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山下達郎コメントを仏教的に読み解いてみる

シンガー・ソングライターの山下達郎氏が、自身でパーソナリティーを務めるラジオ番組『山下達郎サンデー・ソングブック』で、ジャニーズ事務所の創業者である故ジャニー喜多川氏の性加害問題について言及した。以下、部分を書き起こしする。

芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・社会・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。
私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。
私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。

全文はネット上で散見できるし、このコメントに対しての分析も多数見受けられる。音源は公式にアーカイヴされている。当該部分は27:00辺りから。

「善因善果 悪因悪果」という言葉が仏教にある。読んで字の如く「良い行いからは良い結果が起こり、悪い行いからは、悪い結果が起こる」という意味で、つまり自らの行いの結果は、自分に返ってくる(自因自果)と説く。

私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。

それはそうだ。誰にとってもそうだろう。

ここで仏教の基本は「固定的なものはない」という態度だ。「善因善果 悪因悪果」といえど、善はいつまでも善ではなく、悪もいつまでも悪ではない。状況に応じて変わっていく。

山下達郎氏にとってジャニー喜多川氏が、初めのうちは善因だったとしても、それが悪因になりつつある兆候があったならば、それを善のほうに導いてやるのが善知識としての役割だったろう。複雑に絡み合った因果だったとしても。そうしていかなければ世界はよくならないではないか。

筆者にとっても確かに大切なことは”ご縁”と”ご恩”だ。悪に染まる友人には声をかけたいし、私が悪に染まったならば、それを軌道修正してくれる友がいると良いなと願う。

Text by 中島光信(僧侶)

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