子育ての悩みをオープンにできること
子育て歴5年。元気、体が大きい、感性豊かな男児を育てている。
妻とともにそれなりにやってきた。
息子には少しユニークなところがある。
自分の文脈で始めないとペースに乗れない。自分で納得しないとどうしてもできない。
他人から強制されてやることは、乗っかれないのである。
3歳ぐらいまで、息子が気に入らないことをなんとかやらせようとすると、半日程度、パワフルに泣きじゃくる。これが怖くて、彼に強制的に何かをやらせることは我が家では「無理すること」の一部となった。
例えば今でもお風呂のシャワーは、彼には難しい。
こんな形で、子育てしていて、いろいろ悩みにぶつかるわけだが、それを気軽に誰かに相談することができない。
なぜかというと、助けを求めるときに、他のご家庭との比較をイメージしてしまうのだ。
子育てしていて、息子に何かできないことがあると、「親のせいだ、俺のせいだ」ということを考えてしまう。
そんな親であることを堂々と誰かに伝えることにためらいが生じる。
例えば、先のシャワーの例でも、他のおうちでは、いろいろな工夫があって、それを乗り越えた、という形で、先輩子育て論を教えてもらうのだが、教えてもらったことをうちでやってみても、1勝20敗ぐらいで、だいたいの手は通用しない。
「なぜできないんだ」、「どうして君はそうなんだ」と思ってしまう。息子を責めている。
そして、息子にそれをやらせられない自分を「だめな親だ」と責めてしまう。
自分も息子も責めて、なんて最悪なんだろう。
だいたいのことがそんな感じなので、だんだん周りに相談したり、状況を伝えたりするのが、嫌になってくる。
「どうせ、相談してもうちでは無理なんだよな」
「この子は特別なんだろうか」
「俺がだめな親だからだ」
こんな自問自答ばかり。
ところが、先日、どうしても目薬を指したい事案があって、珍しくFacebookで相談してみた。「緩募。5才児がどうしても目薬いやがるんだがどうしたらいい?」
多くの人からコメントアドバイス頂いた。
みんな、良心でアドバイスしてくれた。それはとってもありがたい。
中にはやはり「うちではこうしてたよ」というものもあり、ついつい心が「いや、うちは難しんだよな」と自分を責めそうになった。そして、息子も責めそうになる。
ただ、今回はぐっとこらえた。
「親の俺がだめだからだ」という罪悪感と共にいないようにした。
息子の性格もため息混じりに「息子は無理なんだよな」ではなく、軽口な感じで「まぁ、いやがるだろうな」と、ありのままとして受け止めようとした。
その「罪悪感」「自責の念」「息子にため息をつく」をそっと横において、「教えてくれた人、ありがとう」と思った。純粋な感謝の念だ。
「罪悪感」「罪」みたいなもの、個人的にずーっと課題で、こいつと最近戦っている。少し扱いがうまくなっていた。だからできたことでもある。
息子に対しては、いただいたコメントの中でいけそうなやつを1つ、2つ、試してみた。まぁ、やっぱり通用しないんだけど、「彼の文脈でできるように一つずつやっていこう」という、ややすっきりした感覚でいることができた。
子育ての状況を伝えたり、悩みをオープンにしてみたり。周囲の反応はまあ色々あるんだけど、その内容はともかくとして、親の気持ちとしては、結局は受け取り方が大事なんだと思った。
実際に相談した内容が息子に通用しなくても、伝えたことで、なんとなくスッキリもするし、「息子は特別だから」という変なフィルターをつけずに、周りに対して、「うちはこうなんだ」と伝えることができた気がする。
育児って困難が多いと、内側にこもる人、いないだろうか。我が家だけだろうか?
うまく外部にヘルプを求められる人がたくさんいるけど、どうも我が家はそれができない。今でもあまりできていない。
でも、それは家事育児をしていく上で、やはりちょっと辛い。
もう少し、外部、周囲、社会とつながった形で育児できたらと思う。程度は色々あると思う。
今回のFacebook相談は、それに向かったちょっとした入り口だったような気がする。
同じように、自分の育児に自信がなくて、周りに相談したり助けを求めたりできない人、夫婦、たくさんいると思うんだけどなぁ。
ちなみに、妻も、周囲に助けを求めることは上手ではない。
しかし、私以上に、息子のありのままを受け入れられていて、彼のペースに寄り添うことができているので、私のように、一人でイライラしたり、罪悪感にとらわれることはあまりないようだ。
地に足がついている。そんな妻が横にいるので、そこにも良い意味で引っ張ってもらえている。
「こうやれば」っていう確信はまだないのだけど、今回、少し進んだ気がしたのでこうやって残しておく。
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