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『北風と太陽』の太陽になろう

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

子育てやメンバーマネジメントをしている中で、「ああしておけば良かったかもな」と思うことはまだまだたくさんあります。

「どうすれば伝わるかな」と考えながら、自分をコントロールしている時は冷静な判断ができます。

ただ、自分に余裕がない時は冷静な判断ができずに、感情に身を任せて相手にぶつかってしまうこともあります(僕の場合は特に子育てで)。

先日、「あー、もっとこういう関わりをすれば良かったなぁ」と思う出来事がありました。

「これをやって」と言っても聞かない娘に対して叱った時に、その叱り方を後から振り返って、『北風と太陽』の物語が頭に浮かびました。

『北風と太陽』(きたかぜとたいよう)は、イソップ寓話の一つである。ペリー・インデックスは46、アールネ・トンプソンのタイプ・インデックスは298である。物事に対して厳罰で臨むよりも、寛容的に対応する方が良いという教訓として、広く知られている。

Wikipediaより
Wikipediaより

ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をする。まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から外套を脱いでしまった。

Wikipediaより

この物語では『北風』と『太陽』は別の存在として登場してきますが、僕の中に両者がいると考えると、『北風』は感情的に力技で解決しようとする存在で、『太陽』は寛容な心を持って対話をしながら解決しようと存在だと思いました。

心に余裕がない時には『北風』が登場してきて、心に余裕があると『太陽』が登場してくる。

僕としては、『北風』が登場した時の方が「ああすれば良かった」と思うことが多いし、結果的にうまくいかないことが多い。

仮に『北風』の登場によってうまくいくことがあっても、それは相手が服従状態にある可能性があるので、「本当にこれで良いのか?」と思っています。

一方で、『太陽』が登場した時は、物事がうまく進むことが多い。

寛容な心を持って対話をしながら相手と一緒に解決案を定めていくというのは、子供相手でもできることです(年齢によりますが)。

僕の娘は現時点で5歳なので、充分に対話ができます。

娘の意思もあるわけなので、一方的に押し付けるんじゃなくて、対話をしながら解決することは可能です。

じゃあなんで、常に『太陽』を登場させることができないのか。

それは、まだまだ僕自身が心に余裕がなかったり、寛容さを充分に兼ね備えられていないから。

何かに焦っていたり、自分視点でしか物事を捉えられていなかったりして、結果的に、相手との対話を徹底できていないんですよね。

仕事も私生活も一本の軸が通る自分自身の人生なので、全てが自分の人生に関わる大切な出来事や関わりです。

もちろん、「良くないなぁ」と思うことばかりではないので、理想的な関わりも同時に振り返りながら、自分の心を成長させていきます。

もっと寛容になれたら、自分の心もラクになるし、自分と関わる周囲の人の心もラクになるから。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。


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