなチャレンジをするも・・・
かくして、週末起業をスタート。
起業といっても、個人事業主のような形で、自分で集客して自分でサービス提供するという「一人ビジネス」です。
当時やっていた仕事は、とにかく「自分にできることなんでも」。
人の話を聞くスキル・まとめるスキルがあったので、人の経歴をヒアリングしてプロフィールストーリーとして書き起こしたり、カウンセリングしたり、カウンセリングのやり方を教えたり、SNS運用のアドバイスしたり・・・。
人から「これやって!」と頼まれれば、まず形にしてみるという感じでやっていました。
その頃は、まだ「会社員として働きながら副業する」というのが物珍しかったこともあってか、売上はまずまず順調でした。
そして、数ヶ月もすると、ありがたいことに独立してもやっていけそうかな?という金額も見えはじめていたんです。
でも、私は結局、数ヶ月で「副業をやめる」という決断をしました。
色々やらせていただき、目の前のお客様には全力で向き合ってきていましたが、結局「独立してこの仕事と働き方でずっと生きていきたいのか?」ということが、どうしても腑に落ちきらなかったのです。
副業を辞めて、「独立することの何が腑に落ちないのか」「本当に自分は何がしたいのか」を考えました。
そこで、私が出した結論は、「会社内で部署異動をさせてもらうこと」。
行き先は、一気に転換して企画系の部署でした。
副業でも本業でも、私がやっていたのは「対個人」の仕事。
それはそれでとても意味のある仕事だと思っていますが、当時の私は「もっと大きな”コト”を動かせる人間になりたい」という思いに至ったのです。
そして、部署異動して引き続き会社員として働きながらも、引き続き「やってみたい」と思いついたものに色々チャレンジしていきました。
鎌倉のシェアハウスに移住したり(都内の職場まで1時間半かけて通勤してました)、社会人コミュニティを立ち上げて毎月交流会を企画したり・・・。
この頃のチャレンジは、それぞれとても充実していたし、今でも私の大切な糧になっていると思います。
でも、結局、これらのチャレンジも、最後にはなぜか苦しくなっていったのです。
仕事に思うように対処ができない、人間関係がうまくいかない、仲間が離れていってしまう・・・など。
どんどん重荷に感じるような出来事が重なっいきました。
それでも、何とか踏みとどまって頑張ろうとしていた矢先。
ある日突然、風船が破裂するように、感情が崩壊したんです。
「もう頑張りたくない」という本音
それは、本当に突然でした。
ある日、通勤電車の中で、急に涙が出て止まらなくなったんです。
何が悲しくて泣いているのかもわからなかったけれど、自分の心の奥底から何かが湧き出ている感じでした。
電車を途中で降りて、駅舎の外にしゃがみこみ、そのまま泣き続けました。
その日は、とてもよく晴れていて。
カラッとした青空と対照的に、建物の陰で縮こまっている自分が、とてもちっぽけに感じられました。
その時、ある言葉が、ぽつりと出てきました。
『もう頑張りたくない』
この言葉で、私は自分に起きていることを一気に理解しました。
というより、「薄々わかっていながら見ないふりしていた」ものに、真正面から向き合わざるを得なくなった、と言う方が近しいです。
これまで、いつも「途中で違和感を感じる」「どんどん苦しくなる」という状況に陥っていた原因は、これだったんです。
私は昔から、自分に「無価値観」を感じていました。
姉妹や友達と自分を比べ、「私なんて必要とされていないんじゃないか」と思い、ほんのりした怖れをどこかで抱いていたと思います。
だから、必要とされたくて、その他大勢に埋もれたくなくて。
いつも何かに頑張っている自分でいないと、安心できなかった。
でも、本音は、と言うと・・・
『頑張らなくても、そのまんまの私で、愛されたかった』
ただ、それだけだったんだと思います。
この自分の本音に気づいた次の日。
私は、退職を申し出ました。
会社って「頑張って成果を出す!」みたいなのが正義な場所。
「頑張りたくない」という本音に気づいた以上、もう居られないと思ったのです。
とはいえ、実はこの時、部署異動してまだ半年。
わざわざ希望で異動させてもらったのに、たった半年で退職したいと言い出したので、本当に迷惑でしかなかったなと今となっては大反省しています・・・。
でも、そんな傍若無人な私に対して、周りはとても優しく受け止めてくださいました。
会社の上長が、「何も決まってないなら、キャリアコンサルタントに戻って考えてみたらどうだ」と提案してくれたのです。
正直、「続けるイメージがない」と思って離れた過去があるだけに、その提案に抵抗はありました。
でも、この頃は全てを投げ出す形になってしまったことで自己肯定感が底辺に落ちていたので、自分を必要としてくれることが嬉しくて。
ありがたく、キャリアコンサルタントに戻ることを選びました。
試練の先で手にした「ギフト」
半年ぶりのキャリアコンサルタントの仕事は、純粋に楽しかったです。
直近の半年は、企画系の仕事でPCと睨めっこの日々だったこともあり、「自分の言葉で話す・表現することが好きなんだな」と気づきました。
それから4年半、私はキャリアコンサルタントの部署でチームリーダーとして働き続けたのですが。
正直、戻った瞬間はよかったものの、その後は何度も戻ったことを後悔するほどキツいことばかりでした。
以前、働いていた時とメンバーが入れ替わっていたので、なかなかその空気に馴染めず自分の存在意義を見失ったり。
自分よりも圧倒的に成果を出せる人がいて、めちゃめちゃ比較して落ち込んだり。
部下が全然言うことを聞いてくれなくて、またしても通勤電車で泣いてしまったり。(電車の中で泣いたのは人生で2回だけですw)
これらの原因は、明白でした。
やはり、「頑張らないといけない」という自分の強迫観念が、いらない焦りを生んでドツボにハマる方向に持っていってしまっていたのです。
自分の根底にある捻じ曲がった価値観に気付いたは良いものの、なんせ20年以上蓄積されてきたもの。
そう簡単には、変われなかったのです。
でも、ある時、ストレスが溜まってとうとう不眠症になったことを機に、ようやく「変わろう」と決意しました。
もう、頑張って違う自分になろうとするのは、やめよう。
「そのままの私で愛されたい」という本音を叶えてあげよう、と思いました。
それから、信頼できる人に相談し、自分でもたくさん自己変革のための本を読み、いろんなことを実践してきました。
やはり心って急には変わるものではないので、やったことはコツコツとした日々の積み重ねです。
ですが、少しずつ、比較する瞬間が減り、一方で「私は私でいいんだ」と思える瞬間が増えるようになり・・・。
どんどん生きやすくなっていきました。
そうやって自分が変わると、不思議なことに現実も変わるんです。
苦戦していたチーム運営が自然とうまくできるようになり、得意な仕事だけが自分に回ってくるように。
周囲とも協調関係を築けて、「この人たちと一緒に仕事できて幸せ」と思えるところまで到達しました。
最終的には、チームでは年間目標のハイ達成、個人では自分史上最高の人事評価をいただくことができました。
まぁ、この成果は、ほぼ優秀な上司・メンバーのおかげだったと思っていますが・・・。笑
でも、私自身もだいぶ肩の力を抜きながらも芯を持ったマネジメントができたな、という手応えはありました。
今、「週3日勤務」という選択をした理由
そんなふうに自信を取り戻しつつある中で、ふつふつと考え始めたことがありました。
それが、「一度、余白の時間を作りたい」ということでした。
今、私の中には、漠然と「次のステージに行く時だな」という感覚があります。
過去に個人で仕事を始めた時や、色々チャレンジをしていた時は、次のステージを選んだ背景に「焦り」「違和感」があったと思います。
でも、今は、「このままでも幸せなんだけど、もう行かなくちゃ」という気分。
例えるならば、大きな人生の流れの中に押し出されているような、すごく自然な感覚です。
きっと、「そのままの私」で生きるという地が整ってきたからこそ、本来行くべき場所に向かおうとしているんだと思います。
ただし・・・。じゃあ「どこに行くのか?」「何をするのか?」と言うと、それは明確に決まっていません。
決まっていることは、一つだけ。
私がやりたいことは、「本来の自分に戻る大切さを、人に伝えていく」という方向性であること。
私はこれまで、キャリアコンサルタントとして、その人がどんな業界や仕事に行くのがいいとか、どの仕事が市場価値高いとか将来性があるとか、そういう話をしてきました。
もちろん、そういう話を必要としている人は絶対にいますし、私も仕事をしていく上ではこの辺りの知識を吸収してきました。
ですが、幸せに生きるために大事なことって、なんの仕事に着くのかの前に、自分の「在り方」なのではと私は思います。
それは、自分の経験から感じることです。
でも、それが「何の仕事ならば成し遂げられるのか?」ってことは、私の中で決まってません。
まだわからないんですよね、どんな手段が一番しっくりくるのか。
むしろ、それを今すぐ決める必要もないと思っています。
きっと昔の「すぐ結果を求めがち」な私なら、「それって何の仕事だったら実現できるの!?」って考えていたでしょう。
でも、今や「どんな職業に就くのかではなく、”在り方”が大事だ」って言ってるのですから。
まずは自分から、そのスタンスを貫いてみようというわけです。
そこで、仕事のペースを落としてみよう、と考えました。
これまで頑張ることが当たり前だった私は、目の前に仕事があればそれに全力投球してしまう。
でも、今は「頑張る私」ではなく、「そのままの私」でいる時間を増やした時に浮かんでくる感情や、やりたいことに向き合いたいと思ったんです。
本当に、こんな無茶苦茶な働き方を許してくれる会社には感謝しかありません。
上長からは、「ここまで頑張ったお前の信頼貯金だ」と言っていただき・・・。
頑張ってよかったな、と思いました。
もう頑張りたくないと思っていた状況からすると、皮肉な話ですが。笑
最後に
しばらくは、余白の時間を味わいながら、ただただ自然体の私である時間を増やしながら、自分を内観していきたいと思います。
そして、思いついたことをこうやって発信したり、行動に移してみたりしながら、生活する予定です。
これまで、キャリアコンサルタントの業界というのは、「どうなりたいのか」から逆算して道を選ぶ指導をするのが通例でした。
近年、「計画的偶発生理論」という「キャリアはほとんど偶然でできている」なんて論も広まっていますが、所感としてはまだまだ変わってないと思います。
だって、私も何度か会社に「辞めたい」って言ってきましたが、大概「何のために辞めるんだ」「次を決めてからにしろ」って言われましたから。
キャリアを扱う最前線の人たちにこう言われるということは、新しい時代になったとはいえど、ほとんどの人たちも同様の考えだと思います。
でも、私は、何も決まってないけど、次の道をいってみます。
私は、私のままで幸せになると決めたんです。
どこの会社の誰とか、何の仕事をしている人だとか、そう言うことじゃなく。
ただただ、私である。
その状態で日々を積み重ねていくと、一体どんな景色にたどり着くんだろう?
自分の人生にかつてなかった類の挑戦で、ワクワクと不安が混在しています。
でも、ワクワクの方が大きい。
数ヶ月後、もしかして会社に復帰しているかもしれませんし、別の会社に天職している可能性だって、もしかしてあるかもしれません。
でも、どんな道を選んでも、「自然体の私」で辿り着いた場所なら、それが正しいんだと思っています。
・・・というわけで、元キャリアコンサルタントの人間からすると、だいぶ常識ハズレな人体実験をスタートさせていきます。
暖かく見守っていただければ幸いです。
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