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子どもが大怪我をしない遊び方を学ぶためにできることは”手伝わない”こと

「ダメ! 危ない!」
子どもと過ごしていると
ついつい口から出てしまう言葉

子どもは普通に遊んでいても怪我をするのに
なぜ わ・ざ・わ・ざ 
危険な遊びをするのか?

大人しく普通に遊んでくれ!と思う

でも、そのスリルを味わうことは
子どもの成長にとって
とても大切なことであると
学んだので

「よし、もうダメは言わず見守るぞ!」
と決意する
でもそんな思い通りに
いかないのが子ども。

前を見ていない
段差に気づいていない
無謀な高さから飛び降りようとする

あぁ! それ危ない!
ていうか、前も言ったよね?
何度言ったら理解してくれるのだろう
いいんだよ
怪我して痛い目をみて
自分で学んでくれ
実際に痛みを経験することも必要だ
よし、今日は止めないぞ

でも実際に危険な場面を
見ると想像してしまうのだ

ここで私が止めずに
頭でも打って後遺症が残ったら
きっと”あの時止められたのに……”
と後悔するかもしれない

あと、やっぱり泣かずに
楽しく遊んでいてい欲しいのだ

だからどうしても言ってしまった

「危ないからもう少し下から飛んで」

そして言った後に後悔する
はぁ……言ってしまった。
どうするのが正解なのかわからない
どこまで見守ればいいの?
どこから規制したらいいの?

そんな葛藤ばかりだった

子どもの怪我は怖い

ある日の夕方、近所の公園に行くと
学童の子どもたちが公園で遊んでいた

「ねぇ! ジャングルジムは
 2段目までって約束でしょ!」

小学校1〜4年生くらいの子どもたちに
学童の指導員が大声で注意していた

ジャングルジムが二段目まで?
もう小学生なのにジャングルジムくらい
好きに登らせてあげたらいいのに
横目で見ながら頭の中でそう思った

あれ? でも私も子どもたちに
同じことを言っている

待てよ?
小学生になっても
彼らは高いところから
飛び降りるチャンスは
やってこないのか?

でも、きっとその学童の中では
子どもたちが安全に遊べる
かつ指導員たちの目が行き届くのは
そのルールなのだろう

多くの子どもを預かる施設では
「安全に子どもを返す」ことが
第一なため怪我には
常にビクビクしている

怪我をした場合は
「なぜ怪我をしたのか」
「なぜ止められなかったのか」と
責任を追及される

だから常に子どもたちの動きに
目を光らせ、危険なことをしないか
ルールを作り

”見守る”というより”監視”
しているような気分になる

ならいつになったら彼らは
思う存分スリルを楽しめる
遊びができるのだろう?


思えば
フィンランドの幼稚園は
スリルの連続だった

ガンガン木に登るし
2m近くありそうな高さの
うんていを子どもがスイスイ渡っていく
死角を作る場所に物置があって
何をしているか全く目が行き届かない

もう、日本の保育士メガネを
かけて行くと
危ない!
見えない!
ダメ!
のオンパレードだ

でも、子どもが怪我をすることは
ほとんどなかった

しかも先生はおしゃべりしていたり
常に子どもの動向が見える位置に
いるわけではない

日本だったら絶対怒られるやつ!
というか怪我やケンカがあった時
誰が責任とるの?
だからつい聞いてしまった

「危険な遊びをしているとき
 見えなかったりしませんか?」
「え? もちろん見ているし
 その時には子どもに声をかけるよ
 でも、大体の子は自分で
 危険か判断できるけどね


「何かトラブルがあった時
 見ていない時がありますよね?
 そんな時はどうするんですか?」

するとフィンランドの先生は
キョトンとした顔でこういった

「え? そんなの子どもが
 自分から言いに来るわ」

「言いにこない子もいませんか?」
何か困ったことがあった時に
 すぐに言えない関係の方が
 問題じゃない?

目からウロコだった

そうだ

私たち大人ができることは
子どもに怪我をさせないよう
規制することではなく
子どもたち自身が
何が危険で何が安全なのか
自分の中で線引きが
できるようにすることだ

フィンランドの子どもたちは
その線引きが自分で
しっかりできているから
それも怪我の少ない要因の一つだろう

いつか子どもは
大人の目の届かないところで
遊ぶようになる
そのときに今まで
大人の線引きの中で遊んでいたのに
急に自分で線を引くことになると
自分がどこまでできるのか判断できず
無茶な遊び方をして
大怪我につながってしまう

だから目の届くうちに
子どもが自分で線を引く練習を
たっぷりさせてあげること
そして困ったことがあったら
すぐに言える関係作りが大切
なのだ

でも、これを子どもを預かる施設で
実践するには、自分だけでなく
同僚・上司・保護者・子ども
全ての人が同じ考えを持っていないと
ズレが生じる

先ほどの学童施設のように
”安全のため危険な遊びはなし”
という考えの場所で
実践しようと思ったら
まず
なぜ子どもにとって危険な遊びが必要なのか
を話し合う必要がある
(それについては次回のブログで書く予定)

他人の価値観を変えることは難しいし
時間がかかる

だから急に変えるより
まず自分ができることを
やってみることにした

手伝わない大人になる

友達が高いところに登っていると
自分も登りたくなって
「ねぇ! 手伝って!」
と乗せて欲しがる子がいる

今までの私は
お尻をグッと支えてあげたり
抱っこして乗せてあげたりしていた

でも、それは自分の力で
できたことではなく
人に手伝ってもらって
できたことだ

それを自力で登れたと錯覚しては
正しい線引きとは言えない

だからどうしたら登れるか
「ここに足をかけて、手はここに置いて…」
と教えることにした

できない! と怒る子には
「じゃあ、まだ腕の力が足りないんだね
 また挑戦しようね」

と、手伝わない
するとどうしても登りたい子は
何度も何度も挑戦する
そうやって自分が今どこまでできるのか
一生懸命ラインを探っているのだ

もちろん、近くで落ちないように
見守っているが、自分が登った高さから
落ちるので地面との距離感も
子どもが分かるようだ
落ちかたも上手になっていく

まだ乳児期の小さいうちなら
手を繋いで高いところに登ったり
不安定なところを歩いたり
色々な体験をするのは良いが
自分の体の動かしかたを
よく分かるようになってきた
子にはこの「手伝わない」方式が
私の中ではしっくりきた。

子どもの自分でやりたい気持ちも
できた時の感動も
大人が自分を信じて見守ってくれている
という気持ちも育つ
自分で安全管理もできるようになる
まさにメリットだらけだ


怪我を”防ぐ”ことばかり考えると
全てが危険なものに
見えてしまうことがある
危険を全て排除することはできないし
これから子どもたちが生きていく社会では
誰かが危険を排除してくれるわけではない
子どもが危険なものを知って自分で
回避する方法を知ることが必要



私たちは地震を止めることは
できないように
子どもの怪我も止めることはできない


地震が起きたときに備えて
避難訓練をしたり
家具を固定したり
防災グッズを用意して
被害を減らす努力をするように

怪我をさせないことを
目指すのではなく
怪我をしたときにどうするか
どんなときに怪我をしやすいか
大怪我にならないように
備える練習を一緒にしていくのだ


一度も怪我をせず大人になった
人はいない
いっぱい失敗して
いっぱい挑戦して
そうやってみんな大人になっていく


yakko

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